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学生時代に頑張ったこと

僕が学生時代に頑張ったこと。
それはただ一つ、よさこいです。そのよさこいを先日、引退しました。余韻に浸りながら、想いを綴りたくなりnoteを書いています。よろしければご覧ください。

簡単に言うとどんな活動をしたの?

僕たちは、【大阪市立大学チーム朱蘭】というチームで活動をしており、年に約20回、お祭りで演舞を披露しています。チームには毎年、大学1年生から3年生まで100人~120人が在籍しています。全員が毎回の祭りに出るわけではなく、自分が出たいお祭りがあるときには練習に参加し、お祭りに出ます(僕は全て出ました)。中でも毎年9月に開催される「こいや祭り」にて、大賞を取ることを目標としています。僕たちの代は12代目で、現在は14代目まで在籍しています。

また、披露する演舞は毎年0から作成し、1年間踊り続けます。

朱蘭ってどんなチーム?

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チームコンセプト:一期一会

大事にしていること:自分たちが1番楽しむ

目標:こいや大賞

これが代々受け継がれてきたことです。演舞中の歌詞には毎年「一期一会」が入っており、お祭りで踊るときは楽しむことを1番意識します。チームによって大事にしていることや目標は異なります。僕たちはよさこいを踊るのが好き!という人がたくさんいるわけではなく、仲間と踊ることが楽しい!という人が多いチームです。

そもそもなぜよさこいを始めたのか?

これは必ずと言っていいほど聞かれますね(笑)僕は小学校2年生から高校3年生まで10年間サッカーをしていました。なので、大学ではサークルでゆるくサッカーかフットサルをする気でいました。いざ大学に入学し、サッカーやフットサルの新歓に足を運んでみると、本当にゆる~~~く活動していました。週1回くらいグランドに集まり、特に大会などに出ずに活動するだけ。ここに入ってもいつかやめそうだな、そう感じました。目標に向かって仲間と向かっていくことを欲していたのです。

そろそろ新しいこと始めるのも良いかもな。こう思い色んな部活やサークルの新歓に足を運びました。そこで出会ったのが、朱蘭でした。新歓で新入生に向けて演舞を披露して下さったのですが、そんな舞台でさえも楽しそうに踊り、本気で声を出されていました。そんな演舞に魅了されたことと、「こいや大賞」という高い目標を掲げられていた部分に惹かれ、気付いたらよさこいを始めていました。

1年目

僕たちのチームでは、「1年目は楽しむ年」と言われていました。役職などは与えられず、演舞作成も2・3年生が行います。お祭りで踊る楽しさを存分に楽しみます。

特殊に挑戦

1年目で1番挑戦したことです。

演舞では、踊り子・MC・大旗振り・大道具など踊るだけでなく様々な役割があります。踊り子の中でも、一般パートと特殊パートがあり、特殊パートとは一般と衣装が異なり、舞台の中心で踊ることが多いパートです。いわゆる演舞の主人公です。特殊パートは2・3年生がすることが多いのですが、僕たち1年生にもチャンスがありました。特殊をすると、チームに貢献できるのではないか?と考え、僕は特殊に立候補しました。

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↑舞台の中心で踊っている様子

よさこい難しすぎる

特殊パートを始めて感じたことです。先輩方のようにしなやかにかつ力強く踊ることができませんでした。悲惨で自分が恥ずかしく、先輩にアドバイスを求めることを躊躇したときもありました。練習前と練習後の自主練習には注力しましたが、「もっと先輩を頼るべきだったな」と先輩になった今感じます。

2年目

次の挑戦は、演舞作成班

2年目から、役職につくことができます。僕は演舞作成班に所属しました。理由は、目標としていた「こいや大賞」を取るためです。1年目のこいや祭りでは、ファイナルステージにすら立てませんでした。このときの悔しさを晴らすため、自らがチームに貢献したいという想いから、演舞作成班に入ることに躊躇はありませんでした。

演舞作成班の中でも、振り班大旗班を兼任

演舞作成班の中でもいくつかの班があります。イメージとしては、

演舞作成を1つのプロジェクトとしたら、いくつかの部署(振り班や大旗班)がある。

振り班・大旗班・大道具班・衣装班・曲班・MC班という班があり、全部で40人程です。演舞作成の流れは、5ヶ月ほどで演舞作成班全体で、演舞のコンセプト・テーマ・構成を決めてから、そのあと各自の班で3ヶ月ほど作業します。

その中でも振り班と大旗班を兼任しました。元々は振り班の先輩方の踊る姿や、練習の指揮を執る姿に魅了されて志したのですが、大旗班の先輩にも憧れを持っていました。演舞の質を向上させていくには大旗の力が必要ということで、チームに貢献したい想いで大旗班もすることにしました。

振り班

振り班が行うことは大きく2つで、演舞の曲に合わせて振りを制作し、メンバーに教える。お祭りに出るときの舞台上の隊列をつくり、練習を仕切る。振り制作をしてみたいという憧れもあったのですが、大勢のメンバーを仕切ることに挑戦してみたいという想いもありました。これまで、人の前に出ることは正直苦手で、練習を仕切ることは自分にとって困難であることは承知していました。よって最初は、上手くいきませんでした。それでも、自分なりに考えてどうやったら上手く仕切ることができるかを考えたときに、自分のファンをつくって一緒に創り上げてもらうことが最適だと感じました。隊列を丁寧に創ったり、大勢を仕切りながらもメンバー個人へのアプローチも行ったりと、自分ができることをすれば徐々に信頼を得ることができました。

