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淋しくなくなるための体癖

クリスマス…

街は賑わう恋人たちの季節。
家族がいる人ならケーキとチキンを食べる季節。
あるいは仲間内でウェイウェイとはしゃぎ倒す季節。

イルミネーションは年末ムードを盛り上げ、「今年も色々あったよね」なんて一年を振り返らせる。
よく笑いよく食べ、ワイワイと過ごす楽しい楽しいクリスマス。

…ですが。
今から約20年前のクリスマス、個人的にとても悲しい出来事がありました。
友人が亡くなったのです。

神奈川県のある海岸で「淋しい」という遺書を残して、自らこの世を去りました。
「クリスマスの恋人ムードに耐えきれず、突発的に崖から飛び降りたのだろう」というのが周囲の見解で、私から見ても彼女の普段の振る舞いを見てその見解に相違ないのではないかと思ったのです。
濃い光は濃い影を作り出し、おそらく彼女はその影に飲み込まれてしまったのでしょう。

その友人は見た目や振る舞いは、体癖で言うと二週や四種や六種といった偶数体癖が濃い目の女性でした。
偶数体癖であるということは、集注要求体癖であるということ。
集注要求体癖であるということは、人からの愛を求める傾向が強い体癖であるということ。

私から見るに、彼女は淋しさによって殺されたのです。
淋しさに火をつけて煽って燃え上がらせるような当時の世相に殺されたようなものです。

とはいえ20年以上も前の話。
当時は割とこういった話はあったのです。
スマホもないし、マッチングアプリもないし、淋しさを埋めるための装置は今よりも圧倒的に少なかった。
恋人がいるのが当たり前の時代だった。
そういう時代でした。

令和ではもう「恋人がいなくて淋しいなんて時代遅れ」という見方もあるでしょう。
周りと自分との濃い境界線が引かれ、20年前よりもさらに個人主義的な雰囲気がありますよね。

だからこそ、淋しさを感じることも少なくないのではないかとも思うのです。
みんな違うことを信じていて、みんな違うことを感じていて、みんな自分が好きなことが違っていて、みんな違う行動をしている。
悪い意味での「私は私。あなたはあなた」。
それは「自分は理解されない」ということと同じなのだから。

いや、実際は感じていないのかもしれない。
感じないままに淋しくなってしまって、それが当たり前になっているのではないか?というふうにも見える。
”淋しさの常態化”が起こって、それを元に構築されているのが、現代という時代なのかもしれない。

淋しさは人を狂わせる。
自分では気づかないまま、ちょっと変わった人アピールをして周囲からの注目を集めようとしたり、「自分の方が上だ」と人に認めてもらうような行動をしていたり、人を支配しようと暴力的になったり、嫌われないように自己犠牲的になったり。

人は淋しさには耐えられないのです。
耐えているつもりで、人や自分に対して妙な振る舞いをしている。
あるいは、耐えようとして捻じ曲がって、それを”個性”ということにしてしまっている。

その一方で、それが素晴らしい芸術を産むこともありますし、偉業につながることだってありますよね。
本人が幸せかどうかは別として。
淋しさを克服するために人は動く、という面もある。

けれど…
残念ながら少数派でしょう。
淋しさをバネに頑張って世の中に貢献する人よりも、淋しさを持て余して、淋しさに呑まれて、人生の貴重な時間を浪費してしまう人の方が圧倒的に多い。

それなのに時代は「淋しいなんて甘えだよ。承認欲求なんて持っちゃダメだよ」なんて言う。
おそらくそれを言う人だって、淋しい。
けれど淋しさを感じず、自分が淋しいということに気づいていないのかもしれない。
それでいて、自分が言っていることややっていることを心の底では認めて欲しくて、「淋しいは甘え」なんて言うのかもしれない。

逆を言えば、「自分は淋しい」と認められる人は、非常に強い人なのです。
淋しさは生存率を上げるもの。
だって淋しさって、人間が心を殺さないための”生存戦略”だから。

人が感じる感情で無駄な感情など、ないのです。
意味があってその感情を感じる。

淋しさのようなネガティブな感情とは、アラーム。
自分の体なり心がピンチに陥っている時に「今、ピンチですぜ!」ということを知らせてくれるアラームなのです。

問題は、淋しさを感じ過ぎて感情そのものに呑まれてしまうことと、前述のようにその淋しさを感じないままに周囲にダメージを与えてしまっていることにも気づかないこと。

そして、体癖。

淋しいのに「淋しくない!」と自分に言い聞かせる体癖もあれば、淋しさを自分の話ばかりをすることで埋めようとする体癖もあれば、淋しいがゆえに人よりも多くのものを手に入れて人からの愛の代替にする体癖もあれば…

というわけで今回の『タイヘキストマガジン』は、淋しさと体癖について。

ですが、実は以前にもほぼ同じテーマで記事を書いていたりもします。

が、この『愛を求める体癖〜』とは少し切り口を変えて、「淋しくなくなるにはどうすればいいか?」にフォーカスを絞って書いていきたいと思います。
手前味噌ながら併せて読まれるとさらに淋しい人でなくなるのではないか?と思います。

私も淋しい人間でしたから。

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