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土葬じゃいけないのか?―高橋繁行『土葬の村』(講談社現代新書)を読んだ


 
 
ひょんなご縁からこの本を読むことになった。初めて書店で見て目に触れた時は、少し手に取って立ち読みしたことがあったのだが、この特異な文体に親しみを感じた事は確かだった。
その時は、そのまま立て積みの書棚に戻したのだったが、思わぬ方向から紹介されて、あの本だったのかと思い出してさっそく買いに走った。そして読み始めてみると面白くて最後まで一気に読了してしまった。
なんといっても圧巻は第一章の自らが取材して、その報告としての書き残しているような現在に残る土葬の実態といえるルポルタージュだろう。
今、ルポルタージュと書いたけれど厳密にはルポではないだろう。それは初見の時に抱いた感覚と同じようなもので、レポートと言うような現代に生きるジャーナリストとしての価値観から、第三者的に取材としての土葬を見るような視線ではないことだ。そこには、土葬への共感とともに寄り添うような目線があって、それがこの本の文体に特徴を与えている。それは民俗学的な文体とも違っていて、もっとあっさりとした、そして実にリアルであって、民俗学が作ってきたような叙情と感傷を伴った文体のようなものではない。
有名な柳田国男の『遠野物語』に見るような明らかに柳田国男という文学者が作った物語という文体ではないということなのだ。そこには物語としての構成がなされていて、あることを示そうとして主張する意図が入っている。そういうものが高橋にはない。
また文化人類学的な方向からは、何か原理的なものを見つけ出そうという論理の網がかけられているのだけれど、そういうものを見つけ出そうとする姿勢すらない。ただ淡々とそしてとつとつと書き下されている。それゆえにエピソードの順序が時間軸を行ったり来たりするし、文脈と関係のないようなエピソードが突然出てきたりするのも面白い。
おそらく事実というものは劇的なものでもなく、何か原理的なものでもなく、さらっとしていて、ただそこにあるものでなければ話の落としどころもないようなものが積み重なったものだろうということが想像される。まさに実存。
例えば57ページにこんな文章がある。


土葬をなぜ続けるのですかと50代の男性に尋ねた。
「それは焼かれるのはかなわん。暑いやんか」とおどけながら、「死んだら故郷の土に帰りたい。それだけや」彼はそう答えた。 


焼かれたからって、死んでいるのだから、わかるはずもないというとそこまでだけれど、何とか答えようとして言葉にして見せたというだけのものなのだろう。故郷の土に帰りたいというのも、故郷なんてなくなってしまった多くの現代人からすれば、土になんてかえりようがないし、都市生活者には不可能だし、あまり説得力のあるもののようには思えない。それでも実はこの程度の事こそが現実なのだということではないだろうか。
 
高橋の構成は、第一章は土葬で第二章が火葬で、第三章が遺棄葬、そして第四章がそれら葬儀に関する怪談、奇譚を紹介している。その果てに何らかの結論を見いだすわけでもなく、土葬復活を願うわけでもない。
高橋自身は死んだらどうして欲しいんだろうかと想像する。記述の合間に書き残している身辺の記述からするなら、京都市中央斎場(旧花山火葬場)で火葬されると考えているのか、それとも何も考えていないのだろうか、わからない。
 
高橋の本の紹介のつもりだったから、ここらで終わってもいいようなものなのだが、これは書きモノだからもう一歩踏み込んでみよう。
高橋の記述を読み進めると、人類における葬儀は遺棄葬(風葬、鳥葬も含む)から土葬となり火葬へと進んできたように分析しているように見える。
 
遺棄葬→ 土葬→火葬
 
このように示せるかもしれない。それをなぜか、高橋は土葬から始めて、火葬を語り最後に遺棄葬を問題にしていた。この記述順序からして普通ではない。そこに何か意図があるのだろうか? 大学紛争時に自死した青年の土葬を言いたいがための土葬からの書き出しだったのか、それとも長年土葬に関する取材を続けているので、そのメインの仕事から始まったということなのだろうか。そっと忍ばせる高橋自身の生きてきた人生で、差し迫った体験が実に身につまされる。
 
