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「仙台人」気質(3)仙台市民読本、今も必要。

前回に記した「仙台市民読本」の原文が、国立国会図書館ライブラリでネット公開されているのを見つけました。

表紙に続いて仙台市民歌、そして「はしがき」に続きます。「はしがき」では仙台市教育会が、小学校高等科の1学年と2学年(現在の中学1年生と2年生)の課外読物を狙って編纂し、書物の前半は1学年向け、後半は2学年向けだと記されています。

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例の「仙台人気質」は前半の締めくくりに記されていました。

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その内容を現代の表現に代えて、以下に転記します。

第十二課  仙 台 人
他地方の人々から我々仙台人に関する批評を聞くことが少なくない。その観察はマチマチで、中には当たっていないものもあるが、他山の石として傾聴すべきものも少なくない。左に諸人の一致する仙台人に対する長所短所を挙げてみよう。
一、仙台人は質実剛健で勇敢ではあるが、礼儀に欠け、一般公衆に対する公徳心は甚だ幼稚で他人の迷惑を考えず約束を守らない欠点がある。
二、教育程度は一般に進んでいる。殊に女子の裁縫の進んでいるのは他県人の驚くところであるが、ややもすると勤労を好まず、他人を支配しようとする風がある。
三、親類故旧に対して情宜厚く、他人に対しても知人と否とに関わらず、親切を尽くすが、共同団結の心が薄く、郷党相寄り相助けて共存共栄の実をあげることに乏しく、成功者をねたみ、これを中傷する風がある。また後進者を指導啓発して向上させてやろうという気風に欠けている。
四、物事は控えめで伝統や古い慣習になずみがち*で、排他的思想*強く、自分から積極的に物事をやろうという進取的の気性*に欠けている
五、寡黙で謹直で義理堅いところはあるが、愛想がなく社交性に乏しい。その結果、商売が下手なことは仙台で成功した商人の多くが他県人であるのを見てもうなずかれる。
六、沈着でのんびりしているのは美点であるが、その反面、物事に無頓着で時間の観念がなく、諸人から時間を守らないことを仙台時間と称されている。
七、言葉が悪く、昔から東北地方の言葉を仙台弁、または東北のズーズーべんといわれ、方言が多く、誤った言葉遣いや不正音が多分に用いられている。
以上は主なものだけを挙げたのであるが、今や仙台市は日本の大都市として、将来産業の都市、生産の都市たらんとして、自覚して動きつつあるとき、我々市民は長所はどこまでも助成すると共に、一日も早く短所を補うことに力めなければならない。特に我が仙台人の最も著しい短所である共同団結心と公徳心との欠乏を矯正し除去しなければ、大都市仙台の発展は困難であろう。 

注目すべきは、最初の一文「他地方の人々から我々仙台人に関する批評を聞くことが少なくない」と、最後の一文「我が仙台人の最も著しい短所である共同団結心と公徳心の欠乏を矯正し除去しなければ、大都市仙台の発展は困難であろう」の2文です。

ここで厳しい批評を受けている”仙台人”は紛れもなく仙台に住む「大人」。その大人を共同団結心と公徳心の欠乏が著しい短所であると、市の教育委員会(仙台市教育会)が厳しく評価して、中学1年生(小学校高等科1学年)に短所を”矯正”して”除去”しないと都市の発展は困難と示しているのです。

「一般公衆に対する公徳心は甚だ幼稚」な反面教師な大人にした責任は市の教育会にもある。なのに、それを”矯正”し”除去”すべきと中学1年生向けの前半を締めくくる。この文章を読んだ青少年たちはどう思っただろう。

自分の親は反面教師か?と親への畏敬の念が薄れ、家庭不和の原因になりかねない。それこそ現代なら市民から猛反発を食らうような過激な表現です。何があったのかわかりませんが、当時の公務員の怒りが滲んで見えます。

そのころ既に大都市だった仙台には未来に対する危機感と”慎ましく反省しよう”という風潮があり、県民性を”矯正”しようと教育会が青少年にこの読本で働きかけた。しかし、この流れは太平洋戦争で途絶えてしまった。焼け野原になった仙台は復興に全力をあげ、学校教育も大きく変化しました。

それから87年。その”矯正”し”除去”すべき欠点は残っているようですが、それでも戦後も東日本震災後も成長を続けた仙台です。

「そんな欠点なんかどうでもいいじゃないか、ほっとけ!嫌なら出てけ!」という声が挙がりそう。しかし、その公徳心の欠乏が、社会にも個人にも多くの問題を引き起こしているのです。それを私は伝えたい。

別の機会にお伝えします。





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