シャルル・ケクラン《デイジー・ハミルトンの肖像》作品140

 2021年6月19日、東京で「ピアノコンサート”仏蘭西の軌跡”」というイベントがありました。近代フランスのピアノ音楽を、約6時間半(!)かけて周遊するという野心あふれる企画で、私も演奏者として参加させていただきました。
 演奏したのはシャルル・ケクラン作曲の《デイジー・ハミルトンの肖像》作品140、そのうちピアノソロ曲集から15曲を抜粋しました。これまでの演奏記録が見つからなかったので、おそらく初演だったのかもしれません(2台ピアノの曲はタール&グロートホイゼンが録音をしています)。当日は各演奏者によるプログラムノートが配布されましたが、私がこの曲について書いた部分を以下に置いておきます。

【プログラムノート】
 シャルル・ケクラン(1867-1950)は20世紀の前半に活動した「作曲家」である。この作曲家という肩書きを彼自身は望んでいたが、むしろ当時の彼にまつわる評判は『和声法』などの大著に代表される理論家、そしてフランシス・プーランクをはじめとした高名な音楽家を育てた教育者としてのものが大きかった。新聞や雑誌に多くの記事を寄せていたこともあり、文筆家としても知られる存在であった。これらの評判が、かえって彼の作曲家としての業績を霞ませてしまったのは皮肉なことである。他にも、作品が先進的だったこと、当時のどの流派にも属さなかったこと、作品や著述が膨大であること、いろいろな要因により死後は忘却の憂き目にあった。
 それがとりわけ近年になって、状況は変化しているように感じる。特に国内でいえば、昨年末に音楽之友社から『ケクラン:やさしいピアノ作品集』が出版されたのは大きな進展だった。これが皮切りとなって、彼の音楽が紹介されていく流れが地道に続けられていくことを望むばかりである。そのためには、彼の事績や作品自体を丁寧に研究していく作業も必要となるのだが、それ以上に、演奏の場で作品が取り上げられ、より多くの人の耳に彼の音楽が届けられることが肝心だ。好きとか嫌いとかいう話は、曲を実際に聴いてもらってからで構わない。重要なのは、ケクランをフランス音楽の突然変異といって片付けるのではなく、耳で聴いて他の作曲家の音楽と比較したり関連付けたりできる、音楽史に繋がった存在として提示していくことだと思う。今回こうして、ケクランの秘曲とも言うべき《デイジー・ハミルトンの肖像》を演奏できるということが、そうした作業の一端を担ってくれていれば嬉しい。

〈ケクランの映画への情熱〉
ケクランの60年に及ぶ長い創作キャリアの中で、1930年代は一つの特徴的な時代を形成している。この時期(1932~38年)、ケクランは突如として映画に熱中し、映画にまつわる作品を多く作曲している。以下にざっと並べてみよう。

《セブン・スターズ・シンフォニー》Op.132(1933)
《バルセロナのアンダルシア女》Op.134(1933)
《リリアンのアルバム 第1集》Op.139(1934)
《デイジー・ハミルトンの肖像》Op.140(1934-38)
《あるクラリネット吹きの打ち明け話》Op.141(1934)
《リリアンのアルバム 第2集》Op.149(1935)
《グラディスのための7つの歌》Op.151(1935)
《ジンジャーのためのダンス》Op.163(1937)
《ジーン・ハーロウの墓碑銘》Op.164(1937)
 映画音楽《生命の勝利》Op.167(1938)

