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私と大江千里の出会い〜高校生編〜

高校1年生、部活が嫌で泣いていた時も・・・

 前回は今から7年前、私が中学3年生の冬休みごろに、以前父から譲り受けていたパソコンに入っていた大江千里の楽曲を見つけた奇跡的な出会いの思い出を書きました。中学の最後の4ヶ月はまさに大江千里!大江千里!大江千里!尽くし(笑)でした。話題はそれますが、大学にて第二言語習得について学んでいる関係で、「臨界期」という言葉を頻繁に見聞きします。ある一定の期間までに言語やスポーツ、楽器等やっておかないと習得が困難・不可能になりますよーっていうやつです。先生みたいに教えなくても子供がだんだんと第一言語を習得したり、第二言語も勉強し始めるなら早ければ早いほど効果がある!という考えのもと、小学校でも2年前倒しで、3、4年生から英語が導入され、5、6年生では教科化されましたね。日本語だって疎かなのに英語なんて!という研究者ももちろんいますが。まぁなんと言いますか、聴く音楽に関しても一定の年齢より前に聴いたものは頭に残りやすく、生涯通して愛聴できる、いわば「臨界期」のようなものが存在しているのかな、というくらい、中学3年生から7年経つ現在でも一番聴いているアーティストだと思います。

 だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、高校生になっても変わらず大江千里の曲ばかり聴いていましたってことですね、はい。高校までは自転車で片道4、50分かけて通っていたので、音楽を聴くにはもってこいの時間だったのです。まだ持っていないCDあるいは持っていたけど聴いていなかった曲もたくさんありましたし。当時のプレイリスト、これまた残ってないのですが、「赤茶色のプレッピー→六甲おろしふいた→SEXUALITY→Rolling boys in town・・・」の順でよく聴いていた記憶はあります。上下関係が厳しい運動部に入って、すぐの5月上旬、これを聴きながら、泣きながら自転車を漕いで帰った記憶があります(笑)前回の記事「私と大江千里の出会い〜中学生編〜」でも書きましたが、「初めて聴いた曲が自分にとって良ければ良いほど、聴いている場所の風景が記憶に焼きつきやすい。そして、その曲を聴くたびにその風景が鮮明に蘇ってくること」が、私が考える音楽を聴くことの醍醐味の一つだと思っています。今でも、春風の香りと焦げた夕日を見ながら「赤茶色のプレッピー」やら「Rolling boys in town」を聴くと、初々しい青春色の高校時代を思い出しますね。

蓄えの冬眠期

 高校2年生の冬頃に渡辺美里、高校3年生の秋頃に佐野元春、高校3年生の冬頃に星野源や大瀧詠一を聴くようになるのですが、「冬といえば大江千里!」というのは22歳になった今でも変わりません。それというのも、冬から春にかけて時折父が、持っていなかった大江千里のCDを買ってくれていたからなんですね。それで「蓄えの冬眠期」ということです。「HOMME」や「ROOM 802」、「Untitled Love Songs」などのアルバムを買ってもらい、既に持っていた中では、「Solitude」や「SENRI HAPPY」といったところも新しく聴くことになりました。印象深いのは「HOMME」中の「LOVE REVOLUTION」のイントロの硬く重いピアノの音、「Do it」や「真顔」、「返信」といった冬をモロに連想させる曲の数々です。熱い日に冬の曲を聴いて涼んだ気になる、というのが好きでよくやるんですが、大江千里自身、夏によく曲が書けるからと言って、冬の曲もまとめて夏に書くようですね。もしかしたら熱い日に涼む感覚で冬をイメージして書いていたのかもしれませんね。「SENRI HAPPY」では「さよならも言えずに」や「渚橋」、「Solitude」だと「Dog's Life」と「Optimistic」、「ROOM 802」の「夙川パーキングナイト」と「風が吹いている」、「DUBIDUBIDUO」、「Untitled Love Songs」では「ボーイズ・サミット」と「7年目」、「きみはサンタに恋してる」といったところはかなりお気に入りです。

ほんとに存在した大江千里!

