天宮志龍のこと きっと誰も書かないから どんどん書いていく ワールドニュージックDJ志龍?
ワールドミュージックのミックスなら俺や! 的なビッグマウス発動!
そう、ジプシーキングスの話だったと思うんだけれど、ワールドミュージックがどうだったとか云々は置いておいて、天宮志龍がなんでワールドミュージックDJなん? という感じなんだけれど、まあ、志龍ちゃんは当時、エクスタシーボーイズとして売り出し中で、 ニューヨークでマドンナのリミックスを手がけたりしていたマーク・カミンズと仲よかって、そんなマークがイスラエルの歌姫オフラ・ハザのミックスを手がけていて、多分「Wish me luck」のハウスバージョンだと思うんだけれど、そこに志龍ちゃんいっちょかみしていたんだと思う。
で、ハウス、やガラージな連中の中でワールドミュージックのミックスなら俺や! 的なビッグマウス発動!
1989~90年 まあ、前回書いたデヴィッド・バーンもそうだけれど、ピータ・ガブリエルなんかも、ワールドミュージックという観点から世界中のポップスに注目し、セネガルの大統領(になったのかな?)せんキュに出ていた、ユッスー・ン・ドゥールのプロデュースや共作共演もしていて、ブームといえば、、、ではあった。
実は、天宮志龍は、彼のブッディスト・ハートからくるインド音楽のハウスミックス(この頃はゴア や ボリウッド というか [踊るマハラジャ]的なものもまだだった)や、レゲエというかエイドリアン・シャーウッドのOn-Uサウンド的ダブに近いものもスピンしていてて、ゲネシス(心斎橋VIVRE B2 って わからないやろうな〜 御堂筋のバーバーリーのあるところにあった、ファッションビルの地下で、大阪の大箱クラブの走り、みたいなハコだった)では、ほぼNYハウスな4つ打ち無限ループだったけれど、ワールドニュージックDJ的なセンスもあって、結構いろんなクラブでそういったワールドミュージックチックなセットもやっていたんだ。だからジプシー・キングスをエピックが呼んだ時に招待されていたんだ、志龍ちゃんも。
(実は このコンサートは、全国のマスコミや、ワールドミュージックに興味を持ちそうなセンスのある連中を集めたショーケースみたいなもので、ちょっと記憶が曖昧なんだけれど、確か@横浜アリーナ だったと、、、思う。)
不思議なんだけれど、なんかねえ、素晴らしい仲間という感じで歓待してくれて、、、、、その夜は、ジプシー・キングスもボ・ガンボスもそっちのけで(ライブはちゃんとみましたよ!)東京のクラブ周りをした。確かモンチ田中さんとか、この時に紹介してもらった。
話が どんどんスピンアウトしていくけれど、まあ自分の知っている天宮志龍のことを書くだけだから、お許しあれ。
今回は ここまで。あ〜書くと思い出す、ことがいっぱいありすぎる
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