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霊的開眼とは何か 第5章谷口亜沙子『ルネ・ドーマル 根源的な体験』

第5章谷口亜沙子『ルネ・ドーマル 根源的な体験』


これまで、仏教とキリスト教の神秘主義を見てきた。それぞれ、残してきたものというより何も解決しないまま通過してきたようなものだけれど、かすかに霊的開眼の近くをかすめたような気がする。
霊的開眼などという言葉が、決して今日的でもなく、霊的などと言うと、鈴木大拙の『日本的霊性』を思い出すかもしれないが、そのような大きなくくりでもない、しかし、宗教的な体験として明示されるような、宗教文書だけが対象ではないのだ
それは文学の中にも存在したし、いや宗教文学という、宗教の中の文学としてもあったが、ここは文学そのものの中で起こった現象として、とりあえずあつかってみたい。
なぜドーマルを扱うのかというと、彼の『類推の山』という作品が、若い頃から気になっていて、ずっと関心を持つ持ち続けていたからで、数少ない彼に関する本に出会って、再度、いつかは検討してみたいと考えていたからだ。
そこで、ルネ・ドーマル自身の作品ではないけれど、谷口亜沙子の『ルネ・ドーマル 根源的な体験』を中心に議論を進めてみたいと思う。
まずはルネ・ドーマルという文学者がどういう人であったか? から始めよう。
谷口亜沙子に簡潔な紹介文があるので引用してみたい。

ルネドーマルは、1908年生まれのフランスの詩人で、二大大戦間に活動した短命な前衛グループ〈大いなる賭け〉の創始者として知られている。14歳の時にランスのリセに転校し、のちに詩人として知られるようになるロジェ・ジルベールコントや、のちに作家として名を成すことになるロジェ・ヴァイヤンと知り合い、「サニプリスト兄弟」を結成した。この少年たちがパリに出て、新しい仲間を集めながら、1927年から1932年まで〈大いなるか賭け〉というグループとして活動した。〈大いなる賭け〉のメンバーには、画家のジョセフ・シマや詩人で批評家のアンドレ・ロラン・ド・ルネヴィル、挿画家のモーリス・アンリや写真家のあるアルチュール・アルフォなどがいた。〈大いなる賭け〉は、同名の雑誌『大いなる賭け』を第3号まで刊行したが、第4号の資金繰りが行き詰まっていた1932年に、メンバーの政治的な態度の違いをめぐる内紛をきっかけに、解散することになった。
〈大いなる賭け〉の解放に先立つ1930年秋頃、ドーマルはアルメニア出身の神秘家グルジェフの弟子アレクサンドル・ザルツマンと出会い、彼を「師」と仰ぐようになっていた。だが1934年にザルツマンは他界し、その後は、ザルツマン夫人ジャンヌのもとで、〈大いなる賭け〉の参加者でもあった伴侶のヴェラ・、ミラノヴァと共に、真理の探求のための修行を続行した。第二次世界大戦中には、ユダヤ人であったヴィラを連れての逃亡生活を余儀なくされ、極度の物質的貧困と結核による衰弱の中で執筆を続けた。1944年5月21日、遺作となる『類推の山』(未完1952年)を残して、36歳で死去した。

