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官足法の私的理解


【これは、実際の身体技法を述べたものではなく、読み物です。】

ひょんな事から人に誘われて連れていかれた官足法だったがおよそ3年が過ぎて、やっと私なりに全体像が見えてきました。そこで自分なりに理解した官足法についての見解を述べてみたいと思います。官足法は実践的な身体技法ですから、実施がすべてと考えられますが、実は自分なりに理解していることと、その本質を言語化できないという理由によってテキストとして提示されていないものもあります。それは官足法に限らず、武道においても、体育においても、みな同じで、身体技法は言葉だけでは通じません。
ましてや、近代科学的な方法では言語化できないような部分もあるので、各出版社なりメディアが取材に来ても「痛い療法だ」ということを面白おかしく報道するしかなく、真の意味での内容は伝わっていないといえるのです。
それを、なんとか言語によって真相に迫ろうとすると、やはり別方向から攻めるより他ないのだろうと考えるわけです。じゃどうすればいいのかというと、語りえないものを語ろうとするスタイル以外にないのではないかと思います。それは矛盾する表現をあえて述べていくことです。先に話したことと違うじゃないかと言わずに、その時々の文脈で理解してもらうことなのです。

官足法とは何だったのか

まず、官足法とは、官有謀先生(さすがに呼び捨てにはできないので、先生とつけさせてもらいます)が考案された足もみ健康法でその原理は、ベストセラーである『足の汚れが万病の原因だった』(文化創作出版)にほぼ十全に記されています。
ここにうまく説明されていないものがあるとすれば、それは何故反射区なるものが足裏にあるのかということが十分に説明されていないと思います。
公式見解では「全息胚学説」で説明しようとしているのですが、もう一つピンとこない。(この件については後述します)
しかし、およそそれ以外についてはすべて述べられている教科書といってもいいようなものです。
その原理と言うのは、
① 血液の循環を良くして各組織に十分な栄養と酸素を送り届けること。
② その循環によって、リンパの流れを良くして免疫機能を上昇させること。
③ 足裏に身体全体の反射区なるものがあって、それを刺激するとことによって各臓器ないし部位の調整能力が高まるということ(身体の治癒力を向上させる)

この3つがあります。
また、足裏なので副作用というものがありません。臓器がないので、痛めることはないのです。骨と筋肉だけですので、自分1人できて効果が高いという特徴もあります。
健康的な身体を持っている方には、それほど実感はできないでしょうが疾患を持っておられる方には十分に効果が期待されるとおもいます。ただ痛いということがあるので、この痛みが効果につながっているということを実感してもらえないと長続きはしないでしょう。
実際的なテクニックについては、施術本に譲るとして、どのように論理的に納得させるかという事について言語化してみようと思います。(ロジックとして落としていくということ)

理屈より先に実践してみること

言語化してみたいと書きましたけれど、実は実際に足を揉んでみる方が早いといわねばなりません。そういうジレンマがあるのです。100%実践が大切だということを表明した上で、論理的に説明できるように仮説を述べてみます。
これは官先生の著書を踏まえての見解なので、改良は可能だし、これからも手を加えることができます。皆で共有したいと考えています。

実践と理論の設定にあるのですけれど、どうしてもいっておきたいのは、矛盾するようですが、言語理解を先行させることは二の次にして、言語で理解せずにまずは体で感じることが大切だと力説したいのです。何をいいだすのかよくわからんと思われるかもしれませんが、言語思考から入っていこうとする事は、そもそも誤解を生むという困難があるのです。
逆に実践で身体技法に入っていく人には、その理解のところでとどまらず、もう一歩先へ進み出していくことを期待します。実践は「わかった」と思ったところで停滞するので何とかさらにもう1歩先へと進めてほしいと思います。

