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学生が見た「2022年7月8日」<1>

 今の大学3年生(当時2年生)が経験した「2022年7月8日」です。

無関心は後悔に

 2022年7月8日、お昼の12時前、教職の授業でグループワークをしていたときだった。「見て、安倍さんが撃たれた」。友達がスマホの速報を見せた。ありえない出来事にかなり驚いたが、「安倍さんなら大丈夫。国のお偉いさんだからお医者さんたちが助けてくれる」。そう信じた。13時15分から始まる英語の授業は、いつもと同じく和気あいあいとした雰囲気だった。ペアになった男子学生が「俺の最寄り駅、大和西大寺駅なんよね」と。「マジ!?」「そうなんよ。だから、帰れるかなって」。安倍さんの心配より、自分が家に帰れるかどうかを彼は心配していた。16時30分、ようやく全ての授業が終わった。その後、閉館の22時まで大学の図書館で課題やら勉強をした。
 このように、私はいつもと同じように過ごした。今考えると、「もうちょっと関心を持てばよかったな」「現場に足を運べばよかったな」と思う。ニュースを見ても、本当に安倍元首相が亡くなった実感が湧かなかった。ようやく実感し始めたのは国葬が閣議決定された頃だったろうか。「これから日本はどうなるんだろう」。漠然とした不安に駆られた。心のどこかで「安倍元首相がいるから大丈夫だ」と安心していたのかもしれない。
 次の日に何をしたのかカレンダーを見たところ、のんきに友達と本町のカフェに行ったようだ。(M.K.)

風化する情報

 安倍元首相が撃たれた、というニュースを見たのは2限が終わり友達とご飯を買いに行こう、と話していた時である。場所が大和西大寺駅ということもあり、やばいやばいという言葉と、現場に行くか行かないかを友達が延々と話していたことを覚えている。私たち以外も安倍元首相が撃たれたことは話していたが、皆有名な人が襲撃にあった、という文面の情報に驚くばかりで、安倍元首相の安否について心配している人はいなかったように思えた。私も含めた皆もまさか亡くなるとは思いもしなかっただろう。
 夕方に帰宅して数時間後、正式に安倍元首相が亡くなった、という知らせがテレビから届いた。
 家族からはただ信じられない、と口から出るばかりであった。私も知らせを聞いてもなお信じられない一人であり、翌日も襲撃事件のニュースで持ち切りではあったが、やはり信じられない、という言葉が多く飛び交っていた。安倍元首相は頻繁にテレビに出演し、親しみを覚えていた人も多くいたはずだ。亡くなったことを受け入れられた人はそう多くはないだろう。
 安倍元首相が亡くなったのだと信じることができたのは、襲撃事件から一カ月ほど経った後である。テレビでその姿を見かけなくなったためだ。旬の去った情報は忘れられ、統一教会の情報が人目を惹きつける。私には、今回の襲撃事件は多くの人にとって注目あるメディアコンテンツの一つとして消費されてしまったように感じる。情報の風化は私が思っていたよりはるかに早いようだ。(R.K.)

