見出し画像

BTSのアルバムにインスピレーションを与えたとされるユング心理学者が読み解く、『MAP OF THE SOUL: 7』のメッセージ

BTS(防弾少年団)のアルバムにインスピレーションを与えたとされるスタイン氏本人が、ユング派分析家という立場から『MAP OF THE SOUL: 7』を読み解いた書籍『BTS、ユング、こころの地図』を2022年5月に刊行します。
本記事では、同書収録の「日本語版読者への序文」と「訳者あとがき」の一部を無料で公開いたします。
BTSはいったいそこで何を表現しようとしているのか。そして、なぜユング心理学を題材に選んだのか――。
ぜひご一読いただけますと幸いです。

書影『BTS、ユング、こころの地図』(創元社)


日本語版読者への序文(マリー・スタイン)


私の著書『ユングのこころの地図(*注1)』(Jung’s Map of the Soul)が、韓国 のK-POPバンド、BTSのウェブサイトで推薦図書のリストに挙げられている。ある日の午前中、チューリッヒのInternational School of Analytical Psychology(ISAP)で、この驚きの知らせを伝えてくれたのは、本書の翻訳者である大塚先生でした。そし て、それこそが本書の執筆へと至るプロセスのはじまりだったのです。この驚くべきニュースの後、BTSが『MAP OF THE SOUL: PERSONA』というタイトルのアルバムを制作すること が発表され、さらには「自我」(ego)や「影」(shadow)を取り上げた、「MAP OF THE SOUL」のシリーズ作も制作されました。これらのアルバムは世界中で喝采と熱心な支持を集め、たくさんの賞を受賞し、それによってBTSは世界中の心理学的な気づきとメンタルヘルスに計り知れないほど大きな貢献をしています。特に重要なのは、このメッセージが新しい世代に届いているということです。

ユング心理学のような地味な領域の著者が、これほどまでに強力な流行の波に乗って、専門的な考えを集合的な規模で披露するなどという機会は、そうそうあることではありません。私はこれを個人的な栄誉ではなく、タイミングの問題だと思っています。世界はかつてないほど、BTSが伝えているメッセージを必要としているのです。罪のない人々に爆弾が落とされ、悪意を持った軍隊が隣国を侵略しているいま、『MAP OF THE SOUL: 7』の10曲目、「Louder than bombs」(爆弾よりも大きな声で)のような曲の価値はより明白になりました。

自分の心理学の研究がBTSのインスピレーションになったことを、私は嬉しく思っています。BTSは彼らの存在がなければけっして届くことのなかった世界の隅々まで、C. G. ユングの天賦の才による心理学的洞察を届けてくれているのです。


マリー・スタイン Ph.D.
ゴルディヴィル、スイス
2022年3月

*注1:『ユング 心の地図 新装版』(入江良平訳、青土社、2019年)


BTS、ユング心理学、マリー・スタイン先生
──訳者あとがきにかえて(大塚紳一郎)


いまから3年前の2018年、ちょうどクリスマスの時期のことです。妻から、こんなメッセージが届きました。「BTSのオフィシャルサイトで、ユング心理学の本が売ってるみたいだよ」。いったい何のことやらと思いつつ、教わったサイトを見にいってみると、BTSのCDやDVDに並んで、確かに何冊かの書籍が販売されています。その中に、表紙のデザインを見ただけでユング心理学関連の本だとわかる一冊がすぐに見つかり、なんだか新鮮な思いがしました。けれども、商品紹介のハングル文字の文章に自動翻訳をかけてみた私はさらに驚くことになります。その本は自分の人生を変えたと言ってもいい大切な一冊、Jung’s Map of the Soul: An Introductionだったからです。

翌日、私はその本を書いたご本人、ユング派分析家マリー・ スタイン博士に会いに出かけました。ちょうどその頃、ユング派分析家の国際的な養成機関であるISAP(International School of Analytical Psychology Zurich)に留学中で、訓練の一環として、毎週火曜日と木曜日はスタイン先生と会う約束になっていたのです。アパートを出てチューリッヒ旧市街の石畳の上を歩き、 チューリッヒの象徴であるグロス・ミュンスター(大聖堂)を通りすぎると、やがてスタイン先生のプラクシス(部屋)がある古い建物が見えてきます――モーツァルトやゲーテも訪れたことがあるという、歴史的な建物です。

いつものように笑顔で迎えてくれたスタイン先生と一緒に階段を上りながら、さっそく私は聞いてみました。「BTSという韓国のボーイズ・グループの公式ウェブサイトで、先生のJung’s Map of the Soulの韓国語版が買えるようになっているそうですけど、ご存知でしたか?」。スタイン先生は目を丸くしていました。それから私は、BTSが世界中で支持されている若い世代のアーティストだということ、リーダーのRMが行った国連でのスピーチが素晴らしい内容だったことをお伝えしました。それに、同じサイト内でエーリッヒ・フロムの『愛するということ』とヘルマン・ヘッセの『デミアン』も推薦されていたということも。スタイン先生はとても興味深そうにそれを聞き、それからこんな風に言っていました。「その3冊には、人間が成熟していくことの難しさ、そしてその意義深さという共通点がある。若い世代のスターがそういう深いテーマの本をファンに勧めているだなんて、とても素敵なことだね」。

