うそつき

遥か遠い海原の低気圧が、上昇気流に乗せ浚ってきた低層雲。
潮の香りをたっぷり含み、自転と同調する速度でこんな内地の街さえ飲み込んでいく。
空はとっくに行方不明で、重たい夜気が実在と不在の境を隠す。
白木蓮は、風も無いのに震え、静謐な言葉で闇に話しかけている。
あの夜と何もかも一緒だ。
苦しくて窒息してしまいそうな夜を繰り返していた。
あの夜、一番の高みから僕の世界を嘲り笑う偽ものの月に腹を立てた僕は、そいつを手鏡の中に映し、捉え、地中深く埋めてやった。
-本物の月は相棒の黒猫の瞳に住み続けている-
相棒は僕の足元で不思議そうに、地球の裏側まで届けと掘りつづけた深い穴を覗き込んでいたんだっけ。
偽月をそこに放り投げたけれど、そいつは僕を、今度は下から見上げ、相変わらず含み笑いを浮かべていた。
だからすぐにその穴に掘り出した土を落とし、そいつが二度と出てこれないように埋めてやったんだ。

あれから色んな夜があった。
あの頃と比べれば、悪くない夜もあったかもしれない。
ひょっとしたらあの頃だって、そんなに悪いもんじゃなかったのかもしれない、今はそんな風にも思える。
あの偽月だって、実際そんなに悪いヤツじゃなかったのではないだろうか、だとしたら、今更遅いのかもしれないけれど、掘りかえしてあげないと・・。
夜が去る前にと、必死にあの穴を掘り返してみた。
もちろん相棒の黒猫は僕の足元を離れず、じっとその動きを凝視している。
不思議なんだけれど、放りこんだ記憶など無い、奇妙な物たちが、この穴にたくさん埋まっていた。
ある一つの物が現れると、そこから連想される別の物が数珠繋ぎとなって引きずり出される。

偽月を映した赤い手鏡。
   ↓
初めて付き合った人から投げつけられた(しかも2階からだよ!)手鏡と灰皿
   ↓
父親が吸いかけのタバコを置いていた灰皿に悪戯で息を吹きかけ、灰がそこらじゅうに舞って酷く怒られた・・その時の吸殻
   ↓
タバコの匂いを消すためと、あの人がいつも香らせていた香水
   ↓
ジャコウネコ・・ネコネコ・・ああ君だね・・相棒、君と初めて出合った時に、君が閉じ込められていた、ボロボロのダンボール(・・あの時はすごく小さくて 本当にかわいかったのにな、君はこの箱を覚えているのかい)

もちろんその数珠繋ぎの最後に、偽月がいた。
腐りかけの満月。
土がついたままで、少しおぼろげな薄月。
それでも仄白く発光している。
突然白木蓮のざわめきが消える。
僕の手の中で、偽月が強い光を取り戻す。
次の瞬間、偽月は白木蓮のはるか上空へ(本物の月となって)飛び去っていく。
夜の永久を詠うように月華は咲く。

手鏡を覗いてみる。
やっぱり・・
そこに映るのは僕の顔をした嘘月(ウソツキ)だった。

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