 短期間ではあるが、間断なく曲が生み出されている。こうした打ち込みようは、他の同時代の作曲家ではなかなか見られないのではないだろうか(映画音楽の作曲は除くとしても)。しかし、ケクランの生き方を振り返ってみれば、こうした創作姿勢にはそれほど驚くべきことはないと感じられるかも知れない。幼少期から天文学など自然科学に興味を持ち、音楽院に入学する前は名門エコール・ポリテクニーク(理工科大学)で理系分野の勉強をし、学生時代に入手したヴェラスコープ(3D写真機)を生涯愛用して約三千点の写真を残し、作曲家になってからもオンド・マルトノやミュージックソーなど珍しく新しい楽器に惹かれて創作に活用した。これらのユニークな事実、つまり音楽以外の分野への探求心や新しいモノにオタク的興味を示した人物像を考え合わせると、彼がある時期に映画という新時代のテクノロジーに熱中したのはごく自然なことだったようにも思えてくる。
 だが、ケクランは初めから映画に興味を持っていたわけではない。トーキーが登場する以前、サイレントの時代、このメディアに対する彼の評価はむしろ否定的なものであった。彼が初めて映画を観たのは1912年のことだったが、この頃の字幕の仰々しいつまらなさ、ありがちで浅薄なストーリーに彼は嫌悪感を覚え、軽蔑の念さえ抱いていたという。しかし、そうした悪印象は1933年6月29日に観た『嘆きの天使』で一蹴されてしまった。優秀な写真家でもあったケクランは映画のカメラワークにも惹かれたが、何より彼の心を射止めたのは、スクリーン上で魅力的に振る舞う女優マレーネ・ディートリヒの姿だった。非常な感銘を覚えたケクランは、その降って湧いた心情に突き動かされ、数か月後にはもう《セブン・スターズ・シンフォニー》を書き上げている。当時活躍していた7人の役者(ダグラス・フェアバンクス、リリアン・ハーヴェイ、グレタ・ガルボ、クララ・ボウ、マレーネ・ディートリヒ、エミール・ヤニングス、チャーリー・チャップリン)に想を得た7つの楽章を持つこの大規模な交響曲は、ケクランの映画に対する愛好の眼差しが音楽としてあらわされた最初の作品だった。
 この時のケクランの映画への態度はまだ深い興味といえるものだったが、それが情熱へと変化するのは、1934年8月7日のことだった。この日の昼下がり、彼は『女王様御命令』というリリアン・ハーヴェイ主演の映画を観て、完全にこの女優に心を奪われる。どはまりしたケクランは、当時の映画雑誌を読んでリリアンに関する情報や彼女のブロマイドを収集し、さらには自らファンレターを送るほどの入れ込みようを見せ、この熱烈な愛情は約2年のあいだ続いた。この時期、2つの《リリアンのアルバム》、《デイジー・ハミルトンの肖像》、そして《グラディスのための7つの歌》は全てこのリリアン・ハーヴェイからインスピレーションを得て作曲されており、いかに彼女が創作の源泉として特別な位置を占めていたかうかがわれる。
 映画や女優への愛情を見せる反面、ケクランは当時の映画音楽の卑俗さや軽薄さに対しては批判的意見を持っていた。映画に伴う音楽はどうあるべきか、という自らの考えを記事のなかで述べることもあったが、それを作品として実際に世に出す機会には恵まれなかった。事実、《バルセロナのアンダルシア女》や《あるクラリネット吹きの打ち明け話》は実際の映画に付随することを念頭に作曲されたものだったが、計画自体が頓挫したり、勝手に他人の音楽とすり替えられていたり、不幸の重なりにより映画館で陽の目を見ることはなかった。結果的にケクランが手がけたのは、写真家として有名なアンリ・カルティエ=ブレッソンが監督を務めた『生命の勝利』への音楽だけだった。これを最後に、ケクランが映画に関連して曲を書くことはなかった。

