テヘランのカフェ文化 3
(3) カフェの多義性と多様化するカフェ
2000年代以降のカフェブームが起きるはるか前、20世紀前半のイランにはすでに西洋式の「カフェ」が存在した。現存する最も古いカフェの一つが1927年創業のCafe Naderiである。
創業者ハチーク・マーディキヤーンはアルメニア移民である。この頃に西洋的なコーヒー文化をもたらしたのは総じてアルメニア系の人々だった。現在のジョムフーリー通り(革命前はその名もナーデリー通りで、Cafe Naderiは通りの名にちなんでつけられた)には、1932年創業のコーヒー豆と器具の販売店Cafe RIOがあるが、こちらも創業者はアルメニア系である。深煎りの豆を用いてエスプレッソマシーンで淹れる「フランス式」のコーヒーが出されていたのが西洋式カフェの新しい点だった。
カフェ・ナーデリーは作家のサーデグ・ヘダーヤトやジャラール・アーレ=アフマドなどの知識人たちが通ったことで知られる。店内には彼らがよく座っていたとされる席がある。壁面には革命後に活躍した人々、たとえば映画監督のアッバース・キアロスタミや古典音楽の歌い手であるモハンマドレザー・シャジャリアンなどの写真も掲げられている。
カフェ・ナーデリーの周辺はイランの近代化の中心地だった。近代化を西洋化と言い換えても良いだろう。それが後のイラン革命に至る反‐西洋という反動的な動きを招くことになる。ともあれ、この地域には19世紀末から大使館や外国人住宅が建てられ、それに伴って西洋からの輸入品を販売する店や西洋式のカフェが立ち並ぶようになった。西洋近代化の中心地として、パリのシャンゼリゼ通りに例えられるのがテヘランを南北に走っているラーレザール通りである。石畳の通りにはホテルやデパートがあり、1920年代ごろからはカフェや劇場も作られていった。しかし、当時こうした場所に出入りできたのは限られた富裕層やエリートたちだった。
ラーレザール周辺がより多様な人々へと開かれた場になったのは、1941年の英ソ進駐とレザー・シャーの退位以降のことである。シャーの退位から1953年のクーデターによりモサッデグ首相が失脚するまでの間は、イラン(特に都市部)の人々が言論・表現の自由を謳歌した時期だといわれるが、この間ラーレザールは様々な娯楽施設が立ち並ぶ歓楽街へと変化した。1950年代初頭のラーレザールはエリートたちが出入りするカフェや劇場と、ギャングやマフィアが暗躍する酒場が軒を並べる混淆的な場だった。近年イランで人気となったドラマシリーズ『シャフラザードShahrzad』(2015-2018年)には、当時のカフェ・ナーデリーやラーレザール通りの様子が描かれている。
ラーレザールが「大衆化」する中で、カフェにも変化が起きていく。芸術家や作家などが出入りしていた一部のカフェが、1940年代末ごろからは酒を出し、ステージ上で音楽やダンスなどのショーを上演するようになったのである[Meftahi 2016: 71]。伝統的なメイハーネと呼ばれる酒場から西洋的なバーを意味するピヤーレ・フルーシーまで、イランにも酒類を提供する店はあったのだが[cf. Mattee 2014]、ショーを上演する場ではなかった。ショーを見ながら酒を飲む「カーバーレ(キャバレー、ナイトクラブ)」はすでに20世紀初頭以降のテヘランにいくつか存在したが、こうした娯楽をより安価に提供するようになったのがラーレザールのカフェだった。
かつてラーレザールに出入りしていたような富裕層は同地を敬遠するようになり、高級なカーバーレは富裕層の住宅が多いテヘラン北部に作られ、ラーレザールやそれより南の地域には酒とショーを安価に提供するカフェやカーバーレが作られていった。高級カーバーレは家族で足を運ぶこともある場だが、下町の酒場としてのカフェやカーバーレは主に男性向けである。
このように、20世紀後半になるとカフェはいくつかの異なる意味を持つものになった。そして、いずれのカフェも1979年のイラン革命により一旦は閉鎖となる。酒場の方のカフェが道徳的にも宗教的にもよからぬものだというのは想像がつくが、コーヒーを出す方の西洋式カフェもまた閉鎖の対象となった。カフェ・ナーデリーは革命後に政府系の財団に接収された後、再び個人経営となって現在に至るまで営業を続けている。
他方で、2000年代以降にできたカフェの方も、酒類は出さないものの酒場の雰囲気を持つものもある。高級ショッピングモールの屋上にできたルーフトップ・バーのような店や、ギャラリーを併設し、中庭で小さなコンサートを開く店など、様々な形態で都会の夜の娯楽を提供している。こうした店ではコーヒーや紅茶だけでなはなく、いわゆる「ノンアルコールカクテル」が充実している。シャルバトといわれるイランの伝統的な飲料には様々なハーブや植物の蒸留エキスが使われているが、カフェではこうした素材をアレンジして驚くほど豊かなノンアルコール飲料が提供される。近年のテヘランでは、特にお酒がなくとも「酔う」ことができる雰囲気を持つカフェが沢山ある。
参考文献:
Mehtahi, Ida (2016) Gender and Dance in Modern Iran. Routledge.
Matthee, Rudi (2014) "Alcohol in the Islamic Middle East: Ambivalence and Ambiguity." Past and Present, 222: 100-125.
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