著作としては、この『類推の山』と前著となる『大いなる酒宴』(1938)があるという。ほかに詩集『反=天空』(1935)があり、思考的哲学的なテクストをまとめた『不条理な明証性』、『言葉の力』が死後に刊行されているという。またサンスクリット語を独学でマスターし、古代インド思想の解説翻訳も行った。こちらの方面は死後『パーラタ』に収められているという。
ルネ・ドーマルは〈大いなる賭け〉という20世紀初頭のフランスにおけるシュールレアリスム運動との絡みで出てくる様々な運動や詩人作家たちの絡みであった時期と、〈大いなる賭け〉解散後の独自の修行と探求の時期に分けられているようだ。
もちろん本稿で関心のあるのは後半の東洋思想研究を初めてからの身体技法を取り込こんでインド哲学へと傾斜していたこの時期であり、これが前半の〈大いなる賭け〉と称する早熟な少年たちの行動と挑戦との絡みから、未知への挑戦として出てくる点が面白いと考えている。
このような文学運動の中で出てくると予想すれば、ラフォルグやランボー(いち時代前であるが)を想像していたけれど、文章を読むと、そんなにエキセントリックではないし、またいわゆる芸術家風でもない。むしろ思索的にして、神秘化的でもあり、散文風の気質を残している。詩にしても今日のような行分け詩ではなく散文であって、文体が主というよりその語る内容が重視されていることがわかる。そしてもちろん関心を示しているのが、この根源的体験というものだ。この根源的体験というのが霊的開眼とどう対応してるのかということに関心がある。
根源的体験については谷口は二章「一なるもの」で集中的に語っているが、その前に、面白い指摘が二つほどあるのでそれに触れてから入ろう。
その一つは序章にある「光」だ。

ドーマルが「中心にある生の光」と読んだものが、実際のところどのようなものであったのか、彼はいかにしてそのような「光」を求めるようになり、いかにしてその「光」に照らされながらーあるいは照らされたれようとしながらーそれ以外の「一瞬一瞬の、あらゆる小さな生」を生きていたのかを、できるかぎり明らかにしていきたい。

これが序章の終わりの言葉であるが、またしても「光」だ。どこを見てもいつもこの主の霊的開眼に光がついて回る。また光が登場する。何故に光なのかは別にしても、ここで述べている光と言うのは、前段に戻ると、ドーマルの「一(いち)なるもの」つまり一元論を唱えていたのだとわかる。わかりやすく言うと、一神教なのだ。一元論的な、(非二元論的)一つになるものが展開していくというのが世界なのだとする考えであったということだ。それはインドの正統哲学であるバラモン教の影響を受けているし、その流れの偉大な哲学者であったシャンカラの名前が頻出することを見てもわかるだろう。またそのことが、「言語と行動、思想と身体、書く自分と書かない自分とは切り離しうるものではなかった」という前提に立った生きにくさのことであり、その中にある一つの中心にある生の光だったと言うことだ。
これが何を意味するのかは、本書において解き明かしたいという立場に立っているが、それが十全になされているのだろうか。

もう一つは、「網膜外視覚実験」と呼ばれるような、実験してみようとする行為だ。この「網膜外視覚実験」というのは次のようだ。

目を閉じて目隠しをされた被験者が長い椅子に横たわり、胸の上に置かれたものを手で触知する。ただし、対象物はガラスの下に置かれたり、明かりのついた蓋つきの箱に入れられたりしているため、その形状や感触を指で知ることはできない。だが、ドーマルは指先を箱にあてながら、熱い、冷たい、何色である、等々、中の物体の印象を「描写」していった。明かりがない場合でも内部のものが「見えて」いたケースがあり、そうなると、網膜外視覚というよりは「透視」に近くなる。

このように記されているが、要は実験してみようという、科学的にして医学的な見地からやってみようという精神である。
もうひとつ面白いのは、「アイソレーションタンク」と呼ばれる硫酸マグネシウム水溶液が満たされた装置の実験だろう。これは塩分濃度の高い、浸透圧の高い、「死海」に入った時のようにふんわりと体が浮き肌に何かが触れるという感覚がなくなる水溶液で、照明もなく、何も聞こえない状態にするもので、一切の感覚情報が消滅する装置であった。すると「身体から自我が抜け出す」感覚や、「自我がずれる」感覚が生じるのだという。本当かなと思ってしまうかもしれないが、何となく想像はできるが、果たして「自我が抜け出す」というのはわからない。ドーマルを含めて、いつもヨーロッパ人は自我ばかりだから、そういう感覚になるのもなんとかわかる。それにしてもなんとも面白い実験だっただろうと思える。
これは霊的には幽体離脱というのだろうか、と考えるが、そんなにたいそうなことではなく、むしろ感覚の変容ぐらいのものだろう。

