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天宮志龍(志狼/貢)のこと 1

これは、ちょっとでは終わらないから、ちょとずつ書いて行こうと思う。

なんで、志狼ちゃんのことを思い出したかというと、よくお邪魔した志狼ちゃんの淡路の家の跡地に、スケボー絡みで出かけたから。志狼ちゃんのことは、みなさん色々とあるかと思うけれど僕も色々とあるけれど、すごく可愛がってもらった。

ビッグバンがなくなったという話をした時に、ソフト・バレエと僕がやっていたバンド、スピーキング・ファニチャーが何回かビッグバンに出演した話を書いた。何を隠そう[そう、森岡賢(彼も1昨年なくなった)のこともキチンと書かないとと思っています。少々お待ちを]。ソフト・バレエと仲良くなったのも、元はと言えば天宮志狼ルート。実は森岡くんとの出会いは成田忍さんルートではなかったんだ。京都ニューウエーブ人脈で考えたら普通そう考えるだろうけれど…。

と言うことで、志狼ちゃんの話に戻そう。彼から離れていく人は多かったけれど、僕は損得あまりなかったから気分よく付き合っていた。亡くなる前というか目が見えなくなってからはよくお酒をせびられたけれど、気にするようなレベルでは無かった。それよりも、もう身体がいうこと聞かなかったから、呑ませないようにするのが僕の役目みたいになっていたっけ。でもね、顔きく店でただ酒せびるんよね、困ったことに。で、僕の分も店もちにさせようとするのには本当に困ったことが、2度、3度(ということにしておこう)。

Amelie Lensが自宅でのターテーブルプレイをネットにアップしている。ジェフ・ミルズの「Exhibitionist」アナログ3枚回しもそうだけれど、CDJではなく、極めて丁寧にターンテーブルプレイをしているAmelieやJefの姿を見ていると、天宮のプレイを思い出す。

志狼ちゃんってビッグマウスだったけれど、ものすごく細かく、センシティブで音楽に対して一生懸命な男だった。

だから かと思うけれど、京都のキテレツ音楽小僧がフラッと会いにきて、ライブやらせてと言ってきて、「はい やれや!」とはなかなかいかないと思う。まずは面接から付き合いは始まったんだ

と言うことで、出会いの場所は[そもこのフローズンビーチ](P-MODEL/平沢進 SCUBA)ではなくて、、、太融寺のラブホのVIPラウンジ的クラブWHATS

確か雑誌「宝島」に、大阪の津守に「川崎倉庫」を天宮志狼が作って、なんかやりたい、とんがり野郎どんとこいや! みたいな記事が掲載されたのを見て、そこに載っていた電話番号に電話した。で、指定されて出かけて行ったのがクラブWHATS。クラブと言っていたと思うけれど、今のクラブみたいにターンテーブルがあったりしたのかな? そこには1回こっきりだったので、あんまり記憶にない。

でも、そこには歌麿とか、写楽とか、広重とか そんなニックネームの天宮志狼の取り巻きがいて(コードネームだったんだw!)、みんなニューウエーブで格好いい兄ちゃんって感じだった。

※後にエクスタシーボーイズのメンバーというか、ターンテブルオーケストラや、バンドで志狼ちゃんと一緒にやっていたコアなメンバーもその中にいたと記憶する。後々、滅多に会わなくてもみんな「おう、あんときの」と可愛がってくれた。で、歌麿=岡野弘幹で、当時大阪芸術大学の学生(スーパー特待生だった)で、彼のパーマネント・バンドがクラブ・ニュー・キョウトで、彼がアーバンダンスの小山さんをよく知っていて、その繋がりで、森岡賢と出会ったんだ。そう、アーバンダンスのつかしんホールでのライブにゲストキーボディストで来ていたのが森岡くんだった。

そこに飛んで火にいると言う感じでやってきたのが僕。京都でノン・カテリアンズ、マリディグラ周辺でチョロチョロしていた小僧を向こうも知らなかったのは当然なんだけれど、ディスコではなく、ライブな環境で遊んでいた僕は、もちろん「貢くん」のことは 全く知らなかった。

それが良かったのかもしれない。スピーキング・ファニチャーのデモテープ(曲は何が入っていたんだろう? この頃の時系列はグチャグチャだ)を持っていき、その場では聴かず、小僧のくせに持っていた名刺と一緒に渡して帰った(はず)。

で、今度は電話がかかってきた、志狼ちゃんから。ということで、川崎倉庫まで今度は打ち合わせに出かけんたんだ。その時は川崎倉庫の内の志狼ちゃんズ・バーみたいなスペースで打ち合わせした。ライブが決定して、なんとなく暑い頃 ライブをやったんだよな。前座がスピーキング・ファニチャーで、メインアクトがバンドスタイルだったエクスタシーボーイズ。

なんと、ドリンクはもちろん販売しているんだけれど、ポッカの「維力(ウイリー)」という早すぎたエナジードリンクがサンプリングで飲み放題だったのに驚いた記憶がある。天宮志狼のすごいところは、そう言ったスポンサーを引っ張ってくるヒキが尋常ではないところ。かもしれない、そこもメインストリームではなく、半歩アルタネイティブなんだ(ターンテーブルというかDJセットはベスタックスで、ずっとバックアップ受けてやっていたしね。他には、映像関係はパイオニアがサポートしていた)ポカリとかならまあ、わかるけれど、でしょ。「維力(ウイリー)」って。でもね、調べてみたら「維力(ウイリー)」87年発売なんだよね。川崎倉庫のライブって86年な記憶があるんだよな。ま、この頃の時系列はグチャグチャだということで、、、、。

それでは また この続きはお楽しみに!




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