 こんなこと言うのも失礼なんですけど、大江千里ってほんとに存在するんですよ(笑)大江千里に限らず有名人・芸能人はちゃんと存在するんですがね。私は高校3年生の秋頃にTwitterで大江千里のアカウントを見つけてフォローすることに。まぁSNSの普及によって過去に比べてだいぶ芸能人との距離が近くなったのではないかと思いますが、でもやっぱり画面越しでは実感しないですよね。ある日の新聞の夕刊でこのような記事が載っていたことをTwitterで本人にメンションしたら引用リツイートしてくれたので、あのアカウントを操っている誰かがいるな!その程度でした。

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  翌年の1月、2月に、センター試験と大学受験を控えた2016年10月、私は大江千里のジャズコンサート(静岡公演)を聴きに行きました。当時、シーラジョーダンをボーカルに迎えたジャズアルバム「Answer July」が出たばかりで、そのツアーですね。初めて見る大江千里がテーブル2つ分くらい先のピアノに座ってるっていう構図ですよ。あ、ほんとにいたんだ!、みたいな(笑)最後にポップス時代のヒットメドレーを演奏してくれてやっぱ良い曲だな〜としみじみ思いました。私個人的に「格好悪いふられ方」や「YOU」といったヒットソングよりもマイナーな曲が好きだったりもするので、そちらの曲たちも是非またどこかで演奏してほしいですね。「向こうみずな瞳」とか「夏渡し」、「BOY MEETS GIRL」、「母の手」、「出来もしない約束」などなど期待しています。演奏が終わって、周りのお客さんたちも退席し始めているさなか、私は勇気を出して大江千里のいる待機場所へ行ってみることに。そしたらお酒を持った本人がいらっしゃいました。身長は175cmほどとwikipediaに載っていましたが実際会ってみるとかなり大きい印象でした。偉大さが滲み出ているというか。握手してもらい、当時高校の休み時間に音楽室のピアノで曲弾いています!ということも伝え、最後に写真を撮ってもらいました。サインは、いつかニューヨークのトミジャズへお邪魔した時に、機会あればもらおうかな!なんて思っていました。大学最後の年、卒業旅行にNY行こうかななんて考えてた矢先、こんな世の中になってしまったわけですが…大江千里さんどうかご無事で!!!

大江千里に魅了され上達したピアノ

 幼少の頃からピアノを習っていたので、苦手ではありましたが音符を一つずつ指でなぞって読みながら弾くことはできました。大江千里の「AVEC」と「六甲おろしふいた」、の楽譜は父が持っていたので、中学2年生以来ほとんど触れることもなかったピアノを練習しはじめたのです。「Olympic」や「1234」、「red monkey yellow fish」、「Apollo」の楽譜もヤフオクで買ってもらい、「HOMME」やピアノ弾き語り用のベストソングスの楽譜は市内の図書館で見つけて、全ページコピーしたりと、徐々に入手していきました。ただここで問題だったのが、ピアノや楽譜を読むことが大の苦手だった私が、一曲弾けるようになるまでに費やした時間は1週間程度だということでした。そんなんじゃいつまで経っても気に入った曲を全部弾けるようにならないよ…と。そこで必死に覚えたのが、""コード""でした。

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 コードというのは、伴奏のための和音で、よく弾き語りとかで聴けますね。ギターのコードは知っててもピアノってコードあるんだ!と言われることよくあります。ギターもピアノも複数の音を重ねて和音を作るわけですからありますよね。「手垢のついたステーショナリー」のAメロの、「DM7→AM7」の繰り返しを参考にしてみましょう。DM7は「左手:レ・右手:レファ#ラド#」、AM7は「左手:ラ・右手:ラド#ミソ#」です。これらの和音を抑えながら歌うのがいわゆる弾き語りですね。こうして高校3年生の冬は、受験勉強と並行してコードをひたすら覚えるということもしていました。覚えてしまえば簡単で、いちいち譜面の線を指で数えてどの音を弾くのか確認しなくてもコードを見るとパッと、左手はAで、右手はラド#ミソ#になるからメロディーも大体ラド#ミソ#を弾くだろうなと推測ができるようになるわけです。まさに相対音感の特訓でした。そんなこんなしていてあっという間に高校卒業。音楽室で弾いた最後の曲は「渚橋」でした。おや、「SENRI HAPPY」の楽譜は持っていないようだが・・・?なんと耳で曲を聴いたらベース音から左手弾くルート音がわかり、推測でメロディーも弾けるようにまでなっていたのでした!いや〜私もしかして才能あるのでは?なんて思って大学に入学したわけですが… 高校生の時、自信持って弾いてた「うぶ毛のきもち」や「渚橋」、「アンコールはしない」がそもそもキーが間違っていた(耳が良かったのでは全くなかった)ということに気がついたのが大学2年生ごろだったというところも含めて次回「私と大江千里の出会い〜大学生編」を書きたいと思います。今回も読んでいただきありがとうございました。

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