足裏の反射区などと言うものがあるのか

そこで原理論から述べてみましょう。
私見によれば足裏に反射区があるという、末梢神経*の束というのは、身体がフラクタル構造をしているからだと考えられます。フラクタル構造というのは、幾何学の概念で自己相似性という構造のことで、図形の全体をいくつかの部分に分解していったときに全体と同じ形が再現されていく構造のことだとされています。つまり部分は全体の構造と同じ、または同じ形をしているのです。逆に全体は部分と同じ構造なのです。

*末梢神経は、現代の解剖学的な知見とは大きくかけ離れています。


このことは、一般的にはよく知られている雪の切片や、波形がよく引用されます。大きな波の形はそのままその小さな波の部分と同じ形をしているのです。形だけではなく同じ構造をしているのだと。
おそらく身体は見た目には、それぞれが全く違っているが同じ構造でできているのです。反射区は足だけではなく耳にも顔にも胴体にもあるといわれていいます。特に手足の反射区についてはよく知られていて地図も出来上がっています。
心臓から遠い部分ではなく、末梢神経の束は各所に存在しているのでしょう。それぞれが部分であるとともに全体をなしていると。
このことは、その人体という小宇宙が大宇宙である宇宙そのものへとつながっているという解釈も可能でしょう。宇宙につながっているというよりも宇宙そのものだと類推することができるでしょう。
また、このことは19世紀末から20世紀初頭にかけてルドルフ・シュナイダーなど神秘主義によって、ミクロコスモスとマクロコスモスの一致などと提唱されたことからも、人類が近代的な「宇宙」という概念を初めて知見として知ったときに、組み合わせて語られたものです。この神秘学とは同じように考えなくとも、人類も宇宙の過程の中で生まれてきたものである以上、宇宙の出来事と無関係であるはずもないのです。当然のこととして類推されることでしょう。

官有謀先生 は『大自然と人間の健康』(文化創作出版)の本の中で宇宙のエネルギーと生命の存在についての見解を詳しく述べています。
宇宙のエネルギーといっても、端的には太陽エネルギーのことであり、太陽光そのもののことです。この光が地球に降り注いでいることによって、我々人間は生きているというより生かされているのだという考えです。
その現れは、呼吸1つをとってみてもわかるように、呼吸は1分間に約18回行われます。それは太陽光が肺をおしてしているからなのですが、光は粒子であるとともに波なので、これが人体の呼吸と連動しているというのです。光というより直接的には大気のことになるけのですけれど、大気に高気圧と低気圧があるように波を持って地上を、そして生命全体を押したり引いたりしているのだといいます。その証拠は、風もない湖面または海面でもいいですけれど、小さく波打っている。それは1分間に18回であるといいいます。そして18 × 2 = 36、 36は36度の体温であり36 × 2 = 72というのが心拍数、そして血圧の拡張血圧だということです。72 × 2 = 144が収縮期血圧つまり上の血圧の値というふうに連動しているのです。同書の中で次のように述べています。

大自然(大宇宙)と、人間をはじめとする地球内生物(小宇宙)とは、一体となって調和と法則のもとに在ってあるもの、として判然として来るのである

この原理説明は、銀河系までおよんでいるが大宇宙と小宇宙論が出てきます。
しかし振り返ってみるなら、人間が宇宙と連動しているというより、そんな宇宙そのもの中で人間が生まれてきたのであるから話は逆なのでしょう。
宇宙の方が先だったので、その宇宙過程というものの中に人間もいるのだと考えた方が正しいのだろうと思えます。そしてそれは、フラクタル構造をしていると。そのことを証明しようとすることは現代の科学知識では証明困難ですけれども、そう考えた方がうまく説明できるという事はいえるのではないでしょうか。

陰陽五行論に触れて


陰陽五行論を使った説明がなされます。これについても触れない分けにもいかないのですが、これについての見解は、必要条件であっても十分条件じゃないのではないかというのが私の見解です。一方通行としては、説明できますが、逆も真なりとはならないことです。
そこで、私の見解としては官先生の著に譲りたいと思います。


以上の原理論を踏まえて現時点で私の考えているいくつかの項目について私見を述べてみます。


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