BTSに興味を抱くようになった私はTwitterを使って質問を投げかけてみました。BTSの作品やツアーの中に、ユング心理学と関係しているものがあるのではないかと思ったのです。するとあっという間にBTSのファン――ARMY――の方々からたくさんのリプライが寄せられてきました。BTSが過去にも文学作品をモティーフにした作品を発表していることや、BTSの作品には少年の成長と葛藤というテーマのものが多いことなど、ARMYのみなさんはたくさんのことを、そしてとても親切に教えてくれました。

BTSの新作のタイトルが『MAP OF THE SOUL: PERSONA』に決まったことを、Twitterを通じていち早く教えてくれたのも「りえっぺ」さんという熱心なARMYの方でした。さっそくスタイン先生にご報告すると、このときは本当に驚いた様子で「それはすごい」と喜んでおられました(このあたりの経緯は本書の第5章の冒頭と「日本語版読者への序文」でも触れられています)。

けれども、本当のことを言うと私は、そしてたぶんスタイン先生も、そのときはまだそれほど真剣にとらえていなかったのです。ミュージシャンや画家が書籍からインスピレーションを得て作品をつくるというのは、昔からわりとよくある話です。そして残念ながら多くの場合、そうした試みはあまり成功していないように思えます。単純に印象的なフレーズを抜き出したり、登場人物を拝借したりしているだけで、本質からはかけ離れたものになっていることがほとんどなのですから。今回もきっと「ペルソナ」という言葉とイメージを参考にしただけだろう。少なくとも私は、そんな風に思い込んでいたのです。

ところが、実際に発売されたBTSの『MAP OF THE SOUL: PERSONA』を聴いて、スタイン先生も私も本当に驚いてしまいました。そこには、ユング心理学が100年以上かけて真剣な探索を重ねてきた「こころ」の世界が確かな形で表現されていたからです。BTSはユング心理学と真剣に向き合い、それでいてまったくオリジナルな世界を創造することに成功した、稀有な存在なのではないか。私は認識を改めはじめました。そしてその後、『MAP OF THE SOUL: 7』が発表されたときには、この思いは確信に変わりました。ユング心理学からインスピレーションを得たという作品は世界中に数えきれないくらいたくさんあります。けれどもその中で、BTSの『MAP OF THE SOUL: PERSONA』と『MAP OF THE SOUL: 7』に匹敵するのは、あの『ゲド戦記』くらいだと、私は本気でそう思っています。

BTSの『MAP OF THE SOUL: PERSONA』がユング心理学の名著Jung’s Map of the Soulをモティーフにした作品だということは、瞬く間に世界中のARMYの知るところとなりました。日本を含めて、世界中で同書の増刷や再版が決まり、実際に私もチューリッヒ市内を走るトラム(路面電車)の中で、Jung’s Map of the Soulのドイツ語版を熱心に読みふける女性の姿を目にしています。ARMYのみなさんの熱意と熱気に、私の胸まで熱くなってきました。

ただ同じ頃、『MAP OF THE SOUL: PERSONA』発売後の世界的な盛り上がりのまさに最中に、私はスタイン先生からこのように尋ねられたのです。「ARMYのみんなが私のJung’s Map of the Soulに興味を持ってくれるのは、とても嬉しい。でも、実際に読んでみたら、難しすぎると感じてしまうのではないだろうか?」と。少し考えた後で、私はこう答えました。

「そのとおりだと思います。あの本は確かに入門書だけれど、わかりやすいだけの本じゃない。深みがあります」

「そうか」と一言つぶやいただけでしたが、スタイン先生はそのとき何かを真剣に考えている様子でした。BTSがユング心理学と真剣に向き合ってくれたことへの心からの敬意と感謝として、今度はユング心理学の側が真剣にBTSと向き合うべきなのではないか。そうした考えがスタイン先生の中に生まれたのはこの瞬間だったのかもしれません。

それからしばらくして、スタイン先生は2人の共著者を迎え、BTSが作品の中で取り上げたユング心理学の3つの言葉、「ペルソナ」(persona)「影」(shadow)「自我」(ego)を解説するための3冊の本を出版しました。さらに後になって、この3冊の中からスタイン先生ご自身が執筆されたものを中心に重要な章をあつめ、1冊の本の形に編集し直したもの(Map of the Soul-7: Persona, Shadow & Ego in the World of BTS)も出版されました――「ベスト盤」とでも言えましょうか。いま、こうしてお届けしているこの本は、その「ベスト盤」を翻訳したものです。

