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2020ダービーを観て1991ダービーを思い出す

ダービーは、東京で行われるということもあって、そんなに気にしないレースだといっていたが、やはり、時々気になるレースというものはある。

今年のダービー馬はコントレイル。父ディープインパクト。そう親子で無敗の2冠場となった。またこのレースの勝ちっぷりは、ダービーならではの物言い「運の良い馬」が勝つなんてもんじゃない。菊を待たずして「強い馬が、強い競馬をして勝った」レースだった。

コントレイルの競馬を観て、91年のダービーを思い出した人は多いんじゃないだろうか。

そのころは、全馬20頭。また、外枠絶対不利。また1コーナーでのダービーポジション(前5~8頭にはいないと)というのも言われていた時代だ。

実は、トウカイテイオーの父シンボリルドルフも無敗の2冠馬で、今回のコントレイルの勝血は、オールドイファンにはそんなデジャヴ感もたまらないレースになったのではないだろうか。
本命はコントレイル、心の応援はサトノフラッグ。そこにサリオス、ガロアクリークを絡めてというのが僕の予想だった。

実は、トウカイテイオーは関西(栗東)の秘密兵器だった。ま、この頃の若葉ステークスは阪神ではなく中山で実施されていたので、皐月賞前にはバレていたのだが、デビューは前年12月1日の中京。ということは朝日杯3歳ステークスは出走していない。しかし、シンボリルドルフの初年度産駒の中で、ピカイチの馬が関西にいるという噂は事実となり無敗のまま皐月賞まで進む。

松元省一(淀出身で、高校、大学の先輩でもある)厩舎、そして安田隆行(ロードカナロアの調教師)鞍上というのも当時、秘密兵器感をスーパー醸し出していた。安田隆行に関しては、大学時代京都競馬場の検量室でアルバイト勤務していたとき間近で接し、素晴らしい人柄と、確かな騎乗テクニックがある騎手だということを知っていた。が、スーパーな騎手では無かった。目の前の騎乗依頼を確実にこなしておられ、小倉男と呼ばれていたことは有名な話である。

関西のジョッキーにとって小倉男の異名は、名誉なことである。涼しい函館や札幌ではなく、暑い真夏の小倉は地獄。しかし、関西馬、そしてジョッキーにとっては、ここで勝ちを稼ぐことの意味は大きいことを関西のホースマンは誰もが知っている。九州の馬主との付き合いもあるだろうが、、、武豊も海外へ出かけなかったら、夏は結構小倉に行っている。

話が 少々それ出したが、自分にとって松元省一厩舎、鞍上安田隆行、関西の秘密兵器トウカイテイオーは文句なしに応援するしかない馬だった。

そんなテイオー。古馬になっても魅力的なレースを観せてくれる(親子でジャパンカップ、有馬記念勝ち馬になる)が、何と言っても皐月とダービーの2冠は、観ていて(TVでだけれど)たまらないレースだった。

テイオーのダービーでの圧倒的な強さ。

それは、関西馬が、栗東の坂路で鍛えられG1で活躍するのが当たり前の時代の幕開けともいえるレースだ。(坂路は1985年に出来た。また、88年にはプールも出来ている。テイオーの復活劇の影にプール調教がきっとあったんじゃないだろうか)

テイオーに続いてミホノブルボン、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン、マヤノトップガンが登場する。もはや秘密兵器でもなく、3歳から注目の西の大器と言えよう。


ダービー観戦は、TVとなる僕は、解説が必ずといって良いほど1コーナーのダービーポジションを語り、向こう正面で脚を使わずに前に行ける位置取りにこだわり、4コーナー抜ける時に馬ごみにいる注目馬を語る時に必ず思い出す言葉がある

安田隆行が、ダービー前の追い切りが終わって、木曜の午後、枠順発表があった時(20番、8枠)、インタビューにこたえた言葉を。

「テイオーにはピンクの帽子が良く似合うんです」

テイオーは皐月賞でも18番、8枠だった。

テイオーのダービーから 本当に強い馬にとって、枠順は関係なくなった。

コントレイルは赤い帽子だったけれど、道中 ディープではなく、テイオーに見えたのは僕だけだろうか







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