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ありがとうFF14

だいたい10年近く、ぼくの生活の拠り所、いや、第2の生活となっていたFF14をやめた。正式には課金をストップしたのは23年1月なのだが、これだけ長い期間の長い時間をプレイしたオンラインゲームとなると自分の心の中でも「やめたんだな」と整理がつくまでにこれだけの日数がかかった。てか1年経ってる。

思い入れの強いFF14への感謝を載せて、noteに書くことで心だけでなく、体と頭でも整理をつけようと思う。




いわばこれは、ぼくのFF14に対する終活だ。




①出会い
②これまで
③やめる契機
④感謝

①出会い


ゲームセンターの協力対戦型ゲームで出会った友人たちがいる。その集まりの中で何かといろいろなオンラインゲームに興じていた時代があった。一過性の笑いを生みだして、いつの間にかプレイしなくなって、また別のゲームをして笑いを生んで…とSkypeをつなぎながら複数のオンラインゲームをプレイしているうちに『FF14が新しく作り直されるらしい』ということを聞きつけて、誰からともなく、どこからともなく数人でプレイを始めた。

今に比べればまだ操作もおぼつかなく、よちよち歩きではあったが、各々ゲーム慣れしていたのもあって順調に進んでいた記憶がある。ブレイフロクスの3ボス、毒ドラゴンで全滅し、攻略を真剣に考えたのも記憶に残っている。あれはながしゅんが装備更新してなかったせいだけど。

▼当時のスクリーンショットが残っていた。一人衰弱ついてて草


デスペナ無し、モブ狩りはほぼいらない、レベリングはFATEがうまい というデザインに当時衝撃を覚えた。フィールドでやられても経験値を失わない!?経験値を失わないようにするアイテムをWebマネーで買う必要もない!?クォーリーミルに死者の宮殿をやりに行くとき、FATEの発生を未だに目で追ってしまうのは、旧きプレイヤーの性質だろう。

レベル50にたどり着くころにはドハマりし、スキルを効率よく押すための多ボタンマウスを購入していた。FF14をやらなくなった今も使用している。2個ほどぶっ壊したので、こいつは3代目だ。

②これまで

そんなこんなでこのゲームをプレイし、主にレイド専プレイヤーになる。ギャザラー?よくわからない。クラフター?よくわからない。FF14に存在する数多い魅力のうち、おそらく20%ぶんぐらいしか楽しんでいない自覚があった。でも、装備をそろえて、スキル回しを手になじませて、強敵に立ち向かう。何度もやられて、友達と衝突して、解決策を模索して、その上で撃破する。この瞬間が何物にも代えがたいしやめられない。
 
 レイドは(※一部を除いて)全部プレイした。どれも優劣はあれど、大切な思い出ばかりだ。

■バハムート編
何もわからないままれうんさんの固定に入り、何もわからないまま1-4クリアをし続け、目を逸らし続けたツインタニアもついに倒した邂逅編
ツインタニア撃破の喜びが忘れられず、また固定に参加して、最終的には半固定でネールを倒した侵攻編
初めて既存固定への補充という形で面談を経て参加し、バハムートプライムを倒した真成編
真成クリアのPTはチームメンバーが作った撃破時の編集動画が作られており、最後の最後で処理をミスって一人で死ぬ自分が映っている。床ペロ状態で倒したバハムートも宝物だ。

▼忍者だったのに武器ドロップが槍だったから記念写真が竜騎士になっているぼく

■アレキサンダー編
…振り返るのやめとこっか。思い出深いのはタチコマ役だったぼくはデバフ弾を連打しすぎてマウスを1個壊した。

■オメガ編
このあたりから固定メンバーが友人8人で構成されるようになった気がする。エクスデス撃破からネオエクスデス登場演出の、絶望と鳥肌がすごかったオメガデルタ編。それはさておき白魔のきょーさんのHPSとDPSがふざけすぎていて、一定のタイミングで煙玉と影渡をしないと白にヘイトが飛んで全滅する、絶望と鳥肌がすごかったオメガデルタ編。なんで毎回開幕に即死ギミックが1個あるんだよ。

▼無の空間を
▼切り裂いてご登場だ

ケフカのミッシングが詠唱されるたびにELLEGARDENのMissingを歌いだす珍味さんのイメージがとても強いオメガシグマ編。何なら一生歌ってるもんだから珍味さんが歌い忘れるとミッシングの詠唱を見逃すときもあったぐらいだ。パブロフの犬状態だ。ぼくはケフカがずっと苦手なボスで、クリアした後も周回している時も勝利した感覚がない。なんなられうんさんの侍のTPがすぐ枯れるから、叱咤を回すことを忘れないようにしていた記憶しかない。ぼくもDPSなんだけどね。

3層のオメガの時点で難易度的に何かやばいことが起きているぞ、と思った矢先に4層のオメガM/オメガFの無茶苦茶さに涙したオメガアルファ編。ちなみに、露骨に近接DPSは仕事が少ない感じが出始めていて、オメガの線を伸ばして交代しながら交互に突進を受けるところで、後ろにいる人をどこまで崖際に追いやれるかで遊んでいた記憶がある。オメガ後半はもう、先人のギミック処理の情報がなかったら無理だった。トレース勢としての力を着実につけていく。

