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 細川淳矢選手が選手ではなくなった。
私の青春のすべてだった人が、選手ではなくなる、その心情を綴ろう。

出会い

 私が彼と出会ったのはまだサッカーを見始めて2年も経たない頃だった。
 当時中学生だった私は部活の練習試合が終わってすぐスタジアムに来たものの、試合はすでに終わっていたかほとんど終わっていた。とはいえ試合後のファンサービスにまだ熱のあった時期だったのでベンチ外の選手にサインをもらおうと正面玄関で待ち構えていた。すると細川淳矢選手がやってきて私の前にいた子供にサインをしようとした。ところがその子供はペンを持っておらず、近くにいた母親も細川選手も困っていた。私はペンを貸して、子供へのファンサが終わってからサインをいただいた。
 これを読んでいる皆さんはご存知かもしれないが、帰宅時のケーズデンキスタジアムは駐車場も周辺道路もかなり混む。しかもその日は部活を終えてから来たので普段停める駐車場は満車で少し離れた駐車場を使った。そのため駐車場へ歩いていると目の前に車が入ってきた。運転席には細川選手がいて、迂回しようと車をまわすところだった。お互いにさっきの人!?みたいな顔をした(はず)。これをきっかけに私は細川淳矢という選手を見るようになり、好きになっていった。

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 ところで話は変わるが、皆さんは死にたくなるような苦しさを経験したことはありますか?私は中学生のときにそれを経験しました。
 詳しくは以下のツイートを見ていただきたい。

 そういうわけで水戸ホーリーホックに生かされてきた私だが、特に細川選手の存在は大きかった。あまり怪我をすることもなく、(イエローの累積を除けば)試合を見ればいつもそこにいた。ホームゲーム後には差し入れをするという口実を使って少しの時間お話をして。そんな日常を作っていただき、その日常を過ごすために当時の私は平日の地獄を生き抜くことができました。
 サッカー選手になっていただき、水戸ホーリーホックに来ていただき、そして10年もの間在籍していただいて、本当にありがとうございました。あなたのおかげで私は、生きて、実生活でもSNSでも素敵な人々と出会うことができ、大学も決めて、就職も決め、人生を歩んできました。「水戸ホーリーホックの細川淳矢」に私は生きる力と楽しい人生を送るチャンスをもらいました。

終わりと始まり

 2021年、私の水戸ホーリーホックは1度終わりを迎えた。そこにいつもいた人が段々いなくなることが増え、いなくなることが確定した。その事実を受け止めきれずに、違うコンテンツに逃げ込んだ。誰が悪いわけでもなく、ただ「そうなった」だけなのだが、どうしても気持ちの整理がつかず、より熱狂出来るコンテンツを見つけ、2022年はほとんど水戸ホーリーホックの試合に行っていないし、しかも見ていない。水戸ホーリーホックと出会ってもう13年を迎えようとしているが、初めてそんな1年を過ごした。来年はどうなるかなと思っていた矢先のこの発表だった。

 選手ではなくなる寂しさ・悲しさとともに、水戸に帰ってきてくれる安堵と嬉しさを与えてくるところが、らしいなと最初知ったときは思った。シクシクする時間を与えることなくニコニコする時間を即座に提供する、この+/陽のエネルギーに私は生かされてきたし、それが彼の魅力だと改めて気づかされた。

最後に

 私自身は4月から社会人となり、一体どれほど趣味に時間を割けるかまったく分からず今から戦々恐々としているが、CRCというスタジアムに行く理由ができたので、なんとか時間を作って水戸の試合を映像で見たり現地に行ったりしたいなと思っている。

 何はともあれ・・・

おかえりなさい、水戸ホーリーホックの細川淳矢さん

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