ともかくこういったことをやってみるという実験思考というか、その試みを持っていたということだ。
そのことが、自分一人の体験ではなく、他者にも開いているということで、社会に向かって開いていたということが重要なのだ。
他の人にも起こりうるという前提に立っていたということだった。
この点を加味しながら言うところの「根源的体験」を見てみよう。

まず、この本に収録されているドーマル本人の「根源的体験」と題するエッセイを見てみよう。
このエッセイには「決定的な思い出」という副題がついている。訳注によれば、これは本当は、「決定的な思い出」であったものが、ドーマルがなくなったために、ジャン=ポーランが、独自に別の雑誌に「根源的体験」として発表されたものだという。そしてポーランは、ドーマルに単独で出版するよう求めていたというエピソードが話されている。ドーマルは断ったようである。それは「単独出版すると、テクストが文学的なものとみなされやすくなるが、自分の「証言」はむしろ、あまたの証言の一つとして、『哲学的な調査への貢献』として読まれたいと願ったためである」となっている。ここでも、先の実験主義と科学主義が垣間見られるんだけれども、本文を読んでみるとやはり文学的なものになっている感は否めない。
文脈をたどってみると、そもそもは、死というものを意識して「無」という「それっきり何にもない」ということの不安に下腹をえぐられたという思いがした体験からスタートしたと言っている。
11歳の頃であったという。ただ恐れることだけではなく、全身の力を抜いてみると、「未知なるものを前にしての恐怖心と、身体器官が攪乱されるような感覚を鎮めることができた」とし、探求を始めたのだとある。
そこで、死は直接体験することはできないので、眠りの研究から始めたという。死と眠りの間にはアナロジーがあると思ったのだと述べている。
それがエスカレートして、四塩化炭素を使った実験を行うようになっていった。四塩化炭素というのは、溶剤や消火剤や冷却剤として使用されていたが、強い毒性のために使用が禁止されているという。人体に対しては麻酔性があり、高濃度の蒸気や溶液にさらされることにより中枢神経に悪影響を与え、長期に暴露した場合では昏睡し、そして死亡する可能性があるといわれる。非常に危険なものである。ドーマルたちもそれは知っていたようで、ハンカチに少し浸して、鼻のあたりに持っていって、気を失いかけたら、手を落とすことになるように工夫していたので大丈夫だろうと話したとある。友人たちに見守ってもらいながら実験をしたというのだ。現在的に言うなら、薬物遊びの非行少年たちということになるのだろうか。
ともかくそれによって「別の世界」に投げ出されたのだと言っている。長い引用になるかもしれないけれど、そこをどう記述しているのか見てみよう。

最初は、ごくふつうの、窒息したときの症状になる。動脈が脈打ち、①耳鳴りが聞こえ出し、こめかみがどくん、どくんと音を立てる。外部の物音はどんなに小さいものでも、たまらないほどはっきりと頭に響き、②ちらちらする光が見える。続いて、お遊びはもう終わりだ。これは本格的だ、という感じがやってくると、その日までの③自分の生涯が走馬灯となって見えてくる。それは、少々苦しいことではあったが、ふつうの身体的な具合の悪さとそれほど異なるものではなく、知性は完全に自由なまま、ぼくは自分に向かって繰り返すことができた。眠りこまないように気をつけろ、④今だ、今この瞬間こそ、しっかり目を見開いておかなければ、閃光がちらちらと目の前を踊り始め、やがてその光が空間全体を占めてしまうと、血管の音がひときわ高くなり、そのときはにはもう、いっさいの言葉は使えなくなっている。自分自身に語りかけることすら不可能なのだ。思考のスピードが速すぎて、⑤言葉はただ置き去りにされる。手はまだガーゼを抑えており、自分の体がどうなっているのかは正確に把握できている。そばで言われている言葉も聞こえているし、その意味も理解しているーというようなことを、ただの一瞬のうちに、いっぺんに考えていたが、突然、事物も、言葉も、言葉の意味も、その意味を失ってしまう。ちょうど同じ言葉を何度も何度も繰り返しつづけたあげく、その言葉を口にしてももはや何の意味も感じられず、違和感だけが残るときのように。「テーブル」という語が何を意味するのかはまだ理解でき、それを的確に使うこともできるが、もはやその話が何も喚起しなくなった状態だ。つまり、通常の状態にあるとき、自分にとって「世界」であったようないっさいは依然としてそこに存在しているのだが、突如として、その実質が抜き去られてしまったかのようだった。⑥「世界」は、同時に空っぽで、不条理で、正確で、ただそうあるほかのないものだった。しかも、その「世界」は、現実性を欠いたものと見えた。ぼくはその「世界」よりも、もっと強烈に現実的な世界からそれを見ていたからだ。瞬間的だが永久的でもあり、現実性と明証性に燃える燠のようなその世界に、ぼくは火の中に落ち込んでいく蝶のように、くるくると投げ込まれていった。そのとき、確信(ヽヽ)が生まれたのだった。だがこれから先は、言葉はただ、起こった事態の周辺をうろつくことしかできない。(数字は引用者)

