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原宿 1980 夏_43

 

 No.43 oclok


いわゆる青春中毒性幻夢依存症とでもいいますか、特に田舎育ちの若者がよくかかる
悪性のハシカみたいなものでだいたい3年ぐらいで自然治癒して田舎に帰っていきます。
たまにこじらせてずっと東京のボロアパートでアガキ苦しむ若者もいます。
そういう若者君には早く現実と向き合わせもう若くはないんだよ、青春は終わったんだよと強く言ってあげましょう
そんなオレも患者さんだったのかもしれないなあ。


今思えばバンドをやりたいと新聞配達の給料でまず御茶ノ水にGrecoの6万円のギターを
買いに行って大学ノートに他愛のない詩を書いて曲をつけて夢だけ見てたころが一番楽しかったのかもね。
バンドのメンバーが揃って
練習スタジオが決まって音合わせができたらその日の帰り道のナーバスになってるこの気持ちの落ち込みようとは、いったい何だったのだろう。
走り出した船は停めることはできない。
気持ちのスイッチを入れ替えてモチベーションをあげていかないと、ウジウジ思っても仕方がないって。
バイトが終わるとまっすぐアパートへ帰ってとにかく練習をした。バンドのメンバーのためにも、いや、自分のためにも頑張らないと。
スタジオ練習を重ね少しずつ余裕も出てサマになってきた
 ちょうどその頃『 ワンダラーズ 』というフィフティーズ青春映画が公開された。
ほんとこの頃は世界的にオールディーズ、ロックンロールブームだったんだね。
スタジオ練習終わりにみんなで飲みにいって帰り道でワンダラーズの映画の中でリーゼントに金色のサテンのスカジャンをお揃いで着てみんなで車に乗り込み走りながらアカペラで『 ストレンジャーガール 』を歌うシーンがあってそれをみんなで真似て歌ったものだ。
♫ ウマバッパーパーパ
 ウマバッパーパーパ
ツールールールールルルー
ラブュガールュェサイドュー
ジャッサアウェラッシー
ヒィルリガールワァーサァ
ジャーサメモリー
ラーブュラーブュ
ラビュストレンジャーガールオーストレンジャーガール
アアアアー  ソウユ
すみません、一人思い出メモリーで、、、。
最後のソウユというのがそのシーンの最後にチョコっと小さく声が入っていてそこを小声でささやいてみんなで大笑いした。
さらにどうでもいい話どうもすみません。
なんかバンドのメンバーがまとまって楽しくやれだした、
そんな頃でした。


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