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高潮の体癖〜奇数体癖よ、調子に乗ってんじゃねぇぞ〜

いきなりハードな話題ですが…

精神科のお医者さんから聞いた話で、「躁鬱病は、躁状態の時の方が危険が多い」というのがあります。

ハイになりすぎて、そのまま命を絶ってしまうことがあるからなのですね。
周りの家族などは、その病気を患っている本人がハイになっている時より、ダウナーな時の方が安心するのだそうです。

躁鬱病とは、躁と鬱が交互にきて、躁の時は極端に躁になって、鬱の時は極度に鬱になる精神的な病気。
患っている方は大変でしょう。

躁鬱病の方の体を診ると、躁の時はそうでもないけれど、鬱の時は頭の後の骨(後頭骨)と首の間の筋肉がめちゃくちゃ固くなっています。
体にまでその変化の影響はかなりあるのですから、心はもっとカオスなのではないかと推察されますね。

波のように躁と鬱が交互に繰り返される精神状態は、この病気を患っていない人にでも軽度にはあるのです。
体癖的な用語で言えば、”高潮と低潮の体の波”ということになります。

もっとも、躁鬱病と高潮と低潮を一緒くたにして考えることはできません。
躁鬱病は医師によって診断を下される疾病であり、高潮と低潮は何かしらの疾患がある人でも、ない人でも、ほとんど同じように繰り返されるものだからです。

そう、高潮は良いことばかりではない。

高潮とは”活動に適している状態”であり、基本的には心身は生き生きとして、心身の症状があったとしてもそれほど強く感じなくなり、元気で楽しい状態です。
いわば「ハイな状態」。
それゆえにやってしまうやらかしもあるのですね。

ただ、やらかしの頻度や質は、低潮時の方が多く質が良くないものが多いでしょう。
高潮時のやらかしはどちらかと言えば無邪気で、ダメージも少なめ。

とはいえ、それは「高潮している本人にとっては」ということに限定されているのであって、その人を相手にしている人にとってはなかなかのダメージになる場合もありますよね。
まして低潮して調子の悪さを感じている人が、高潮してハイになっている人と関われば「アイツめ!」と思ってしまうこともあるわけです。

というわけで今回の『タイヘキストマガジン』は、”高潮時の体癖”について。

常々書いていることなのですが、体癖を人生で活かしていくためには、自分はどんな体癖で、どんなやらかし癖があるのか?を意識して、自覚していくことが大切です。
それによって、人とのコミュニケーションもさらに良いものになっていきますし、人から嫌われたり、あるいは自分が自分を嫌いになったり、トラブルも減っていきます。

あくまでも自分。
体癖という学びは、自分自身を振り返り、「じゃあどうなったらいいか?」を見つめていくことによって、どこまでも役に立ちます。

が、相手がどうであるか?ということもその次くらいには大事ですよね。

そんなわけで今回のテーマはちょっと視点を変えて、高潮時の体癖各種がどんなやらかしをするかを見ていくことで「苦手なあの人は、ただ高潮しているだけだったんだ」ということを理解するために書いていきます。

高潮しているとノリノリのイケイケになって、人が見えなくなる場合もあります。
当然、この『タイヘキストマガジン』で常々書いている”ストローク(=愛)”があれば別で、ストロークによってちゃんと客観的になれたり、場をわきまえたり、人に視線を送ったりすることもできるわけですが、重要なことは「高潮=ストローク」ではないのです。

ストロークがあってもなくても、人は高潮し、低潮します。
ストロークなき高潮は、本人は良くても、関わっている周りが大変な時がありますよね。

あなたもその被害者だったのかもしれません。

元気な人は長く高潮する

高潮と低潮の体の波は周期的に起こるものですが、その周期には個人差があります。

3年半または7年の大高低の波、80週の中高低の波、4週または8週の小高低の波、1週間の間にも1日の間にもさらに小さな波があると晴哉先生はおっしゃっていますが、「体の丈夫な人は高潮期が長い。小児は低潮期が短い。寿命が少なくなるほど、低潮の度は甚だしい」ともおっしゃっています。
(なんで「丈夫な人と小児は高潮期が長く低潮期が短い」と書かないのかは謎w)

これは私ソシャフィアの研究ですが、体の波は周期的に起こる波とストレスなどの影響によって起こる波もあります。
強い心理的ストレスを感じることによって、あるいは何かの出来事や状況に対して無意識に脳が「これはストレスだ」と処理すると、低潮します。
体からの体癖診断で調べていくと、そのように検出されます。

ストレスを感じやすい人や、感じていなくてもストレスが溜まりやすい環境にいる人は低潮しやすく、その低潮も長引きやすい。
体が「休んでくれ!」というメッセージを症状を通して訴えているのです。

つまり、それとは逆のことを誤解を怖れずに言えば…

元気な人ほど、ストレスを感じづらい。

そのこと自体は素晴らしいことですよね。
元気がないより、元気がある方がいいじゃないですか〜

その一方で、自分のストレスを感じづらい人は、人のストレスも感じづらい。
人が「イヤだな…」と思うことを平気でやってのけるのです、無意識のうちに、イケイケになって。

ほら、いるじゃないですか。
「私ってストレスないの〜」とか言う人。
そういう人ほど、周りにストレスを与えていることに気づいていないわけです。

そりゃストロークがあれば、周りにストレスを与える度合いは減っていくわけなのですが、そういう人に限ってストロークが少ない人が多いように感じるのは、私が八種九種だからなのでしょうか。

ある意味では、そのくらい図太い方が現代社会では生きやすいですね。
ストレスを感じやすい人の方が、人に気を遣って疲れ果てる…

ですので、イケイケで周りを気にすることなく、自分のやりたいようにやって自分の言いたいように言う人が近くにいたなら、「あぁ、いま高潮しているんだな」と捉えるだけでいいわけです。

ストレスを感じやすい人の多くが、他者の言動を自分のものとしてしまうのですね。
相手が怒ったら自分のせいだと思い、相手が自分にそっけないフリをしたら自分が何かやったのだと思う。

相手の言動は相手のもの、相手の都合は相手のもの、相手の感情も相手のもの。
こちらを攻撃しているのではなく、単に相手の内側の状況が相手にそのような態度なり言動なりを取らせているだけなのですね。

「じゃあ自分もあの人と同じようになんでもやっていいんだ!言っていいんだ!」と言うと、それも違う。
他人のフリ見てなんとやら。
高潮やストロークということを知った以上は、もっと適切な言動をとっていくことができますよね。

誰の言動も自分のものとせず、自分が最高だと信じることをただやっていく。
それこそが「自分は自分でいるぞ!」という自分自身に対しての生き方の意思表示であり、タイヘキストとしてのあるべき姿なのではないかと思うのです。

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