見出し画像

うちに帰ろう うちで過ごそう

~その人らしい生活を支える医療の実践~

 医学生時代の研修で垣間見た在宅緩和ケアに強い衝撃と感銘を受けたのが2009年。10余年の月日を経て2021年3月、医師として最初に抱いたこころざしの原点に返ってきました。

 病院の医療こそが全てと信じて疑っていなかった自分が、在宅医療の現場を目の当たりにした時、何よりも驚いたのは、病院での治療を断念して自宅に戻った患者さんが、在宅緩和ケアチームのサポートを受けながら、ご自宅でごく普通に、病院よりもずっと穏やかに、時にはとても楽しそうに、生活していることでした。すでに人生の終末期には違いないのに、家族と何気ない話題で楽しくお喋りしたり、お気に入りの音楽を聴いたり映画を観たり、時には大好きなたばこやお酒も楽しみながら、皆さんそれぞれご自身なりのやり方で人生をしまっていく。病院で亡くなることしか知らなかった私にとって、最期まで自分らしく生き抜くことを実践する患者さんがいて、それをサポートする医療があるというのは、固定観念の厚ぼったい殻をハンマーでガツンと叩き壊された鮮烈かつ痛快な衝撃でした。

 この10年ほどで緩和ケアという言葉それ自体は、一般の人々にもかなり広
く知れ渡るようになったと感じています。しかしながら、どうしても「麻薬で痛みをごまかす医療」ですとか「死にゆく人のための医療」といった、ある意味誤った認識を持っている方がまだまだ多くおられるのも事実です。亡くなりゆく方々を「穏やかに看取る」のは、確かに緩和ケアの大切な仕事の1つではありますが、それはあくまで医療が患者さんに対して行った支援の結果であって、目的ではないと私は思っています。私は穏やかな看取り以上に「最期までその人がその人らしくその人の人生を生き抜く」ことに興味があるのです。

 ここでは敢えて対比的に書きますが、病院での医療は「患者さんが医療に
生活をフィットさせる」のに対して、在宅医療では「我々医療者が患者さんの生活に医療をフィットさせる」という全く真逆のことが起こります。これはどちらが良い悪いという話ではなく、状況に応じてどちらも必要な車の両輪です。医療は病を癒し治すべく今日まで驚異的な発展を遂げ、現在もそしてこれからも、その大義は変わらないでしょう。病気を治し日常を取り戻すためなら、現在の生活を少々犠牲にしてもやむを得ないという場面は確かにあります。ただ一方で、人間はいつか必ず亡くなります。もちろん原因は様々ですが、現代の日本において多くの人は、病がその引き金になるでしょう。病によって亡くなる多くの方々に対して、最期の瞬間まで医療に生活を合わせ、病院に囚われることを求めるのは、ご本人がよほどそれを望んでいない限り、とても酷なことだと私は思います。

 自宅という患者さんが最も自分らしくいられる生活の場に少しだけお邪魔させて頂き、その暮らしが少しでも穏やかに幸せに送れるようサポートする。そして、患者さんが最期の一息まで自分らしく生き抜くお手伝いをさせて頂く。さらに、遺されたご家族や大切な方々が、それから先の人生を前向きに温かい思い出とともに歩めるよう黒子のようにそばで支える。それが在宅緩和ケアの醍醐味だと日々実感しています。

 この在宅医療の世界に飛び込んでからまだ日が浅く、知識も経験も乏しい若輩者の私が伝えられることは多くはないですが、これからじっくりとこの世界で、患者さん並びにご家族と向き合い、「その人らしく生き抜く」サポートをするプロフェッショナルになりたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?