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審判のカード

審判のカードをひとつのフレーズに落とし込むとすれば
「人生における区切りの時期を天使がファンファーレで知らせてくれる」という形に落ち着いた。


ウィキペディアによれば、審判とは「ある問題について検討し、その是非や適否などについて結論を出すこと」とある。


経験の少なかった若者が紆余曲折を経て様々な経験を積む。やがて数知れない選択を繰り返しながらたくましく成長していく。


人生は、前進する時、途中成果を仰ぎ見て選択し変更する時、成果を受け取る時、の流れの繰り返しとも言える。


大アルカナ22枚の最後から2番目のこのカードは、試行錯誤を繰り返してきたひとつの結果として示される。


棺桶から天使のラッパを聞いた人間が生き返る絵柄は、これまでの生き様の判定が下されることを彷彿とさせる。
キリスト教における復活とは、全ての人が今まで善行をした者も悪行をした者も、最後の審判の日には全ての人が復活するとされている。


善行を行った者は新しい生命の復活に出て、悪行を行った者は裁きを受けるために復活するとされる(ヨハネによる福音書による。ウィキペディア参照)


何をもって善行、何をもって悪行と解釈するかは、それぞれの価値観の違いがあるが、考察の助けになる事がひとつ浮かんだ。


そっと胸に手を当てて自身の信じている道徳観に向き合った時、すんなり気持ちが楽になる感覚が有れば善といえるのではないかと思う。


善行がどういうものなのか?という答えは一人ひとりの心のありかと紐付けられていて、第三者的な判断ではなく、案外内側を反映したものなのかもしれない。

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