振り制作においての困難

振り制作では、先輩との力の差に苦しみました。先輩は1年先に経験していおり、最高学年としての熱量も違いました。振り制作のやり方として、1つのパートに対して各自が案を考え、思いついた人から発表するといった形式でした。先輩の考える振りは革新的で、当時の自分には考えられないものばかりでした。他のチームの振りを見てインスピレーションを得ようとしても、中々上手くいかず、いつしか先輩の案に頼ってしまっていました。振り制作は3ヶ月間、ほとんど毎日行っていて、自らの案で貢献することができなかったため、徐々に当事者意識が薄れていました。そのまま振りが完成し、チームのメンバーが楽しく踊る姿や、これから祭りで踊っていくことに心が躍りました。振り制作では貢献できなかったけど、その後の練習では自分なりに貢献しようと強く思いました。先輩が前で仕切っているときに、中から声を出したり、前で仕切っている人から見えにくい細かい部分を見たりと、仕切らなくてもできることはたくさんあります。後輩へ振りを教えることなどは特に注力して行いました。振り制作のときの苦難を晴らすことができたのではないかと思っています。自分にできることを最大限行いチームに貢献することは自分にとっての行動指針だと言えます。

大旗班

大旗班に関しては、憧れはあったものの、振り班ほど力を入れるつもりはありませんでした。そんな想いで始めた大旗に、一瞬でハマったのが僕です。たしかに最初は上手くいかないし、力がいるから大変だったのですが、先輩が粘り強く指導して下さったおかげで徐々に振れるようになり、ハマっていきました。そんな先輩と、お祭りで一緒に旗を振りたい想いが強くなりました。目標である「こいや祭り」までの半年間で、技術を向上させるために、週3日の練習の2時間前に練習場に行き、自主練習を重ねました。その際、先輩や他のチームの動画を見て実践する。それを先輩に見てもらって指導をもらうというサイクルを創りました。また、よさこいは他のチームの人と一緒に練習をしたり、一緒に祭りに参加したりするのですが、私は他大学の計5チームに足を運び、合同練習などを行いました。振り班との兼任ということで、朱蘭に使う時間は膨大でした(2年生前期は単位かなり落としました😅)。よさこいに実直な姿勢で取り組むことで、技術の向上と仲間からの信頼を得ることができました。先輩からも「負けてられない」という声を頂き、周りへの影響力も発揮できたのではないかと考えています。

こいや祭り2019 悲願のフィナーレ進出

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2年目、演舞作成に関わった「朱蘭2019年度演舞 溢喜」で、こいや祭りのフィナーレ進出を果たしました。こいや祭りには約100チームが参加し、フィナーレに進むことができるのは8チームのみです。当時の現役メンバーは、どの代もこのフィナーレの舞台に立ったことがありませんでした(朱蘭は過去、こいや祭り”準”大賞を2回、フィナーレにも数多く進出していました)。そんな中、こいや祭り大賞を目指し、まずはフィナーレに進出したときの喜びは一生忘れないでしょう。惜しくも大賞には到りませんでしたが、こいや祭りに向けて喜怒哀楽を共に努力した過程は宝物です。

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3年目

自分たちの代が最高学年となり、今年こそは悲願のこいや大賞を達成しようと思っている矢先

コロナウイルス到来

2020年度は、1年間で参加する予定だった約20の祭りが、全て中止となりました。自分たちが活動できる最後の年だったこともあり、ショックは大きいものでした。それでも、最初は希望を持ち、演舞作成は完了させました。3年目では、振り班と大旗班を継続し、どちらもリーダーとして演舞作成に注力しました。どちらも原動力は班員が輝ける場にすること。特に振り班では、2年目に意欲が薄れてやりがいを感じられなかった経験から、後輩には同じ思いをさせない場にすることを目標にしました。自分は引っ張るリーダータイプでは無いため、共創を意識して班員に接しました。

結局祭りが開催されることは無く、お客様の前で演舞を披露することは叶いませんでした。

それでも、活動が制限された中で、チーム内で最大限活動できたと思います。

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2020年7月 2020年度演舞 勝鬨 チーム内初披露

コロナ禍での活動だったとはいえ、演舞作成は例年通りとまではいかなかったですが、それなりの祭りで披露できるレベルのクオリティにまで持っていけました。また、チームとして練習やイベントを行い、新入生も無事例年通りの人数の入部、定着を得ることができました。

先日、朱蘭を引退し、約3年間のよさこいを終えたのですが、最後の1年は特に、

仲間の存在がやりがいでした。

当たり前が無くなったからこそ、祭りで踊ることができていたことに感謝していますし、何より仲間と踊ることの特別さ、ありがたさを身にしみて感じました。これからの人生においても、周囲の仲間の存在が原動力となるのは確かでしょう。これから出くわす壁を乗り越えていくのにも、仲間と共に乗り越えていきたいです。そして、周囲の人や環境によって"想い"を諦めてしまう人に寄り添い、共に壁を乗り越え実現できる人間になります。

よさこい人生を終えて

よさこいを通して、朱蘭での活動を通して、色々学ぶことがありました。

✔自分たちの創った演舞でお客様を笑顔にし、感動してもらえることへのやりがい
✔挑戦することで見られる景色がある
✔苦手なことに対しても真摯に取り組むことで信頼を得られる
✔周りを頼ることも時には重要
✔当事者意識は貢献実感から生まれる(人による)
✔苦しいときの原動力は【仲間】

他にもたくさんありますが、これらは今後も大事にしていきたいです。

よさこいにかかる費用は1年間で40万円ほどでしたが、それを超えるほどの楽しさ、出会い、やりがいなどが詰まっていました。今の後輩やこれから朱蘭に入ってくれる人たちにとっても、かけがえのない場所であってほしいと願っています。

残りの学生生活は1年間。今は就活を頑張り、朱蘭のOBとしてサポートすることや、今属している仕事塾の活動に注力したいと思います。


最後まで読んで下さり、ありがとうございました!

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