対岸の火事なのか

 ドイツ語の再履修の時間だった。いつも通り、板書を写していると視界の右端に一台のスマホの画面が映った。早く見ろと言わんばかりに、友人が机をコツコツと叩いている。驚き顔と焦り具合から、事の重大さが伝わってくる。スマホを机の下に隠し、1本の記事を読む。安倍元首相が奈良で銃撃された、とのことだった。あまりの衝撃に、声が出そうになった。日本で、元首相が銃撃なんてありえるのか。にわかには信じがたい内容だった。何より衝撃だったことは、地元で事件が起きたということだ。大和西大寺駅周辺には、バイトのヘルプ先のカフェがある。近くに奈良ファミリーという商業施設もあり、中高生の憩いの場となっている。数多くの人が利用する駅。自分も鉢合わせたかもしれないと思うと、ゾッとする。
 奈良行きの電車は混んでいるのだろうか。駅は人であふれかえっているだろうな。バイト先は、大丈夫だろうか。家族は巻き込まれていないだろうか。電車内では心配事で頭がいっぱいだった。偶然、大和西大寺駅で乗り換えがあったため事件現場を一目見ることに決めた。改札を出たところにある階段は、カメラを構えた報道陣や、スマートフォンのカメラ機能で現場を撮影しようとする一般人で混み合っていた。現場周辺にも報道陣の姿が見える。こんなにも人で賑わっているのは初めて見た。観光目的で奈良に来てほしかったが、皮肉にも人が集まる理由は事件だった。
 数日後、山上容疑者の孤独な人生を知った。もし、彼の立場だったらどうしただろう。新興宗教にハマった母からのネグレクトを受け、誰にも助けてもらえない状況に陥れば、同じように事件を起こしてしまうのだろうか。他人事のようには思えなかった。それは、これまで介護に関する、社会問題を勉強してきたからだ。介護をする人の中には、助けを求めることができない人もいる。また、十分な支援が揃っていないことも学んだ。その結果、殺人を犯してしまうことがある。将来、理由は違えども、彼のように社会に対して不条理を抱くことがあるかもしれないのだ。
 瞬く間に山上容疑者をヒーローとして、支持する声が増えた。事件が起きたことで、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の悪質商法が大きく注目され始めた。最近では、宗教2世の知られざる苦悩についてもクローズアップされている。しかし、このままでは暴力で世の中を変えられるということを助長しかねない。朝日新聞襲撃事件の資料室を見学に行った際、阪神支局長が言っていた「我々は、決して暴力には屈しない」という言葉を思い出した。
 事件発生二日後の、参院選投票日。小学校以来の友人と共に公民館へ向かった。二度と同じような事件を繰り返さないためには、事実を報道し続けるだけでなく、声なき声を届ける必要がある。社会的弱者に耳を傾けることのできる社会になるべきだ。そのために今できることは、選挙に行くこと。政治に参加するべく、投票箱に紙を入れた。(N.S.)

事件に気づかされたこと

 2022年7月8日12時頃、大学付近のうどん屋で昼食を取っていた。友達が、ふいにスマホを見ながら「安倍さん撃たれたって」と言った。これを聞いてまず日本じゃないみたいだと思った。ケネディ大統領や犬養毅のように教科書に載るレベルの事件はもう日本では起きないものだと勝手に思っていた。また、事件現場は大学からも近く、身近な場所でこういったことが起きたことで、平和ボケしていたことに気づかされた。安倍さんの事件が起きてから、ニュースを見ようと思い見てみると、自分は世の中のことを何も知らないと思った。その二日後に選挙があった。これまで選挙に行ったことはなかったが、なぜか行こうと思った。選挙に行ったことがない自分にうしろめたさを持っていたのと、大人としての自覚を持とうと思ったからだ。正直言うとなんとなく選んだ。あの一票が正しいものだったとは思えない。信念を持って投票できるようになりたい。(K.Y.)

その日を振り返る

 7月8日。私は1限目から3限目の時間まで学校にいた。2限の社会学総論Aの授業後のこと。「大和西大寺で……」「安倍さんが……」とあちこちから会話が聞こえてきた。日本で銃撃事件が起こるなんて想像もしていなかった私は、何かざわついているなと思いながら教室を出た。昼休みは友人とブロッサムカフェの3階で昼食を済ませる。事件の話題が出ることはなかった。昼休みを終えて3限目は英語の授業だった。いつも通りの日常である。授業後は別の友人と合流し、友人の家で暇つぶし。学校から歩いている途中で友人が言った。「安倍さん、撃たれたな、今病院やってよ」。衝撃だった。慌ててTwitterを開くと、トレンドの一覧はすべて事件と関連するワード、ツイートの数も詳しくは覚えていないが、何万とあった。首相が銃で撃たれるなんて昔のことで、ましてや平和な日本で起こるはずのないこと、嘘かと思った。
 スケジュールアプリを開くと、その日は夜まで友人の家で過ごし、翌日は9時半から17時まで和菓子屋でアルバイトをした後、ユニバーサルスタジオジャパンに行っている。10日は参院選の投票日だったが、選挙にはいかず14時から18時までアルバイト。私にとってこの衝撃的な事件も日常を過ごすうちに印象が薄れていく。
 祖母が見るので平日の夜のテレビは報道ステーションである。私はお風呂あがりの時間が合えば一緒に見る。番組は事件のこと、しばらく日が経つと容疑者のことや旧統一教会の話題が続いた。祖母も最初のうちはあれこれ言いながら見ているのだが、途中で飽きるのか、暗いニュースは嫌なのか、録画してある『鎌倉殿の13人』に変えていたことを覚えている。(N.N.)

