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§19 「オ九」の意味を考える②       お箏を弾く人のための「初めての楽典」

第19回 「オ九」の意味を考える②

「六段」では「四」も「九」も押手によって全音高い音を作りました。一方で、現代箏曲の範疇に入る曲では調絃の段階から「四」と「九」が全音高くなっているものが多くあります。沢井忠夫作曲の「花筏」「つち人形」などは流派を問わず、初心者がさらう曲として定番化しています。

これらの曲では調絃の指示に「平調子より四と九を1音高く」と書かれています。古典箏曲の中でこの調絃に近いものといえば「古今組」の五曲が思い起こされます。「六段」に続いてさらう事が多い「千鳥の曲」は多くの方がご存じでしょう。お正月のBGMとしてもお馴染みです。この五曲の調絃は「古今調子」と呼ばれます。「平調子より四と九を1音高くする。一は五と同音、二は七と同音」という調絃で「一」と「二」の掻き手(シャン)の音が明るく華やかな印象に変わります。

前回の説明を思い起こしていただければ「四」と「九」が全音高くなった状態は「陰旋法上行形」であることはもうお分かりでしょう。

調絃の時に「四」と「九」を全音高くしてしまうと、高い音から低い音へ向かう(下降する)時にも上行形の音を使うことになります。どうしても「B♭」の音が欲しいときには押手で「八」の半音高い音を作ります。

一見すると不便なのですが「四」と「九」を全音高くすることで古典箏曲にはなかった自在な転調が可能になります。

ここからはすこし難しくなります。全てを理解する必要はありません。「陰旋法」の音に変化を与えることで新しい世界が生まれるのだという事がわかっていただければ良いのです。

三つの例を説明します。

「四九上がり平調子」では「六(斗)」を押手で半音高くした時に「楽調子」の調絃が現れます。「楽調子」の「宮音」は「二」でした。「平調子」から「楽調子」へ転調するということは「宮音」が「五=D」から「二=G」に変わるということです。西洋音楽的にいえば「完全五度」の転調ということになります。当然のことながら「曲想」ががらっと変わります。前述した「つち人形」の中ではこの転調がわかりやすく、たいへん効果的に使われています。

また、「四九上がり平調子」は「雲井調子」の「商音(三・八)」が半音高くなった状態とも考えられます。押手によって「二(七)」の半音高い音を駆使すれば「平調子」から「雲井調子」への曲中の転調(箏柱の移動をせずに行う転調)も可能です。

さらに、特殊な例外を除いて、古典箏曲で「和音」と感じられるものは「一」と「二」の「掻き手(シャン)」や「割り爪(シャシャテン)」のように隣り合ったふたつの絃で演奏される場合しかありません。一方「四九上がり平調子」ではさまざまな絃の組み合わせによる西洋音楽的な「和音」を使うことが可能になりました。この工夫は前回の説明にある通り、フレーズやメロディが「終わった感じ」になるために必要な「導音」として働く「重嬰羽」がいつも自在に使えることから獲得されました。

さて、「陰旋法」についてのまとめに入ります。

宮城道雄は箏の音楽の中に「西洋音楽的なもの」をもたらしたと言われます。同時代の中能島欣一も同様です。「西洋音楽的なもの」とはどういうものなのかを改めて考えてみましょう。

「音楽の三要素」と言われるものがあります。「① リズム」「② メロディ」「③ ハーモニー」の三つで説明されます。

古典箏曲にも「リズム」はあります。逆にいえば「リズム」がなければ音楽にはなりません。「音楽」は「時間芸術」と呼ばれます。「音」が「時間」に沿って経過してゆくからです。この時に「音」の長さや強さに秩序がなくては「音楽」にはなりません。秩序がなければただの「音」に過ぎません。車のクラクションや消防車のサイレンは「音」ではあっても「音楽」ではありません。救急車のサイレンがどこか切迫感に欠ける感じがするのは、高い音と低い音の繰り返しの中に「リズム」らしきものを感じるからです。つまり「音楽」を想起させてしまうからなのです。

古典箏曲の「リズム」は西洋音楽の「リズム」とは決定的に異なります。民族音楽と呼ばれるものは全て独自の「リズム」を持っています。宮城道雄らの「明治新曲」には「音」の長さや強さに規則性があります。この規則性のことを「拍子」と言います。「二拍子」「三拍子」「四拍子」などはみなさんご存じでしょう。一方、古典箏曲の「リズム」はこの規則性に縛られていません。「六段」の「楽譜らしきもの」を一見すると、この曲が「四拍子」の音楽に見えてしまいます。これが古典箏曲を楽譜で勉強するときのひとつの落とし穴です。「六段」を「四拍子」の音楽と感じてさらってはいけません。

