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「自己肯定感」はどこにあるのか。【2023年9月19日】

「日本の若者は自己肯定感が低い」みたいな調査の結果はたくさんあって、実際に高校生と話していても「わたし、自己肯定感がめっちゃ低いんです」というようなことをよくきく。この「自己肯定感」って言葉があることで助かる人もいるのかもしれないけれど、この言葉のせいで苦しんでる人もたくさんいるよなー、きっと。

でね、おれ、この「自己肯定感」の捉え方がちょっとちがうんじゃない、と思うことが多くてね。

多くの人は、さっきの高校生みたいに「わたしの自己肯定感がひくいんです」と言う。自己肯定感は「わたしの中」にあるという認識。そうなると、どこへいっても、誰といても、「わたし」は自己肯定感の低さを持ち歩いていて、ずっと低いまんまだということになる。

そんなことはないんじゃねぇか、と、思うわけよ。いくら「自己肯定感が低いんです」という人にも「この人といるときのわたしを、わたしは好きだなぁ」って思える人とか「この場所にいると落ち着くなぁ」とか、そういう場所がきっとあるんじゃないかなー。

逆のパターンで「この人といるとマジでテンション下がるわ」とか「この場所にいる時の自分は本当にダメだわ」と思うような人や場所もある。

たとえば、めちゃくちゃ運動が好きでゲームが苦手な三浦くん、というやつがいたとする。運動会のときや、外で遊ぶときは自己肯定感が爆上がりする。けど、学校から帰って友達の家でみんなでゲームをするとなると、自己肯定感が爆下がりする。みたいなこと。(実際にあった話です)

つまり「自己肯定感が低いわたし」なのではなく「わたしの自己肯定感を下げる場」があるということ。「わたしの中」ではなくて、「わたし」と「場」の関係性の中に、自己肯定感は存在する。

もし、日本の若者の自己肯定感が低いっていうのなら、日本の若者が自己肯定できる場が足りねぇ、ってことじゃねぇかな。

だから、おれはできるだけ、みんなが自然と自己肯定できるような人であり続けたいし、場をつくり続けたいなー、と思います。

今日も読んでくれてありがとうございます。そんなこと考えてなくても生きられる世界をつくりたいぜ。

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