この「確信」と言えるものをあえて言葉にすると、
A:何か別のものが、向こう側があるのだという確信。
B:別の種類の違うのだという確信。
C:「向こう側」をじかに知り、その生々しいリアリティーに触れた。
D:夢が覚醒状態の中に含まれているかのように、通常の状態のことを完全に意識できていたし、理解もしていた。
E:この圧倒的な啓示の記憶は薄れてしまうことだろう。だが、真実を見ているのは、今この瞬間なのだ。
F:「そうなんだそうかそういうことなんだ」というのがぼくの思考の叫びであった。

およそこのように分析してみせる。
これが根源的体験であると語っているわけだけれど、今説明しているのは、霊的開眼についての異同について問題にしているのであって、その点から考えるなら、この核心であるAからFはまさにその通りだと言えるだろう。宗教的体験なのだ。
本文中に入れた①から⑤は次のように言えるだろうか。
初めの①②④は瞑想中にも現れる現象であって、不思議なことではない。幾多の証言にも登場する光であって、光はどうしてもキーワードのようだ。
③は臨死体験の証言の記憶としてよく登場するもので、⑤は言葉が置き去りにされるというよりもどうしてもそうなるといったほうが正しい。つまり言語思考(シンキング)というものが、消えていく思考なのだと考えられる。⑥は根源的体験の本質であり、世界の本質ということだろ。これが、霊的開眼とかなり近い。
そして結果としては、「気を失っていた」とあるのでそこで、この実験は終了したということなのだろう。
また、この語り口は、アルダス・ハックスレーの『知覚の扉』を連想させる。
ドーマルの凄いところは、この表現で終わることなく分析してみようとする態度ではないだろうか。
まず、概念については「同一性」という観念を中心として、その周辺を回っていた。ユークリッド幾何学的なものではなく曲がった空間だとする。
次に、時間については、「究極の瞬間と最初の瞬間は永久に等しく一瞬のうちに一切が震えていた」として、時間性は無いのだとしている。いわゆる時は流れずなのだ。
次に数については、「無数に増殖する点、円、および三角形が、一瞬のうちに再生を反復する『一なるもの』に合致する」ここでも一なるものつまり一元論が出てくる。
次に論理的なカテゴリーで言うと、「因果関係のカテゴリーでいえば、原因と結果は互いに互いを内包し、一瞬ごとに発展し、その実質的な同一性は、ぼく(ヽヽ)が(ヽ)存在(ヽヽ)する(ヽヽ)ことによる真空あるいは穴によって不均衡がもたらされ、原因と結果は互いに入れ替わる」という。
ヴェーダンタでは、(このエッセイではシャンカラは出てこないが、『バカヴァット=ギータ―』の名称が出てくるので、ヴェーダンタの一元論を意識しているんだろうという事は間違いがないように思われる)因中有果論であるから、原因と結果は互いに入れ替わるというよりは、原因の中に全て結果はあるのだということになる。
問題は「僕が存在することによる真空あるいは穴」という表現であって、これが何を意味するのだろう。世界が空っぽだということとつながっているのだろうか。
後段で「有限な存在と非存在が無限の中で一致している状態」と言っているので、ぼく=有限な存在、非存在=もう一つ向こう側の世界ということになるのだろうか。それが無限の中で一致すると。
そして、もう一つ次のセクションでは、僕は消滅すると「自分という存在のむなしさに真正面から向き合っていた」と述べる。つまり死は虚しいのだ。あれだけ歓喜した根源的体験は、虚しさの確認であったという事は押さえておかなくてはいけない。
その後、この消滅は、漸近線的ではあるけれど、この体験は「ぞっとした」もので、二度目の麻酔で亜鉛化窒素を受けた時にも、同じ体験をしたこと。ウィリアム・ジェームズによる同種の体験をしたという内容を読んだこと。『バカヴァットギータ―』における神の啓示、エギゼルの夢、チベット死者の書、『楞伽経』などを例証として挙げている。
そして最後にある人がと言ってくれたとして一つのエピソードでも結んでいる。

