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【5-2】資本主義の次に来る「生物界互恵主義」

 ジェイソン・ヒッケル氏は「資本主義の次に来る世界」(東洋経済新報社、2023年)の中で、「与えるより多く取る」ことを原則とする資本主義の論理ではなく、生物界から必要以上に、分け与えられる以上の食物や資源を受け取らない「贈り物」の論理であれば、永続性があり、エコロジカルな社会が実現可能だと主張しています。その論拠は以下のとおりです。
 
【今も続く植民地政策による資本蓄積】
・資本家は、土地や森林、牧草地、その他人々が生きるために依存してきた資源を囲い込み、自給自足経済を破壊して、人々を労働市場に追いやった。
・資本の成長要求に応えるため、植民地化、大西洋の奴隷貿易、中国とのアヘン戦争が解決策になった。資本は蓄積を阻む障壁(市場の飽和、最低賃金法、環境保護など)にぶつかるたびに暴力的な解決策を使って新たな強奪と蓄積への道を切り開いてきた。
・1950年代に植民地主義が終焉を迎えた後、独立したグローバル・サウスの新政府の多くは、植民地時代の搾取的政策を覆し、人間の福祉を向上させるため、国内産業を保護するための関税と補助金の導入、労働基準の改善、労働者の賃金の引き上げ、公的医療や公教育への投資といった進歩的な政策を展開した。しかし、植民地時代に享受していた安価な労働力、資源、専属市場を失うことになる欧米列強は、南アメリカ、アフリカ、アジアの国々に対して、債権者としての力を行使し、世界銀行と国際通貨基金を介して、保護関税の撤廃、賃金の削減、環境保護規制の緩和、公共支出の削減、公共事業の民営化を推し進める「構造調整プログラム」を押しつけた。
・世界銀行とIMFといった世界経済を管理する国際機関は反民主主義的で、アメリカが重要な決定のすべてについて拒否権を持ち、高所得国が議決権の過半数を握っている。世界貿易機関(WTO)では、交渉力がGDPに左右されるため、植民地時代に豊かになった国々が国際貿易のルールを決めている。
・全世界の1%の最富裕層は、イギリスの平均世帯の中央値のほぼ8倍に相当する所得と、世界全体の半分に相当する総資産を確保している。この不平等は自然に生じたものではなく、強力な国と企業が貧困国の人々と資源を組織的に搾取してきた結果なのだ。
・高所得国の過剰消費は、グローバル・サウスの土地と人々からの不当な略奪のパターンによって今も維持されており、破壊的な結果をもたらしている。富裕国が援助や民間投資を行っているというものの、その合計を何倍も上回る金額がグローバル・サウスからグローバル・ノースへと流出しているのだ。
・グローバル・サウスの社会運動は、以前から、真の意味で脱植民地化と言える高所得国の脱成長をはっきりと要求してきた。
 
【生物界との互恵関係】
・わたしたちが生態系崩壊の危機に直面している理由の一つは、政治システムが完全に腐敗していることにある。政治家が企業や大富豪からの直接的な支援なしに当選できなくなり、大企業や富裕な個人が政府や議会へのロビー活動に莫大な資金をつぎ込み、減税や優遇措置といった形で220倍にもなって返ってくるような金権政治は、民主主義と両立しない。
・生物界を犠牲にしてでも永続的な成長に執着し、多くの人が重視する持続可能性に背を向ける資本主義は、反民主主義的な傾向があるのだ。
・地球の生物多様性の80%は、先住民族が管理する地域で発見されている。彼らが生物を守り育んでいるのは、慈善の精神からではなく、すべての生き物が基本的に相互依存していることを理解しているからなのだ。
・植民地化は、人間や自然を合法的に搾取するため「モノ」と見なすプロセスであったことを踏まえると、脱植民地化は「脱モノ化」から始めなければならない。
・作物を収穫したり、木を伐採したりすることは、必ずしも非倫理的な行いではない。非倫理的なのは、感謝の気持ちや互恵の念を抱かず、必要とするより多く、返せるより多く取ることだ。なお悪いのは無駄にすることだ。
・生物界から食物や資源を受け取る時は、権利としてではなく、贈り物として受け取れば、必要以上に取らず、相手が分け与えられる以上のものを取らないように自制が促される。贈り物には永続性があり、その論理はエコロジカルであり、それがもたらすのは平衡である。「与えるより多く取る」という包括的な原則を拠り所にしている資本主義の論理と真っ向から対立する。
・2010年にボリビアでは「母なる大地の権利法」が制定され、「母なる大地とは、相互に関連、依存、保管し、運命を共有するすべての生命システムと生き物からなる不可分のコミュニティによって形成されるダイナミックな生物システム」と認めた。これらの権利により、川と流域に害を及ぼしかねない大規模な工業プロジェクトを阻止する取り組みがいくつか成功している。
・わたしたちが直面している闘いは、単に経済をめぐる闘いではなく、人間の存在論をめぐる闘いであり、土地や森林や人を脱植民地化するだけでなく、わたしたちの心も脱植民地化しなければならない。
 
 里山の農地や林地を含めて、あらゆる土地が私有地として囲い込まれていますが、人口流出が進むにつれて、使われずに荒れ放題の土地で溢れかえってきています。この状況は、ホテルの朝食ビュッフェで、おかずを自分の皿に盛るだけ盛って、大量に食べ残しをして捨ててしまうのと同じくらい罪深いことです。
 そもそも土地は、大気や海や水と同じく、自らが製造したものではないのだから、囲い込んで所有権を主張すること自体が間違いなのです。土地を私物化し、そこに生きる動植物を「自分のもの」として言い張ることを是認する思想は、植民地主義を肯定的に見ていると言わざるを得ません。
 一方で、ヒトは生きていくために、生物自然界から食べ物などを採り入れる必要があります。地球という閉じた空間で永続的に暮らしていくには、採取するだけでなく、生物自然界に包摂される中で、お互いに収支が均衡したギブ・アンド・テイクの関係を回復していくしかないということだと思います。生物自然界から必要とするもの以上に採取しないことはもちろんのこと、何をどういう形でお返しするのが良いのか、みんなで知恵を出し合い行動に移していくことこそ、真の民主主義と言えます。


高木 圭介
E-mail: spk39@outlook.jp


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