ところで、記述の中で気になったのが、成人の葬儀とは違い子供の亡くなったときの取り扱いがいかにもぞんざいというか邪険に扱われていることだ。七歳までの子供は神のものなので神に返すとあるけれど、それならもう少し丁寧でもいいはずなのに、そうではないという。高橋は村落共同体が出来上がる以前の葬儀の名残ではないかといっている。それでは共同幻想の成立以前ということになる。
共同幻想なる概念を吉本隆明は禁制論から書き起こしていた。それはタブーから始まったのだった。この村落共同体成立以前といっても、死は恐れの対象だっただろうし、タブー視されていたものに違いない。タブー視されていて、怖いから捨てたのだろう。そうだとすると、すでにタブーはあったのだが、まだ共同幻想は発生していない時期にも葬送の儀礼は〈捨てる〉 (放置するものではない。動物ならそこで死んだら死んだままである)という儀礼があったということになる。そしてそれは家族というか近親者が行うもので、対幻想下でなされたと考えられる。それは今日でも喪主は近親者がとりを行うことにもつながっているとする主張は、そのとおりだと考えられる。その対幻想下の死体処理というものが、村落共同体という共同幻想下においては、土葬へと変化したのだろうか。そこには自然と人類が心情的変化からおこなったということではなく、やはり何らかの権力の押し付けがあって進められたものだと思われる。それはいわゆる同調圧力なのだろう。そこが火葬になるともっと顕著になり、国家権力が出てくる。行政により火葬場の整備とそのシステム化が整備されてくる。それを推進していくのは〈衛生面〉というキーワードだろうか。
でも、高橋の本を読めば、わかるように事態は逆であって、173ページからあるように、火葬自体は弥生時代からあったようで、1873年(明治6年)には太政官布告によって火葬が全面禁止され、1875年(明治8年)に逆転して火葬禁止が撤廃されているという混乱がある。これはおそらく火葬というのが野焼きだったからだろうが、決して国家権力とつながっているわけではないことを示している。むしろ土葬にしても野焼き火葬にしても、あまりにその実態が過酷だったからだと高橋は推測している。
それでは現在の火葬はどうなっているのかというと行政による火葬場が設けられ、かつ死亡診断書ないし死体検案書が確認されていないと火葬もしてくれない。また火葬証明書がないと墓にも納骨できない。そのようにシステム化されている。ただし土葬が法律上で禁止されているわけではないので、やろうと思えばできない事はない。遺棄葬も散骨といって海に撒いたりすることもあるけれども、それでは死体そのものが遺棄できるかというとそれは無理だろう。おそらくそれでも手続きはそれなりに大変なものだろうと考えられる。
ともかく、死体処理に関しては、無縁仏の行政による処理から、国葬という大規模なイベントまでその幅はかなり大きいバリエーションがあり、直接の処理も遺棄葬あり土葬あり火葬ありである。
それを三層構造になっていると仮定するとそれは地域により時代により、波打っていると考えられる。ほぼ、火葬がほとんどを占める日本からアメリカの47%、イギリスの75%、フランス35%、スペイン47%、韓国は1994年には20%だったのが2015年には80%になっている。そこには「葬事等に関する法律」の改正があるという。インドは遺体に執着しないので、火葬にしても灰は川に流してしまうし、納骨のための墓もない。ミャンマーはアニミズムと仏教の支配する国なので、火葬場でやいても収骨するのは一部にかぎられるという。
このように、地域により宗教により様々だという事、そして絶えず変化して波打っていると考えられる。つまりこうしなければならないというものは無いのだ。それは地球儀にあてはめるなら立体であって海上の波のようにうねっているのだろう。
 
もう一つ、飛躍して推論してみるなら、次に来るのは宇宙葬だろうか。その時の共同幻想がいかなるものであるのかと想像してみると、地球も宇宙の中の一つだから、地球に戻らなくても宇宙に戻ればいいというものかもしれない。そこで早速ネットで探してみると「宇宙葬」のサイトがあった。それはカプセルに遺灰を入れてロケットで打ち上げるもので、それはいずれ地球へ向かって落ちてきて燃え尽きるというものだった。すでにアメリカでは始まっており専門の企業もあるようだ。しかし、完全に死体を宇宙に放出するというわけではないので、宇宙葬とは言え宇宙葬とはいえないかもしれない。やっぱり、故郷である地球に戻ってくることを想定している。ここは故郷の土へ戻りたいという共同幻想から外れていない。それどころか、そのまま放出すれば宇宙ゴミと言われるので、そのままではできないだろう。人類も宇宙から出てきたものだという共同幻想に至るにはまだまだ時間がかかるだろう。
 
こんな妄想をしていたら、文脈からどんどん離れていくけれど、人は一人では死ねなくて、死んだ後の処理まで考えおかなければいけないという気がしてきた。現時点での現実的な対応を考えるなら、火葬にしてもらって、墓に入れてもらうのが一番のスムーズな処理だろう。わがままを言っては残された者に負担を強いることになるし、所詮死んでしまえば自分ではわからないわけで、実際にそのように処理してもらえるかどうかわからないけれど、言い残しおきたいと考えた。ウクライナのように突然の紛争で、遺棄される死体になるかもしれない。
 
死ぬ事は、死そのものを考えるというようなことではなく、もっと娑婆世間的な意味で猥雑な世界が広大に広がっていることを感じた一冊になった。
死の議論における宗教的な内面の問題よりも、もっと宗教儀礼的なものを巻き込みながらも、やっぱり娑婆世間の問題であることを大いに考えさせるものになった。それはやはり高橋の死の観念にできるだけ深く立ち入らない、意味を求めない、何らかの結論にいたらない、取材姿勢にあったのではないかと思う。あるがままを取材してきたという実存にある。
いつも現実とはこんなものなのだろう。

追記
高橋氏は切り絵作家でもあり、絵本も出版されています。その完成度は高く、独特の世界観を開示されており、氏の著書の文体にふさわしいものとなっています。折から、お会いできる機会があって立ち話程度でしたが、お話をすると、お若いころに文学に傾倒されていたそうで、なんだかあの文体の秘密を垣間見たような気がしました。そうだとすると、これも文体だったのかと危惧するのですが、それにもまして、心地いい文体だと感じました。書き下すという事は、あくまで文体であって、何らかの文体下にあるわけです。それは避けて通ることはできません。その意味でも、次にどのようなご著書を出版されるのか期待したいところです。
これらの仕事の延長上に『いぶきどうじ オニたんじょう』(みらいパブリッシング)がありますが、伝承というか、単なる昔話になるのか、よくわかりませんが、第二章近刊とありますので、どう展開するのか楽しみです。


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