「ある人が言ってくれたのは、『さあ、ここに、門があいている。狭く、通り抜けるのがむずかしい門だ。だが、これは門であり、お前のためにのたったひとつの門なのだ』と言ってくれたおかげで、ひとりよがりの哲学の中へ沈潜することがなかった」と結んでいる。
これってフランツ・カフカの短編ではないのかと訝る。
『掟の門のまえで』の結末と似ている。フランツ・カフカを知っていたのだろうか?

これがエッセイの内容であった。ここで注目すべきは前半の薬物を使った少年たちの非行の事でも、20世紀前半という、いくつかの試みがあらゆる場面で発生したという時代思潮の事でもなく、やはり後半に東洋思想に触れて、開眼していく、その過程だろう。それは向こう側にもう一つの世界があり、新しい知があるのだという期待であって、それをどこまで踏み込んだのかという点が重要なのではあるまいか。それをドーマルは、グルジェフの身体技法を受け入れて修行していたのだという点が重要であると思われる。
そこへ絞り込む前に、谷口亜沙子によるドーマルの解釈によって、もっと俯瞰的に見てみるとドーマルは宗教家でもなければ、哲学者でもなく、文学者だったということ。とりわけ、詩人(ポエムではなく、ポエジーの方の詩人だった)ということだ。根源的体験も、詩的体験と言い換えている。そして、あの難解な小説『類推の山』の作者なのだということだ。おそらく救いを求めるとか、救済に向かうというような宗教的な意図はなくて、ただ真実が知りたい、または真理を垣間見たいのだと言える。それゆえに独特の視線というか、視角を持っていた。哲学も真理を求めるものだろうが、哲学的議論によって、ぐいぐいと極めていく、ないし存在論的に位置づけてみるというようなことに関心を示してはいない。ただ、多くの詩人がそうであったように、象徴的に語ってよしとしたわけでは無い事は、これまでの説明を見てもわかることだろう。詩人という割には、散文的であり、啓蒙的である。なんとか語ろうとする熱意は感じ取れる。いや、そういうより詩人としては詩からはみ出し、哲学者としては哲学からはみ出している。要は分類しにくい人なのだ。
例えば、『類推の山』の中のさして重要でも、誰も取り上げないようなエピソードで、次のようなプロットがある。筋書きでもなく、人物描写でもないものだ。