現場から感じた空気、自身の変化

 襲撃事件発生から4時間後、私は大和西大寺駅にいた。事件現場を見るため、ではなく駅近隣の商業施設にアルバイトに行くためだった。
 事件を知ったのは学校で友人と昼食を食べて、別れた直後。歩いていると「大和西大寺で」という声が聞こえてきた。これから向かう場所だ。電車の遅延でもしているのだろうかと携帯を見ると、「安倍元首相」「襲撃」「大和西大寺駅」という単語が目に飛び込んできた。元首相が演説のために奈良を訪れていることさえ知らなかった。そのうえ襲撃事件。目を疑った。身近な場所で大事件が起こったことに動揺して、一緒に昼食をとった友人に慌てて連絡をした。道路が規制されているかもしれないと思い、早めにバイトに向かうことにした。電車内ではニュースとTwitterを見続けた。情報が増えていくほど、現場を目にするのが怖くなった。
 駅に到着すると人があふれかえっていた。大和西大寺駅は2階に改札があり、改札付近からは現場がよく見える。人だかりができていて、皆心配そうに見つめていた。興奮した様子で話をしている人もいた。改札を離れ現場横の歩道を通ると、記者やカメラマンが何十人もいた。電話を掛けたり、ノートにペンを走らせたりと忙しそうにバタバタと走り回っていた。衝撃と興奮を駅周辺から感じた。
 バイトの最中にお客さんから安倍元首相が亡くなったと聞いた。在任期間が長かったこともあり、日本の首相と言われてまず思い浮かぶのは安倍元首相だった。政治家の襲撃事件が起こるのは昔だけだと根拠もなく思っていた。悲しいというよりは衝撃が大きく、なぜ事件が起こったのだろうかとぼんやりと思いながらバイトを続けた。仕事が終わり外に出ると、白い光で現場が照らされているのが見えた。光はカメラのライトだった。事件現場と献花に訪れる人をテレビカメラや一眼レフが捉えていた。昼間の混乱から一変して、人はたくさんいるのにとても静かだった。現場付近は手を合わせに行く人と、その様子を離れた場所から眺める人に分かれていた。私は後者だった。普段は事件現場となった横断歩道を渡って駅に向かうが、その日は遠回りをして駅に向かった。現場の前で手を合わせようかとも思ったが、横断歩道の手前で現場を見つめることしかできなかった。
 事件発生から10カ月がたった。大和西大寺駅前は道路の工事が終わり、事件発生時安倍元首相の前にあったガードレールは撤去された。新たに広場もでき、人々がくつろいでいる。事件があったことも忘れそうな、穏やかな日常の光景である。でも、私には事件当日の1日が記憶に鮮明に刻まれている。それほど襲撃されたこと、身近な場所で大事件が起こったことが衝撃だった。事件が起こってから、政治のニュースにも目を向けるようになった。参院選の選挙に行った。旧統一教会や国葬についても調べた。もし事件が起こった場所が遠く離れた知らない場所だったら、きっとそれほど関心を持たなかったと思う。自分の政治への無関心さ、無知さが強く突き付けられた。(M.H.)

安倍元総理が残したもの

 2022年7月8日午前11時半。学校から帰ろうとしていた。そのとき、突然母から「アベちゃんが撃たれた!」と連絡がきた。まさか安倍元総理だと思わず、Twitterのトレンドを見てみると、「安倍晋三銃撃」と書いてあった。
 私はコロナ禍で、暇なときに当時の安倍首相の似顔絵を書いたり、アベノマスクを嬉しげにつけたりしていた。また、星野源を真似した、犬とおうち時間を楽しんでいる動画がお気に入りだった。政治家だから仕方がないが、どれだけ周りに批判されても国のために働く安倍総理を密かに応援していた。政治には無関心な私が、なぜか応援したくなる顔や性格だった。
 だから、銃撃されて意識がないと聞いたときには、「どうか生きてくれ、がんばれ」と思った。夜に死亡が確認され、銃1つで人は簡単に死んでしまうと感じた。突然終わってしまうかもしれない人生だからこそ、今を一生懸命に生きようと思った。(M.S.)