「メロディ」とは「音」が高さを変えながら進んでいくことで生まれます。この時「音」の進み方は「リズム」と結びつきます。「リズム」を伴わない「音」の変化は「メロディ」として認識しづらいのです。お箏を「巾」から「一」まで順に鳴らして調絃を確かめる時には「メロディ」を感じることはありません。「明治新曲」にははっきりと「拍子」のある「メロディ」が登場します。

そして、この講座の第1回目からここまでの内容は、三つめの「ハーモニー」につながります。

「ハーモニー」とは複数の音が「和音」として「メロディ」に内包されていたり寄り添っていたりする状態です。「五段砧」のように「高」「低」二つの旋律が秩序を持って進む状態は「ポリフォニー(多声音楽)」と言います。これは「ハーモニー」ではありません。「ハーモニー」では「和音」が連続して感じられなくてはなりません。古典箏曲では瞬間的に「ハーモニー」らしきものが現れる事があります。しかし、曲を通して「ハーモニー」を感じることはできません。「明治新曲」でははっきりと「ハーモニー」を感じる事ができます。とても乱暴に説明すれば「宮城道雄の曲、特に歌を伴わない器楽曲は、ピアノの伴奏を工夫していっしょに演奏することができる」という事です。

お箏の音楽に「ハーモニー」をもたらすこと、つまり「西洋音楽的」な和音の響きを可能にすること、このための工夫の鍵のひとつが「陰旋法上行形」にあったと考える事ができるのです。


<余談>
古典箏曲の中でも「転調」は行われます。「前歌」の終盤で箏柱を動かして「転調」し、「手事」は「前歌」とは違う調絃で演奏され、「散らし(散し)」で元の調絃に戻るというようなことは多く見られます。もっと複雑に「転調」を繰り返す曲もあります。古典箏曲での「転調」は「曲想」を変化させることに大きく寄与しています。

しかし、古典箏曲での「転調」は西洋音楽の「ハーモニー」という考え方とは結びつきません。なぜなら「ハーモニー」という価値観とは別のところで発展してきた音楽だからです。古典箏曲でも「転調」は当たり前にやって来たので、明治新曲以降の音楽でも古典箏曲と同じ感覚で「転調」の「作業」をする事ができてしまいます。「ハーモニー」などいっさい気にする事なく「楽譜らしきもの」に並んでいる「番号」を間違えずに鳴らし続ければ「正しく」弾けたと考えてしまいがちです。これはたいへん残念な事です。第2回では「楽典」とは何かについて説明しました。「楽典を学ぶことによって音楽をする人たちが同じ理解のうえで話し合う、語り合うことができる」。とても残念な事ですが、同じ理解がないときには明治新曲以降の「ハーモニー」については「語り合う」ことができません。


「陰旋法」の五音、「宮」「商」「角」「徴」「羽」のうち、「宮・角・徴」の三音の関係は変わることがありません。「平調子」でいえば「五と七」「五と八」の音程差、音の響きは普遍です。その一方、「商」と「羽」は半音高くなり、全音高くなり、時には全音と半分(1音半)高くなることさえあります。「平調子」の「六」と「九」を「1音半高く」して弾いてみてください。よくご存知の音楽が思い浮かぶはずです。

「陰旋法」について、そして「陰旋法」を「西洋音楽」に結びつける工夫についてお話ししてきました。一方、日本音楽としては「陰旋法」よりはるかに歴史のある「陽旋法」についてはほとんど説明して来ませんでした。

日本音楽を深く理解するためには「陽旋法」、そして「雅楽の音階」について広く学ばなくてはなりません。しかし、お箏を弾くみなさんはまず「平調子」に親しむことになります。そもそも八橋検校が「陰旋法」での音楽を発案したところから私たちの演奏する「俗箏」が始まっているからです。ですから「お箏を弾く人のための 初めての楽典」では「平調子」の正体、つまり「陰旋法」の成り立ちを考えてみました。

「陰旋法」を自在に駆使する事ができるようになりましょう。第4回から第6回までの歌う練習を日課にしてみてください。調絃が自在にできるようになるばかりではなく、先生からいつも注意される押手の音程も見違えるように良くなります。


次回からは「音律」を離れて次の内容に進みます。ブログでお読みの方はLINEの通知機能をお試しください。箏楽舎のfacebook、Instagramでも記事の公開をご案内しています。

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