さて彼(註:登場人物のソゴルのこと)は続けたー「(1)私は出かけるために着がえる、(2)私は汽車に乗るために出かける、(3)私は仕事に行くために汽車に乗る、(4)私は生活を立てるために仕事に行く……、そこでこの連鎖に、なにか五番目の輪をつけ加えてごらんなさい、きっと最初の三つのうち少なくともひとつは、あなたの思考から消えてしまうはずですから。」
みんなで実験してみると、そのとおりだった。―いや、少々点が甘すぎるくらいだった。
「もうひとつ別のタイプの連鎖をとりあげましょう。(1)ブルドッグは犬である、(2)犬は哺乳類である、(3)哺乳類は脊椎動物である、(4)脊椎動物は獣である……、もっと進めてみましょう、獣が生物であるーところが、さて、私はすでにブルドッグを忘れてしまっています。「ブルドッグ」を思いだすと「脊椎動物」を忘れてしまう……。どんな種類の連鎖でも論理的区分でも、おなじ現象がたしかめられるでしょう。こういうわけですから、私たちはたえず偶有を実体ととりちがえ、結果と原因と、手段と目的と、私たちの船を永住の家と、私たちの体や知性を私たち自身と、私たち自身をなにか永遠のものと取り違えてしまうのです。 (巖谷國士 訳)

何を語ろうとしているのだろうかといぶかるかもしれない。これは前ページで「ある原則の連続的帰結を即刻同時にどれだけ把握することができるか、ある類にふくまれる種をどれだけとらえ、原因と結果、目的と手段の関連をどれだけとらえることができるかを調べてみたのですが、その数が四以上になる例はいちどもありませんでした」という説明があるので、四つ以上は同時に意識できないのだと言っていることがわかる。意識は常に何かに対しての意識であるから、それがいくつもあっては同時に意識することはできないということだ。そして、ここには言語使用による思考という特徴があらわれている。しかしながら、心理学のテキストでもないのに、これが詩だと言えるか。およそ詩とは離れているように思われる。しかしドーマルにとっては、詩(ポエジー)なのだ。ポエジーとは何であるか。谷口亜沙子は冒頭でこの話から語り出している。それによると「いつも見られていたはずのものが、ふいになにかはるかなものとして姿を顕すように思える瞬間が『詩的瞬間』と呼ばれたり、『生きられた詩』と呼ばれたり、あるいは単に『詩』と呼ばれたりしている」と述べる。ここではどういうことだろうか。四つ以上の事は同時に思考できないということにポエジーを見出していたのだろうか。いやそうではなく後半の、故に原因と結果を取り違え、手段と目的を取り違えるということ。そして何よりも身体や知性を私たち自身と取り違えるとまた私たちを永遠なものと取り違えているといった地点に飛躍してみせること、そのことがポエジーだったのだ。
ここには言語思考が終焉している。言語思考の世界ではないことを表現しているのではないだろうか。
『類推の山』自体は冒険小説風の意匠を持って語り出されるが、決して実際の冒険では無い。
では『類推の山』とはどういう小説だったのかと説明するのは、かなり厄介だ。
そこで谷亜沙子の同書に示された『類推の山』の紹介文を引用しておきたい。
なぜ、霊的開眼を問題にしているのに、こんなふうに文学的な内容に言及していくのかと思われるかもしれない。しかし、それは霊的開眼ということが、必ずしも救いというような宗教的な発想ではないということによっている。救いを求める事は、副次的にというか、二次的には効果があるかもしれないが、それが重要課題ではないと考えているからだ。それは冒頭に述べている。宗教的体験とも、神秘的体験とも考えられるかもしれないが、実はそれほど宗教的でも神秘的でもない発言から始まっていることを問題にしてから来たからだ。
また、その衝動が何によって始まるのかの解明ないしには、分析はあまり意味がないように思われる。ほとんどの宗教がそれを説明しようとし、かつ宗教だけでなく学問も解明しようとしてきた。形而上学はある意味そんな状態を納得させるものとして発達してきたわけであるが、なぜかというよりも、先に「そうかそうであったのか」と知る方が先ではないだろうか。ドーマルは、その問いを旨としていた。そして霊的開眼にかなり近づいたのだがもう一歩足りない。
それでは遠回りになるが谷口の紹介文より入っていきたい。

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