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2004/2005 至る前の前哨譚ep1 【Before softinhard】

こんにちは、softinhardと申します。

この記事(シリーズ)では、
今現在(2021年)に至るまでの履歴/経歴を
想い起しながら、書いたものです。


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自分の過去の話をしたところで、
いまいる自分がそれと直結しているわけではない。
それでも、そこにあったものが、身体の細胞レベルで染み込んでいる。
そんな気がしてならない。 softinhard


2004年の夏から

16の夏から17歳の冬まで(2004~2005)のはなし。

このたった約半年間が、いまだに記憶の端っこにこべり付いて、いつ何時でも思い出させられる。半年のあの一瞬の日々が、いつ何時でも思い出さられる。


ことが始まる前


最初は母親の気まぐれみたいなものだったけど、中学の夏休みに三年間単身で、アメリカ夏休みにホームステイ/サマースクールを毎度いかせてもらっていた。意外と自然と"アメリカ”にあこがれを持つようになり、はまっていく。

「日本の学校いくかよ。自分はアメリカで自由にいく」な風に本気で思っていた。
中学卒業後は、ワシントンのスポーケンで3か月滞在しながら、通えるハイスクールを探し、
私立のハイスクールを見つけ出し入学の申請にはじめようとする
が、911の影響を受けたビザ発行の緒問題により入学を断念した。

ちなみに、中学一年時より、日本からアメリカにいくとき、滞在中はずっとひとりだった。

そのいろんなホストとのとこに滞在してる間は、人間関係とか問題が起きることは多々あり、
もともと人間として成ってないガキの自分が、他人を無根拠に全員見下していた。

中学卒業後くらいには、"アメリカは好きだけど、アメリカ人はクソ”とか言ってた。


留学前の講習・研修

スポーケンから帰国後、
たまたま親の知り合いが、見つけたあるNPOの主催する交換留学プログラムの記事を見つけ、それを受けることになる。

帰ってきてからは、ずっと派遣のイベントの設営バイトをしていた。 
学生ではなかったので、しばらくは社会人というかフリーターであった。

本チャンの交換留学(高校)にいく前に、
日本で語学教室の研修をマンツーマンスタイルで何か月も受講し
一週間ニューワークで他の日本人の生徒らとホームステイしながらの現地研修を受け、アリゾナ・メッサへ赴き、留学がスタートすることになる。

成績等の実績をつめば一年以上期間を延ばすことができ、アメリカの大学入学も努力次第ではできなくない。
みたいな未定の未来のはなしもされていた。

良いことしか耳に入って来なかった自分は、無根拠に想像力は人一倍膨らませてほくそ笑んでいたと思う。

そら、語学は、人並み以上に努力はしていた。
そこは真面目であった。


留学するために高校生に

語学の講習は先に受けていたが、留学にいく条件として高校に通いる事だったので、留学するためにある高校の通信制に入学。週1・2は学校にスクーリングしていた。 通信制の生徒らは定時制と似ているが独特の生徒たちが集まっていた印象がある。 課外活動で遠足にも参加したりしていた。おばちゃんの生徒さんたちと仲良くなったりしていた。

NPOの講師からは、英語だけじゃなく、
マナーや文化、法律も一連(知ってはいたけど)教えてもらってた。
特に、ハイスクールに入り、悪いお友達から絶対に大麻は受け取るな、勿論吸うなって念押しされてた。
研修中成績がよかった生徒が、留学中に大麻を吸ったことがホストにばれ、留学を中断し強制終了したケ―ス
が過去にあったと聞かされていた。

日本よりも簡単に手に入りやすいといっても、自分はそんなヘマはおこさない。
タバコも吸わない自分がそんなクサを吸うわけないだろって軽くあしらい、笑っていた。

両親ともにもともと吸ってたし(母は後に禁煙する)、二個上の兄は吸ってたけど、
その当時は、タバコなんてクソ嫌いだった。嫌煙家で健康至上だったかと思う。

ドラッグや薬やクサでハイになる人らの気持ちが理解できなったし、
父が酒で泥酔している姿をよく見ていたので、そうは絶対に自分はならないと思っていた。

自分は、賢くスマートにお酒を嗜む大人になるんだと思っていたし、そう自分はなると信じていた。

とにかくダサいやつらが嫌いであったし、この留学/アメリカへの再々再々(もっとか?)渡航が"スマートな"自分への一歩いや二歩以上になると
真剣に思っていた。 かすかな経験則を絶対視し、かすかな知識を深く掘らず、信じるものは少なくとも信じたものに疑いの目をむけることはなかった。

それに、留学に行くにあたって、
かつ過去のアメリカでの(詳しくは書かないが)ホストとの確執や関係性の悪化をふまえ、
同じ過ちは犯すまいと、自分本位なアメリカ人嫌悪な考えを捨て、心を改めようとしていた。

むこうに行った際は、今まで以上にコミュニケーションを積極的にとり頑張ろうと心に誓っていた。


大人ではない、ガキではない、なんでもなかったころ


それでも反省や後悔を嫌い、、それらを再び経験することを単に恐れていたのではないかと今更ながらおもう。

そもそもアメリカにいこうが、いかまいが、人間がどう変わるかはその人間次第であるが、変化の比率中、環境変化の比重が大きかったとみえなくもない。

ただ、これら過去の自分に対する評価は、当時の16.17歳の自分自身を思い出しながら、今の自分自身に残るその当時の思考やにおいをたどってのことである。

自分自身の記憶力と嗅覚がどの程度正しいかは、正確に判断できているかは応えることは大変難しい。

この記事はあの頃のある出来事の前日譚であります。
そのメインに書きたいことをスムーズに伝えるための前振りです。
メインの記事は、しばしお待ちを。 待っていてくれることを信じている。

自分の過去の話をしたところで、
いまいる自分がそれと直結しているわけではない。
それでも、そこにあったものが、
身体の細胞レベルで染み込んでいる。そんな気がしてならない。

自分は、いま自分たちがいまどうしているかは知らないし、
知りたくはない。

ただ幸せであってほしい。不幸は勘弁。
一生逢うことはないだろうけど、家族ではないが友達ですらないかもしれないけど、
他人ではない。 血よりも想うやつらがいる。 

クサいはなしはださいですか。 

誰かのためではないけどな。
2021.Feb. 28th 

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最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでもよいと思っていただければ、評価のほどよろしくお願いいたします。softtinhard

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