音楽はどこへいくのか1
徒然なるままに 書き綴っていく 音楽は自分がやっていただけにとても描きにくいテーマだ
だからこそ、ネットの無い時代のフォークロアとして 少々茶を濁して書こうかと思ったのだけれど
音楽は時間芸術だからこそ、どこへにも向かっていって どこでも終わらない。
でも、もはや 新しい音楽やムーブメントはある種出尽くしたのでは無いだろうか? とも思う。
テクノロジーやシステムの問題や、再現装置、音を伝える空間、スピーカーシステムの問題など あらゆることが そこそこまで到達してしまっている。(ような気がする)
それは、曲も 演奏システム も である。
誰がどのように音楽と接して、向き合い、楽しむか、悲しむか、喜ぶか その自由度はどんどん広がっている。テクノ が 良くて 原始音楽が おつる など 音楽が好きで分かり、楽しめる人であればそんなこと言っていたら恥ずかしいことだ。
しかし、音楽は
社会のコミュニケーションはどのような生活形態であっても「「冷たい社会」と「熱い社会」と言う理念的対比で考えられない、文明が人間の生活を規定するのではなく、文化」「言語」として一定の秩序・構造が見いだせると言う構造人類学的な地平になかなか立てないでいるカルチャーの一つである。
その苦しみは、菊地成孔も、ことあるごとにコラムで書いている。(言語化しているって書こうかと思ったけれど、彼は音での言語化を生業としているからね)
なんか、頭で言っていることとさっき書いていることが矛盾しているようだけれど、音楽は絵画なんかよりはかなり自由に(というか比べ物にならないほど)「人」とコミュニケーションをとることができるカルチャーだ。
さて、音楽はどこへいくのか? 行かないのか
なんでそんなことを考え始めたのか?
時間があるこの機会に
ジェフ・ミルズの『EXHIBITIONIST 2』とクラフトワークの『3-D 12345678<BLU-RAY/DVD SET>』を観た(聴いた)から
企業や 社会が どのような未来を目指すべきか、、、そんなことばっかり考えて見せていく 3末までそんな仕事ばっかりしていて、久しぶりにきちんと音楽やカルチャーのいこと(コロナでちょっとショートストップしたと言うのもあるし)考えたくなった
このテーマも 続いて書き殴っていこうと思う
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