〈デイジー・ハミルトンの肖像〉
 1934年9月、映画とリリアン・ハーヴェイへの情熱の渦中にいたケクランは、自ら小説と65分尺の映画シナリオを書き上げる。これらは共に「デイジー・ハミルトンの肖像」と題されていたが、ここにヒロインとして登場するデイジーは言うまでもなくリリアンをモデルにしていた。ある若い絵描きが、かねてから思いを寄せていた女優デイジー・ハミルトンと出会い、二人は徐々に惹かれあい、一時の別離を経て最後には結ばれる。簡単に言ってしまえばこんなストーリーなのだが、この中で作者のケクラン自身は二人のキャラクターとして登場してくる。一人はデイジーと恋に落ちる絵描きで、ケクランの芸術家としての理想がこの人物に託されている。もう一人はシャルル・ケクランその人で、国際的に知られた作曲家であり、デイジーを親身に思っていろいろな忠告をする父親的存在として描かれている。彼女もケクランを慕っており、ことあるごとに彼の曲を聴かせてくれと頼む。デイジー・ハミルトンがリリアン・ハーヴェイをモデルにした人物であることを考えれば、ケクランがいかに自らの願望を込めているか、言うまでもない。同人二次創作的なファン心理に似たものも感じられる。
 同時期に着手されたのが《デイジー・ハミルトンの肖像》Op.140というわけだが、多くの人が予想することとは違って、この89の小品からなる曲集はシナリオへの音楽にはなっていない。むしろ奇妙なことに、シナリオ中で示唆されているのはこのうち僅か7曲のみ(今回演奏する「デイジーへの賛歌」や「大地のそよ風」はその数少ない曲)で、それ以外はケクランが過去に作曲した既存の音楽があてがわれている。こうした事情で、Op.140はほとんどがシナリオと関係なく、リリアン・ハーヴェイの写真や映画から得た印象をもとに作られた小品であるため、全体を見渡せば彼女にまつわる自由な小品集と捉えるべき内容となっている。この曲集は全7冊に分かれて、2007年から2016年にかけてSchott社から出版された。未出版の譜面が大量に残されていることもあり、21世紀になってようやく楽譜が出版されても驚くべきことではないのだが、この曲集に関しては特に出版を難航させる問題があった。それは、楽譜が未完成のまま残されてしまったことである。第1曲から第65曲、そして第89曲は音楽が完成されていたものの、楽器編成や速度指示、さらには強弱記号やアーティキュレーションの指示が全くされておらず、第66曲から第88曲に至っては初期のスケッチ段階で放置されていたという(第79曲と第87曲はそれでも補完可能なレベルだった)。これらを何とか出版できる状態にするため、ケクラン研究で名高いロバート・オーリッジとオトフリド・ニースが自筆譜を精査し、それぞれの曲に相応しい楽器編成を検討して編曲し、速度記号や強弱など細かい指示をこれまでの研究成果に鑑みて新しく付ける作業が行われた。その結果、後半の初期スケッチのみの曲をほとんど除いて、残りの68曲が出版された。第1巻・第2巻は各12曲のピアノ曲集、第3巻が7曲の2台ピアノ曲集、第4巻が8曲のフルート+ピアノの曲集、第5巻が8曲のクラリネット+ピアノの曲集、第6巻が11曲のピアノ五重奏曲集、第7巻が10曲の弦楽六重奏曲集として、めでたく世に出たのである。
 今回演奏するのは(追記:2021年6月19日)、ピアノのために編まれた全24曲の中から、私が選んだ15曲である。曲の順番も多少考えて、自分なりの配列にしてある。タイトルに併記されたメモを読むと、ケクランが一体何にインスピレーションを得たのかがよく分かるのだが、『』で示された映画も全てがリリアン・ハーヴェイの出演作で、彼の熱中度合いがここでも発揮されている。ケクランにとって、現実と隔絶された幻想の世界は、創造の糧を得るための自由な空想の場として常に重要なものだったが、映画もまたそうした場として機能していた。深刻な生活苦でも作曲家としてあらねばならない、そんな厳しい現実に対して、空想を羽ばたかせられる自由なファンタジーの世界として映画はあまりに魅力的だったに違いない。夢見る作曲家が一人の女優を通して描いた幻想の世界を垣間見ていただければと思う。

(文責:佐藤馨 大阪大学文学研究科音楽学研究室D1)

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