■エデン編
メンバーの慣れもあり、淡々と進んだ記憶のあるエデン覚醒編。リヴァイアサンの一部ギミックが驚くほど覚えられず、サブモニタにカンペを出していないと毎週の消化もできない化け物忍者が生まれた。侍のTP管理もヘイトコントロールもなくなりジョブも介護枠、プレイヤーも介護枠ときた。チームメンバーはというと、リヴァイアサン戦闘前に「カンペ出した?」と聞いてくれる始末。これはハードウェアチートに含まれませんことですよね?吉田さん。

前半も後半もギミックたっぷり、かつ前半の雑魚処理DPSチェックがきつすぎて、何か謎解きがあるんじゃないかと疑われたエデン共鳴編。シヴァことリーンの変身中、みんな暇そうに喋っていたが、ぼくは凝視していた。

このあたりからギミックをすべて覚えることを半ば放棄し、メンバーのコールにあわせてキャラを動かすだけのロボになっていたエデン再生編。近接DPSも軽減入れる義務がある状況をサンクレッドもどきが作った。やめなよ。

■パンデモニウム編
ラジオ体操BGMを聞きながら眼鏡のおじさんと向き合っていたパンデモ辺獄編。全体的に退屈な感じだった記憶があるが、3層のフェニックスは真成編を思い出す懐かしさもあったしHP戻しギミックの占星圧倒的有利ことを除けばよかった。眼鏡のおじさんはカーテンコール的なタイミングで8人が一人ずつ前に進むギミックになっていたのは美しかった。
 
パンデモニウムらしい生命体の融合などギミックが凝っていたパンデモ煉獄編。パンデモは恐ろしいほどボスのサークルがデカかったり、消える時間も調整されていてレイドとしての気持ちよさ以上に近接DPSがずっと殴れるように補助されまくっていた。牽制だけで己の存在意義を誇示するのにも限界がある。

そしてパンデモ天獄編はプレイすることもなかった。極コンテンツでいうなら、ルビカンテあたりから倒していない。





これだけ長々と、楽しかったレイドの思い出を整理していって、ぼくがこのゲームをやめるに至った契機がある。

③やめる契機

これは『各種解析ツールによるゲーム体験の変化』だ。これについてはFF14運営も何度か声明を出しているし、自分も把握している。今だから言うが、自分はACTが日本でも流行り始めたときに導入したし、これのおかげで上達し、クリアできたボスもいると思う。

ACT→FF14の内部で行われている与ダメ、被ダメージを計算し、通しであなたや周りはこれぐらいダメージが出てますよ、というのを調べてくれるソフト

自分の中で折り合いがつかなくなってきたのは、logsが出始めたころだと思う。これによって自分と身内だけだったACTの数字の世界が、大きく広がって全世界に伸びた。世界の中での自分の位置も知れた。最適解から導ける自分の改善点も解析してくれるようになった。良いことも多かった。それに負けないくらい、悪いことも多かった。

ここまではセーフ、と思うプレイヤーも多いと思う。でもこのサイトの数字をもとにして、他の人を論ずる、評価する人も現れ始めた。良いことばかりではない。

さらに決定的なものとして、ゲームが設定している限界よりも画面を引き、視野を広くとれるように操作したり、すごいものは本来見えないボスの攻撃の範囲を表示するものも出てきた。これが行われている場面を目にしてしまった時が、ぼくのFF14の明確な終わりだ。

心に折り合いがつく人なら、「他人が勝手にやっていることで何も自分のゲーム体験には関係ない」という方で飲み込めたような気がするが、ぼくはどうしてもそういったことをできるのにそれを使わずプレイしている自分、という印象を持ってしまった。縛りプレイのような印象を覚えた。
重ねて言うが、これ自体は運営は全く悪くない。使っている人間と、それを見て勝手にダメージを受けている自分が愚かなだけだ。


ただやめるには悪い要因だけでなく、最新拡張パッチにあたる暁月のフィナーレが素晴らしすぎたせいもある。これまでの旅路を、けして楽しいことばかりではなかったが素晴らしい時間も多かった道のりを、肯定して、認めてくれたような感覚があった。
ここが、ぼくの旅のフィナーレだ。と思わせてくれた。

 
ということもあり、楽しかったFF14をやめる決心がついた。そこからは速かった。メンバーに連絡し、次のレイドに参加しないことを伝えた。レイドだけでなく、ダンジョンや極シリーズ、アライアンスレイドも含めると戦闘コンテンツだけでも無限にいい思い出を残してくれたFF14。感謝の気持ちでいっぱいだ。

④心からの感謝


ここまで文章を書かないと、やめたことにならないかも、なんだか心がざわついた。そんなゲームは初めてだ。このFF14というゲームで出会って、現実で出会って、今も遊ぶ友人もいる。それだけでもありがたいことだ。

夏には新しい拡張パッチが来るらしい。ここまで終活させても「新パッチなら味見してみるか」少しでもそう思わせるFF14はすごい。

FF14は間違いなく、ぼくの社会人時代に訪れた、2回目の青春だった。


それではまた。

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