言うまでもないことですが、BTSの『MAP OF THE SOUL: PERSONA』や『MAP OF THE SOUL: 7』はそれ自体で完成したアートです。本書を読まなくとも、その素晴らしさは十分に伝わってきます。本文中にも述べられているとおり、優れた音楽にはいつだって理性的理解を超える力があるのですから。けれども本書を読めば、『MAP OF THE SOUL: PERSONA』や『MAP OF THE SOUL: 7』の中でBTSのメンバーたちが表現しているのは、自分自身の人生や生活の中でも大切な何かなのだという実感が、きっとみなさんの中に生まれてくるはずです。そしてその実感は、BTSの音楽や映像作品をそれまで以上に深く味わい、愛することの助けとなってくれるでしょう。

BTSとARMYの真剣さに、ユング心理学が本気で応えたのがこの一冊です。ぜひ心ゆくまでお楽しみください。

もちろん本書はBTSのファンであるARMYの方々を念頭に書かれた本ではありますが、ユング心理学や心理療法に関心のある方にも楽しんでいただける内容になっていると思います。長年にわたってユング心理学の世界をリードしてきた、まさに代表的ユンギアンであるマリー・スタイン博士が、かつてないほど平明に、かつ丁寧に、「ペルソナ」「コンプレクス」「元型」「影」といったユング心理学の重要概念を解説しているという点でも、本書は特別な一冊だと言えるでしょう。特筆すべきは「自我」に、多くのページが割かれているということです。ユングは折に触れてこの「自我」の大切さを語っています。けれども、この「自我」、つまり「わたし」はあまりにも当たり前の存在であるために、「自我」を中心に扱った本はこれまでほとんどなかったと言ってもいいくらいです(例外はカール・マイヤーの『意識』くらいでしょうか)。この「自我」を語った一冊だという点だけでも、初学者の方はもちろんのことですが、ユング心理学に関心を持つすべての方に、自信をもって本書をお勧めできる次第です。

とは言うものの、ユング心理学に関心を持つのは「内向タイプ」を自認する人が多く、こうした方ほど流行を嫌うのが普通です。世界的な流行現象になっているという事実だけで、BTSからは目を背けたくなる人もいるかもしれません。けれども――あのマリオ・ヤコービがかつて述べたとおり――流行とは「集合的な心」の表れのひとつであり、それゆえにユング心理学にとっては大切なテーマであるはずです。BTSが見事に表現しているのは、いま私たちが生きている世界のリアリティそのものでもあります。レイシズム、アディクション、虐待、トラウマ、いじめやSNSをめぐるトラブル、そして戦争。思わず胸が痛くなるような現実もたくさん存在するこの世界のリアリティの中で、それでもこころのリアリティを語っていくために、私たちに何ができるのか?この重大な問いに対する、ユング心理学の応答のひとつとしても、本書には現代的価値があると私は思います。

「この本は、オリジナルのJung’s Map of the Soulよりは読みやすい本かもしれない。でも、それを単純化したものだとは思ってほしくない」

本書の生みの親であるマリー・スタイン博士は、あるとき訳者にこのように仰っていました。本書の意義をもっとも適切に表現した言葉として、読者のみなさまにもご紹介する次第です。

訳出にあたっては、本格的な内容を扱っていながらとても読みやすい、原書の魅力を日本語に反映することを最優先の方針としました。自然な日本語として普通に読めるものになるよう、微力を尽くした次第です。インターネットで検索する手間を省けるよう、訳注も普段よりもかなり多めに設けました。必要に応じて、参照していただければと思います。

また原書には――おそらくはBTSのアルバム発売のタイミングに合わせて大急ぎで準備されたものだという事情から――少なからぬ誤植や誤記が散見します。特にBTSの作品の歌詞を分析している第2章では、肝心の歌詞が実際のものとずれてしまっている記述が少なくありません。この箇所がBTSのアルバム発売直後に行われたインタビューの内容を書き起こしたものであり、インタビュー時点で入手できた韓国語の歌詞の英訳にやや問題があったことから、ずれが生じてしまったようです。そのためこの日本語版では、原著者の了解のもとに、明らかな間違いに関しては一定の修正を施すことにしました。

筆頭著者であるマリー・スタイン博士(Murray Stein)のお名前の表記についても、一言お断りを申し述べておかなければなりません。従来は「マレイ・スタイン」と紹介されることが多かったのですが、これは明らかな間違いで、英語の発音としては「マリー」となります。著者名を検索される際などに混乱を生んでしまう恐れを承知しつつも、著者ご本人のご意向を踏まえ、この機会に表記を改めることにいたしました。ペルソナの重要な一部である個人の名前に最大限の敬意を払うのは、ユング心理学の矜持というものです。なにとぞご了承いただければと存じます。(以下略)


2021年7月18日 神戸にて
大塚 紳一郎


『BTS、ユング、こころの地図』商品ページはこちら👉

紹介動画はこちら👉