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原宿 1980 夏_45

 No. 45 oclok

田舎で育ちキャロルを見て
エーちゃんの『成り上がり』を読んで上京して、バンドやって挫折して田舎へ帰ったヤツ、どんだけいるんだろう。
そんなことより初ライブハウス! テンションと不安が頭の中を∞状態で渦巻いている
アマチュアなんてこんなもんで、スーパースターが余裕で東京ドームなんかでやってんのって、う〜ん、どゆこと?
まあゴタクをならべてないでもっと練習しろってね!
あっそうそうこれだけは話しておかないことが。
ベースの仲村哲也、今はロサンゼルスに住んでブルースハープで日本とアメリカを行き来しているテツナカムラが原宿に連れてきたもう一人の
テツヤ、平野哲也なんでも千葉のバンド仲間だったらしい
みんなはテツヤの弟分で適当に鉄腕アトム、テツヤンアトムの妹だからウランちゃんて呼んでた。 超適当!



ウランちゃんも一緒にバンドをやりたいと。
パートはリードギターだと、
『 ごめんオレもリードギターなんだよね。』
『 あっそうなんですか、
じゃあスタジオの練習とか見に行ってもいいですか 』
そんなかんじで最初の頃2.3回スタジオに見にきて何も言わずに隅っこの壁に体育座りして見ていた。
それからスタジオに現れなくなり合うことはなかった。
それからオレがバンドを辞めて2年ぐらい経ったある日の夜
マブダチのアンベから電話がありウランちゃんがバンドでメジャーデビューしたと。
なんでもヒルビリーバップスというバンドでデビュー曲が『 ビシバシ純情 』
さらにブリジストンタイヤの
CMソングだという。
オレばぶったまげた。
電話を切ってからいろんなことを考え、想いを巡らせた。
それからヒルビリーバップスのアルバムは全部買って聴いた。メチャクチャいいしメチャクチャ上手い。
そのあとテレビ朝日のッナイトのあとに『 ヒルビリーキッズ 』という30分のバンドのメンバーの青春ドラマまで始まった。あの頃チェッカーズ、Mバンドがデビューしまさにこれからという時にボーカルの宮城君が自殺してしまう。なんと言うことだろう。
バンドは新しくボーカルをオーディションして再出発を目指すが活動停止に。
何という話でしょうか。
キティレコードでいっしょだったRCサクセションの忌野清志郎に『 バカンス 』という曲を作って貰ってました。
ライナーノーツで清志郎さんが平野君のギターをほめていました。
それから何十年も経った頃仕事で偶然あった人が昔キティレコードにいた人で平野君を知っていて年賀状のやり取りをしていて今は立派は左官屋さんになっているという。
あのときスタジオの隅でオレのギターを聴いてどう思ったのだろう。


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