原宿 1980 夏_49
No. 49 oclok
テツナカムラ今はロサンゼルスに住んでいる。
オレたちと原宿で踊ったりバンドをやってた頃はテツヤとよんでいた。
オレのマブダチのアンベとも仲良しで何かとつるんでた。
チャラっと原宿に現れてみんなにサラっと溶け込めるヤツだった。
ここ一番自分の意見を言うときはガッツリと相手の目を見てブレない考えを言い最後にニコっと笑う。
絶対に相手を不快にさせず自分の人生を渡って行けるやつ
バンドを辞めた後に上野のバイト先の喫茶店に現れて二人で呑みに行った。
『 オレさ、ブルーベルベット辞めてからひょんなことからハーモニカ、ブルースハープにハマっちゃってさ。 』
『 へ〜、ハーモニカ? 』
『 それでさ、今日上野の革屋さんにハーモニカホルダーに来たってワケ 』
『 へ〜、、、? 』
『 ほらウェスタン映画なんかで皮のベルトにライフルのタマいれて首から下げてるアレをタマじゃなくハーモニカを刺そうってワケ、カッコいいと思わない! 』
そんなテツヤはその後クールスのヒデミツさんが作ったエンジェルスや、バブルガムブラザーズのバックパンドとドライビングホイールズというバンドをやったりしたのを見に行ったりした。
ベースをやってたテツヤがブルースハープをステージで陶酔した顔で自信たっぷりに吹く姿を見て凄いヤツだなと思った。
音楽に対するハートがこんなにも熱いものを持っているのかと、テツヤの姿を見て曲がりなりにもいっときはパンドをやり知りあいであることを
誇りに思った。
当時佐久間学というブルース歌手がいてアルバムに参加したりドライビングホイールズでコンテストを勝ち抜いてアメリカのアポロシアターに出たりしていた。
そういった音源を必ず送ってくれた。
ある夜電話が掛かってきた。
テツヤが何やらものすごく小声で、
『 あのさ、オレ今度結婚するんだけ披露宴来てくれるかな。 』
『 ああ行くよ、行く、当然行くよ。 』
『 ありがとう 』
『 それよりどっから電話してんの? 』
『 ここ病院の公衆電話 』
『 えっ、病院、どして 』
『 まっ、結婚すんのにちょっと金がなくてさ。 』
『えっどういうこと? 』
『 そのうち話すね 』
ガチャ!
あいつまさか、、、。
むかしあいつの高輪のアパートに遊びに行ったとき、アメリカのブルースハープの神のような人から航空便でいろんな物を送ってくれたとオレに嬉しそうに見せてくれたことがあった。
その時黒人ブルースのレコードやウッドベース、それとソフトクリームの巨大な電飾ポップがあった。
『 あれ、どしたのこれ 』
『 いやあ、どしても欲しくさあ、チャリンコで抱えて盗んできた。 』
なるほど、オレもヤシの木のフェニックスを飲み屋から盗んだ事があったっけ。
そんな似たもの悪の結婚披露宴、中野サンプラザの宴会場で行われた。
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