日常の中に起こること

 2022年7月8日。2限目の授業が終わって携帯を見ていると、安倍元首相が襲撃されたニュースが速報で流れてきた。「こんなことほんまにあるんやなぁ」と友達と話してお昼を食べ、グラウンドで自主練をしていた。部活の練習が始まる前もマネージャーや先輩たちと安倍元首相が襲撃された話題で持ちきりだった。場所は奈良の大和西大寺だとか誰が襲撃したのかとかなど様々な憶測が流れていた。21時に練習が終わり、クタクタになりながら電車に乗ってニュースを見ていたら、死亡の記事が流れていた。電車の中を見渡すと、新聞を持った中年男性がいた。横の方の携帯をのぞくと、安倍元首相ニュースについて書かれていた。
 私も周りに回せるようにその事件についての記事を見ていると最寄り駅から1駅過ぎていた。家に帰ると、報道ステーションで特集が組まれていた。母ともその会話になり、「気をつけなあかんなあ」などと会話をした。何気ない一日の中にこのような事件が起こると何か世の中が暗い感じがした。確かこの日は夜の2時まで寝れず、次の日が寝不足だったのも思い出した。(S.M.)

世界に衝撃が走ったあの日

 2022年7月8日。授業は午後からだったため、午前中はネイルサロンに行っていた。ネイルサロンを出たのは午後0時半。何気なくLINEを見ると「安倍さん撃たれてんて」と友達からメッセージが来ていた。何が起こっているのかわからず、すぐに家に帰りテレビをつけた。すると現地にいるキャスターが早口で、焦った様子で中継していた。しかも現場は大和西大寺駅。いつも「大和西大寺行き」の電車を乗るのでなじみがあったし、年に3回くらい乗り換えで使用していたので、「なぜ西大寺で」という驚きと、近さに頭が追いつかなかった。まるでアメリカのケネディ大統領のようだと思った。
 午後は学校に行き、そのままバイトへ向かった。18時の出勤ギリギリまで安倍さんの生死が気になってバイト先のテレビに張り付くように見ていた。学校での話題は安倍さんで持ち切りだったが、バイトではそうでもなかった。大人たちはみんな「撃たれたらしいなぁ」くらいで、大人になるとこんな大きなことでも驚かなくなるのかと、少し幻滅したのを覚えている。出勤してすぐ、「安倍さん、亡くなったんやって」と声をかけられた。心拍数が上がって、仕事が手につかなかった。私にとって日本の総理大臣と言えば安倍晋三さんだったため、本当に心が痛かった。また、奥さんの気持ちを考えると涙が出た。いつも通りの朝、行ってきますと出ていった家族。数時間後、対面した家族が死んでいる。犯人は安倍さんを恨んでいたかもしれないが、その人にも家族がいる。犯人の気持ちは全く理解出来ず、何があったとしても暴力で押さえつけることだけは本当にしてはいけない。暴力が日本から消えるのは、いつになるのだろうか。(M.M.)

TLに現れたワード

 事件当日、2限の社会学総論Aを受けていた。授業中にスマホの画面を下にスワイプしてTwitterを更新していたら、異常な速度でその文言がトレンドに上がってきた。安倍元総理が銃撃されたという速報はまったく実感が湧かなかった。銃社会でもないこの日本で起きたことに、タイムライン上でも「ここは本当に日本か?」「信じられない文字の羅列だ」といった言葉が並んでいた。いつも乗っていた近鉄奈良線の駅でこのようなことが起きたことも信じられなかった。
 安倍元総理の死亡が確認されて初めてその現実と起こったことの重大さを認識した。タイムライン上にも参院選にどう影響するか、自民党の有利な土壌が完成したなどのツイートが散見された。さらには、「これは自民党の選挙戦略の一つで、安倍首相は死んでいない」という陰謀論もあった。
 その後安倍元首相の国葬の問題で国会が揺れるとは想像もしていなかったし、自分が国葬の列に並ぶとも思っていなかった。ましてや国葬のデモにも潜入してインスタライブをするとはもっと想像していなかった。今思えば無礼なことをしたと思うが、教科書に載る事件にリアルタイムで関われたことに価値があったと考えている。歴史的事象にネットやSNSといった現代的な要素が交わっていることも奇妙な感覚があった。(H.I.)

