持久走大会の在り方
我が家の学区では冬の定番行事「持久走大会」
マラソン大会とも言うかもしれません。
真冬の寒い中、半袖&半ズボンで子供達が元気に走ります。
保護者も観戦に行くためトップ争いの親御さんは盛り上がっている。
我が子達は違う意味で目立つ…
毎年3人共にビリ争い。
走ってる子もまばらになり大注目の末、同情の拍手でなんとかゴール。
そんな子供達の姿を見に行くのが私は好きではありませんでした。
しかし
コロナ禍により(我が家の場合はコロナ禍のおかげと言いたい)
保護者の観戦がなくなりました。
安堵していたのは、おそらく私くらいでしょう。
問題は今小2年の娘。
1年生の時の話です。
持久走大会について面談をしたいと学校の先生から電話があったのです。
どうやら、娘は心が先に折れてしまい最後まで走りきれない。
途中から歩いてしまうため、周回遅れどころではなくなる。
とのこと。
なかなか前向きに参加できないようで、気持ちが落ちなければ、
本来そこまで遅くはないはずとのことでした。
あまりにも時間差があるため、娘だけ1周減らして走る方向にしたい
とのことでした。
先生「もちろん競技時間の問題もありますが、何よりも学年全員かつ保護者もいるという中で、自分が走り終わるまで皆から視線を浴びるということは本人にとって走ること以上に苦痛で辛いのではないかと思うんです。
私、この持久走大会のシステムを変えていかなければいけないなって思ってるんですよね。」
との先生からのお話だったのです。
私「いやぁ…他の子達は頑張って皆、同じ距離を辛くても走っているのに娘だけズルしてるみたいで、ちょっと心苦しいです。
ですが、先生が思ってくださってる通り、娘だけすごい遅くて皆に注目されて早くしろよみたいな視線と心あらずのがんばれという声援の中で走ってる姿を私はかわいそうで、見ていられないのも事実です。保護者の観戦がなくなり正直ほっとしています。」
と伝えました。
結局、1周減らして走ることに決まりました。
支援員さんも一緒に走ってくれるとのことでした。
私ができること。
娘と走る練習を少しでもする。
ということで、その日から持久走大会まで、夕飯後に近所をマラソンしました。歩いたり走ったりの繰り返しながらも持久力が少しでもつけばとの思いでした。
大会当日は練習の成果もあってか、折れてた気持ちから脱皮できたのか、
ビリではあったものの皆と同じ距離を走れたと報告がありました。
…ということがあっての今年
なんと!
なんと!
「持久走大会は本年度から順位をつけないことに決まりました」
とのお手紙が!
あの時の先生の思いがよみがえりました。
先生が現実にしてくださった。
時代と共に変化していく学校行事。
先生方の考え方。学校の在り方。
私は、そして娘はすごく救われています。
感謝でいっぱいです。
順位をつけない持久走大会は?
というと。
「決められた時間内に、どれだけの距離を走れるか」
という形に変わったそうです。
これにより、ビリの子がいつまでも1人走っていて浮く
ということがなくなりました。
もちろんタイムの順位はあるとおもいます。
賛否両論あるかと思います。
ビリになりたくないなら努力して頑張って走ればいい。
悔しいからこそ、次頑張れる。
といった劣等感をバネにできるような子もいる。
でも、劣等感をバネにできず更に強めてしまう子もいる。
そんな子には(娘には)救いとなる出来事でした。
今日もお読みいただきありがとうございました。
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