自分のエネルギー源

お久しぶりです。またブログを書こうと思い戻ってきました笑
というのも、意外にも前回のブログが好評で、また書いて欲しい!と言ってもらえる機会が何度かあったからです。
就活も終わり大学の授業はオンラインで、時間が有り余っているため、自己満と一部の読みたいと言ってくれた人達に向け、再び書いてみたいと思います。(もちろん他の方々も読んでください!)
拙い文章ではありますが、是非ご一読くださると嬉しいです。

とはいうものの、何を書こうかという感じですけど…
小中は前すぎるし、大学では人に話せるようなことは何もしてないし

てなわけで、高校時の話をします!前回はサッカー人生を軽く振り返ったブログでしたので、今回はサッカー人生の中でも特に印象深い高校時代を振り返ります。高校の時の怪我からどう立ち直ったのか、どうしてそこまでしてまたサッカーをしたかったのかなどを聞いてみたいと言われたことが多々ありましたので、高校サッカーについて書きます。
高校サッカーというより怪我ですかね。怪我が自分をどう変えてくれたのか書きます。俺には怪我くらいしか話すことありません!笑
前置きが長くなりました、いつもすみません。文章書くのが面白くてつい…

さて、なぜ高校の時が印象深いのか?それは、喜怒哀楽の激しすぎた3年間だったからです。

チーム全員で勝利・成長に喜び、自分に対して怒り周りから怒られ、敗北・評価されないことに悲しみ苦しみ踠いて、でもサッカーをしながらみんなと居るのが楽しくて、これだけ自分を嫌いになり罵った3年間は非常に濃いものでした。この時の悔しさや、やるせない気持ちが今の自分の原動力となっています。

やはり、高校サッカーの大半を占める悔しさは、怪我で長期離脱をしたことです。左膝の前十字靭帯断裂、半月板損傷で1年の戦線離脱を余儀なくされました。しかも怪我した時期が、新チーム始動の2年時冬でした。リーグ戦第1節前半5分!早すぎるでしょ笑

新チーム開始ということで、チーム内競走も激しく、いつスタメンを外されてもおかしくない状況でした。
更に、プレーの調子も良くなく、監督コーチに厳しく指導され、メンタル的にやられてました。
なので正直足を痛めた瞬間は、「1ヶ月くらい休めるかもしれない。少し休んで、気持ち入れ替えてこよう」くらいに思って、ラッキーとまで思っていました笑
しかし、実際には全治一年という経験したことのない大きな怪我でした。さすがに長すぎる!笑

目の前が真っ暗になり、病室を出た後は暗い病院の廊下でぼーっとしていたのを記憶しています。どれくらいの時間座っていたのかは覚えていませんが。

サッカーを辞めて、勉強に専念しよう。一度はそう決心しました。
けれど、監督に電話をかけ事情を説明すると、
「必ず帰ってこい。リハビリしっかりするんだぞ。」と言われました。これからどうするんだ?とは言わずに、リハビリして強くなって戻ってこいと。
夜な夜な泣いていた親の姿、また一緒にサッカーやろうと言って励ましてくれた仲間達、叱咤激励してくださった偉大な先輩や恩師のためにも、絶対復帰してやると改心しました。

それからリハビリに励む日々。辛くて泣いたことも血尿が出ることも正直ありました笑笑

自分達の代では、新人戦優勝、インターハイも県予選優勝し全国へ出場しました。しかし、どちらもピッチに立つことはできませんでした。

インターハイ予選。中学から一緒のチームメイトが監督から「あいつの分までやってこい」と後押しされ、決勝点を決めたことは今でも鮮明に覚えています。勝利で泣いた初めての日でした。ベンチで大号泣!

そしてこの写真↓
インターハイ県予選優勝した時の写真です。ゲキサカや雑誌などによく載ってるもの。
自分としてはなんとも言えない写真です、この中に自分は写っていません笑
写っていないことを知ってるのはおそらく3人ほどだと思います笑

(人にするような話しじゃないけどネタが無いんで勘弁してください笑)

結論、これが自分の「エネルギーの源」となっている写真です。
まず写らなかった理由は2つあります。
一つ目は、申し訳ないからです。ただの怪我人なのに、2年時からトップチームでプレーする機会があったという貯金もあってか、新チーム始動後もずっとトップチームに帯同させてもらっていました。チーム編成の際に、怪我人枠でなく、トップに名前を入れていただいていました。もちろん大変ありがたいことですが、他のチームメイトからしたら、「なんで怪我してんのにトップなんだよ」と思っている人もいたかと思います。なのに、ここでグラウンドに立ってるメンバーと同じ立場で写真に写ることに抵抗がありました。

二つ目は、選手権までに復帰して、ユニフォームを着ている状態で撮りたかったからです。バックアップメンバーとしてベンチワークをしていましたが、ユニフォームは貰えていませんでした。なので、ユニフォームを着て試合に出て、優勝するその時まで写らないと決めました。そして、リハビリのモチベーションにしました。

           ※インターハイ県予選優勝

そして、選手権1ヶ月前に復帰することができました。選手権までの期間、がむしゃらにアピールした結果メンバーとしてユニフォームを貰うことができ、スタメンを勝ち取ることができました。

しかし結果は、ベスト8。自分自身何もできずに終わった大会でした。よって、優勝して写真を撮ってやるという思いは果たせませんでした。

復帰して、監督コーチの元でまた指導してもらえたこと、大切な仲間とサッカーできたこと、親にサッカーしてる姿をもう一度見せられたことには、大変満足しています。でも、夢の舞台である選手権で全国に出るという目標は果たせず、自分自身何も残せず終わった高校サッカー人生は悔しさばかり残りました。

だからこそ、この写真を見ると思い出します。なにも成し遂げられなかったから写真という記録にも自分を残せなかったと。悔しさと情けなさを感じます。
でもそれと同時に、「次は必ず目標を達成してやる、目的を果たしてやる、成し遂げてやる」という強い気持ちが湧き上がってきます。

そういった意味で、この写真が自分の「エネルギーの源」となっています。

ちょっとどっかで写っとけば良かったな!とか思うこともあったりなかったり……笑

総じて、
怪我しなかったら得られたものもあるだろうけど、怪我して得られたことの方が多いと思わないと押し潰されそうになる時がふとした時良くあります。

怪我したからこそ、見えたことも沢山あります。
当たり前の事に感謝する大切さ。
人の気持ちに寄り添って思いやる気持ち。
周りの人の支えのありがたさ。
人に敬意と感謝をする重要さ。
継続することの苦しさと大切さ。
何かを成し遂げるには何かを犠牲にすることもあるということ。

他にも様々なことを学ぶことができました。


楽しかったより辛い悔しいが大半だけど、間違いなく人生の青春だった高校時代。今の自分があるのは、形作っているのは、高校時代の経験だと思います。

これからもこの写真を見て、日々何かに挑戦して、成長していきたいと思います。

クソ長い文章最後まで読んでくれてありがとうございました!!面白かったと思ってくれたら嬉しいです👍

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