足りないを知る。【2023年6月27日】
ここ数年、10代、20代前半の頃に描いた「これをやれば、おもしろいかもしれない!」とか「これをやったら、問題が解決するかもしれない!」みたいなことに、無我夢中でやってきた。
昔の自分が描いた夢の多くは、ありがたいことに、形にしてくることができた。だがしかし!描いた夢を実現すればするほど、「足りなさ」を自覚させられる。
思えば10代の頃、何かを変えたくて、海外へひとり旅したときもそうだった。ひとりで旅をすれば、何かが変わると思っていた。けど、旅はあっけなく終わり、人生は劇的に変わることなく、帰ってくれば、ちょっとだけ新しい体験をした自分がいるだけで、変わらぬ日常が続く。旅に出る前の高揚感はどこへやら。
でも、あきらめたくなくて、このままで終わってたまるかと、懲りずにまた、旅にでる。そしてまた「足りなさ」を自覚する。
「足るを知る」という考え方は大好きで、そういうモードになることも、もちろんある。それでも「足りないを知る」というのも好きだ。
夢は叶える前が一番幸せだということを聞いたことがある。夢に向かわず、今いる場所で「足るを知る」こともできるのかもしれない。
それでも「このままじゃいけない」という、何か、自分でもよくわからない衝動に突き動かされて、夢のその先で「足りなさを知る」ことで、人生は、もっともっとわからなくなって、だから、たのしくなるのかな、とも思う。わからないが増えることは、苦しいけど、たのしいことだから。
今、「足るを知ろう!」と思えば、思える。それでも、「足りないを知っちゃってるからさ!」という気持ちのほうが強い。
高揚と感動と葛藤、その繰り返し。
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