ただ、彼のことはよく知らない

 「安倍さんが撃たれたらしいよ」
 授業終わり、友人から聞くその言葉に耳を疑った。身内に不幸があったかのようなあの衝撃と、ただ無事を祈ることしかできない無力さを、今でも覚えている。すぐさまスマホでニュースを調べた。ツイッターもヤフーニュース欄もすべてがその事件で持ちきりだった。最近はテレビでニュースを見ることは少なくなった。噂に聞いてからスマホで調べることが定着してしまっているなと思った。どれだけ自分が政治や世間に無関心であるかを痛感した。
 それからスマホを見る時間が増えた。総理が無事であるというニュースを待ち望んだが、その願いは叶わなかった。悔しかった。
 その後の日々はいつも通り進んだ。美容室に行ったり、友人とホームパーティーをしたり。いつも通り楽しんだ。楽しんだ、が、頭から銃撃事件のことが離れなかった。住民票の関係で、参院選投票日には、何もできなかった。18歳で選挙権をもらってあんなに嬉しかった覚えがあるのに、そんな気持ちはもう薄れていた。
 政治に興味があるかと問われれば、ただ漠然と、この人がいいな、などと思っている、その程度だ。そういう若者も多いだろう。彼が具体的に何を成し遂げたのか。恥ずかしながら、外交、アベノマスク、単語は出てくるが正確にはわからない。旧統一教会への恨みで犯行に及んだ山上容疑者。皮肉なことに、彼のほうが安倍元総理について詳しかったのかもしれない。そんな中でも、「安倍さん」への認知度と信頼度は高かったのではなかろうか。政治に興味がない若者でさえ、彼には心を惹かれた。そんな政治家は、もういないような気がする。
 佳人薄命、才子短命、そんな言葉が憎いと思った日。(Y.M.)

忘れてはいけないあの日

 7月8日、午前11時51分。私のスマホに、1件の通知が来た。Yahooニュースの即時通知だった。そこには、「【速報】安倍元首相が奈良県内で銃撃」とあった。自分の目を疑った。まさか。ドイツ語の授業中であったが、速報を確認せずにはいられなかった。その間にも次々と新たな速報が飛び込んでくる。近鉄奈良線 大和西大寺駅で、選挙活動中に撃たれたこと。散弾銃で撃たれたこと。犯人が現行犯逮捕されたこと。そして、安倍元首相は心肺停止であること。周りもだんだんざわつき始めたが、隣に座っていた友人だけは黙々と問題を解いているようだった。彼女の家は、大和西大寺駅を通り越した先にある。警察の出入りなど、これから混雑する恐れもあるだろうと思い、伝えることにした。彼女もすぐには状況を飲み込めないようだった。ふたりでネットニュースを見ながら、「安倍さん、助かってほしいね」と話した。
 安倍元首相の訃報を知ったのは、塾でのアルバイト中だった。信じられなかった。私たちが生きてきたいまの日本を支えてくれた彼が、殺されてしまうなんて。「安倍さん、ほんまに死んじゃったん?」と聞いてきた生徒もいた。すこしショックを受けていたようだった。ネット上でも、彼の訃報を悲しむ声がたくさん上がっていた。衝撃と悲しみに包まれた夜だった。
 あれから数日。安倍元首相と旧統一教会の関係が明るみになった。自民党も、旧統一教会と強い結びつきがあるのではないか、と報道された。さらには安倍元首相の国葬費用が、国民の税金から賄われるとの報道もあった。あの悲しみから一転、手のひらを返したように、安倍元首相を批判する声が上がった。ネット上では、犯人の山上容疑者をヒーロー扱いする者まで現れた。私は戸惑った。たしかに、国葬費用が税金で賄われることには反対だ。クラウドファンディングや募金などで国葬費用を集めるべきだと思う。加えて自民党も宗教と結びついていたことにはがっかりした。だからと言って、銃撃は許されるわけがない。しかし、ネット上には、もうあの日の悲しみなど、残っていなかった。
 あっという間に月日は流れ、9月20日。ある友人から、国葬の様子を見に行かないかと誘われた。国葬当日の現場の警備体制、献花に訪れる人の様子、気になることがたくさんあった。私はその場で東京へ向かうことを決めた。
 そして、9月27日。東京に着いた。駅のロッカーはすべて使用禁止。日本武道館前には何百人もの警察官。そして、上空にはヘリが飛んでいた。私が知っている東京は、どこにもなかった。重々しい雰囲気が漂っていた。献花の列は、四ツ谷駅にまで及んだ。駅にして3駅だ。それくらい、大勢の人々が並んでいた。もうすぐ10月とは思えないほどの夏日だったが、礼服を着ている人も多くいた。並んでいるうちに、夜行バスの時間が迫ってきたため、後ろに並んでいた親子に私たちの花を託した。花を受け取ってくれた母親は「安倍首相に、お気持ちしっかりお伝えしておきます」と言ってくれた。
 安倍元首相が、最後に教えてくれたこと。それは、命の尊さなのではないか。どんな意見を持っていようとも、私たちは、この事件を忘れてはならない。そして、二度と繰り返してはならない。(S.K.)

日常に潜む非日常

 ガタン、と揺れた拍子に、意識が浮上する。しばらくぼーっとした後、無意識にTwitterを開いていた。トレンドを見れば、やけに安倍さんの名前が多く連なっている。不思議に思ってタップすると、衝撃的な文字が私の目に飛び込んできた。“安倍元首相襲撃される”。その文と一緒に、犯行現場と思しき動画が。衝撃だった。まさか日本でこんなことが起きるなんて。7月8日、11時半。1限が終わり、大学から家まで帰る途中の、電車内での出来事だった。
 その日の夜、バイト先で安倍元首相の話を他の同期とした。しかし、その日以降その話をすることはなかった。次の日には誰もその話をしていなかったことに、改めて学生の政治への関心のなさを実感した。(N.T.)

奪われる必要のない命が一瞬で

 2022年7月8日。いつも通り朝起きて学校に向かい、授業を受ける。その日の始まりは日常と変わりなかった。しかし、2限目の後、教室が異様にざわつきだした。「安倍さんが…」「安倍さんが…」といろいろなところから聞こえる。私も友達と携帯を見てみると、『安倍元首相撃たれる』という文字。突然の出来事に驚きが収まらなかった。こんなことが今の時代に起こるのかと率直に感じた。私は、総理大臣と言えば安倍晋三さんのイメージがある。政治についてある程度分かるようになってから、記憶に一番ある総理大臣は安倍晋三さんだからだ。だから首相が菅さんに変わった時も正直違和感があった。そんな安倍元首相が撃たれたなんて考えられず、とても悲しい気持ちになった。しかも衆議院選挙期間に。その日は携帯が気になって仕方がなかった。奈良県の病院に搬送されたニュースも、妻の昭恵さんが向かっているというニュースも全て確認した。夕方に電車に乗っていると『死亡』という文字が見え、「えっ」と思わず声が出た。どうか助かってほしいと私を含めて多くの国民が思っていただろう。その日は友達の誕生日で、家で誕生日会をする予定だったが、テレビを付けると、どのチャンネルでもやっている安倍元首相襲撃のニュースに私たちは自然と釘付けになった。日本を背負って世界中の国と外交を行い、こんなにも日本に貢献してくれた首相が撃たれて亡くなったなんて、歴史に残る最悪な事件になると感じた。私は、犯人は死刑でいいのではと感じたほどだった。選挙も中止なのではと思った。しかし、政治家たちは言論の自由を証明するためにも、事件に負けず戦った。素晴らしいと思った。怖いはずだ。誰かに突然殺されるかもしれないという恐怖がある中で戦い続けた政治家の方たちを尊敬した。私は選挙権を持ってからそれまで選挙に行ったことがなかった。しかし、今回は行かなければならないといけない。こんなにも、恐怖に打ち勝ち日本のことを考えている方々に答えなければと感じたからだ。部活終わりに急いで会場に向かい、初めて投票した。改めて感じることは、何があっても人の命を奪ってはいけないということ。最近も岸田首相が襲われる事件があった。しかしそんなこと簡単に起こってはいけないし、慣れてはいけないと思う。(S.I.)