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元気ですか

 2014年のホーリーピッチから始まり、海外まで追いかけていった。これは私と中川洋介選手との物語である。

出会い

 2014年7月22日。私はトップチームの練習を見るため、ホーリーピッチにいた。中川洋介選手(以降、よっけ)は当時ユースに所属しており、同じくユースに所属していた金井亮太選手(現・日本大学所属)とともにトップチームの練習に参加していた。一緒に来ていた母親と「もしかしたら未来のプロかも!」と言い合い、サインをもらって写真を撮らせてもらった。

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再会から認知へ

 2017年5月13日ホーム横浜FC戦、試合後のファンサで約3年ぶりに、今度はトップチームの選手として再会した。ホーリーピッチで会って以降、見に行くこともたまたまどこかで出会うことも全くなかったので本当に3年ぶりに姿を見て話をした。

 それ以降はほぼ全てのホームゲームで会いに行き、差し入れをしたり一言二言交わしたりした。何試合かそんなことを続けるとすぐに顔を覚えてくれて、「またお前か」みたいな顔をされるようになった。

 ちなみに少し仲良くなってきた頃に、「ユース時代にトップチームの練習参加をしたときに私にファンサしたこと覚えてる?」って聞いたらめちゃくちゃ微妙な反応をされたので多分覚えてない(笑)

 水戸ホーリーホック所属時のよっけは怪我がちだったこともあり、試合に出るどころかメンバーにも入れなかった。それでも2019年の天皇杯愛媛戦で、初めて水戸のユニフォームを着て、K'sデンキスタジアムのピッチに立って走っている姿を見たときは、本当に嬉しかった。その試合のアディショナルタイムに途中交代で入ったため、「ボールに1度も触ることなく試合が終わった」と本人は言っていたので、「今度試合に出てボールに触ったらインタビューみたいなことをさせてね」なんて話を試合後の出待ちで話した。

 当時の私は、まさかこの1試合が水戸のユニフォームでK'sデンキスタジアムでよっけを見ることができる最後の機会になるかもしれないだなんて思いもしなかった。

勝負の年

 実を言うと、私は2020年の冬によっけが期限付き移籍をするのではないかと思っていた。プロ3年目。勝負の年。2年間で出場した試合は天皇杯、しかも出場時間は5分程度。どう考えても実践経験が足りないと感じていた。そのため、国内での期限付き移籍くらいはあり得るだろうし、まあもしそうなったら少なくとも1試合は観に行こうと思っていた。

 しかし、よっけは入団当初から2年間背負った背番号22から16番に変更し、今年が勝負の年として2019シーズンも水戸で戦うことを決めていた。

 このリリースを聞いたとき、私は自分が恥ずかしくなった。よっけが水戸で活躍することを願っていたはずなのに、それがいつの間にか何でもいいから試合に出ている姿が見たいと思うようになっていたのだ。そんな自分に気が付いてからしばらくの間、顔を見ることも話すことも気まずくなり、試合後に会いに行かなくなった。

まさかの出来事 

 やっと気持ちに区切りがついて差し入れを持って会いにいくようになってきた頃。

  確かに試合に出てほしくて期限付き移籍を願ったときもあった。でもそれに嫌気が差してやっと踏ん切りがついたのに期限付き移籍のリリース。しかも場所は国内ではなく、国外、シンガポール

 最初見たときは「嘘でしょ!!!」と言う言葉しか出てこなかった。国内移籍の覚悟はしていた、例え九州だろうが北海道だろうが行く気でいた。しかし、国外、シンガポールとなれば話は別だ。「確かに大原彰輝選手が所属していたり、過去の在籍選手の期限付き移籍先になっていたけども!!!そうだけど!!!」というのが正直な気持ちだった。

シンガポールにて

 結局私はよっけが試合に出ている姿が見たかったようだ。

 よっけは6月15日Tampines戦で移籍後初出場を果たした。

 スタメンが発表されたときに「やっとサッカーをしている姿を見られる!!」と喜んだことを今でも覚えている。練習やトレーニングマッチでの姿、スタジアムでのスーツ姿は見飽きるほど見てきた。しかし、ユニフォームを着て観客のいるスタジアムのピッチで躍動する姿を見ることはほとんどなかった。やっとそれを見ることができた喜びを私は1番最初に感じてしまったのだ。

 続く、6月21日Balestier戦では移籍後2試合目にしてゴールを決める。

 私はそのとき家のPCから試合を観戦していたのだが、ゴールが決まった瞬間叫んでしまい、母親に叱られた。しかし考えてみてほしい。ずっと試合に出ていなかった推しが試合に出てゴールを決めたのである。ゴールである。大切なことなのでもう1度言うが、ゴールである。得点を挙げたのである。叫ばずにはいられない。

 その後もよっけはほとんどの試合をスタメンで出場した。しかし、チームの成績は上がらず、優勝争いから脱落しそうになっていた。

余談

 実は2019年は私の大学受験が終わった年だった。大学受験に際して、私は両親とある約束をした。それは第1志望の大学に合格したらオランダ旅行に連れて行ってもらうというものだった。大学受験へのモチベーションの向上というよりは、合格できると思っていたので、合格祝いという大義名分があれば、ずっと行きたいと言って渋られていたオランダ旅行に行けると思ったのだ。(ここだけ聞くとめちゃくちゃ頭がよくて嫌なやつみたいに聞こえますが、大学に進学する気もなかったので近くて安い大学を第1志望にしたら自分の偏差値と同じか少し下だったってだけの話です。決して頭はよくありません。)

 大学は見事合格し、春休みにオランダに行くはずだったが、卒業旅行に行ったり1人暮らしを始めた友達の家にお邪魔したりしていたら、あっという間に授業が始まってしまったので夏休みに行くことになった。と、ここでタイミングよく(?)よっけのシンガポール行きである。私はすぐに行き先をオランダからシンガポールに変更しよっけに会いに行きたいと両親に相談した。すると、飛行機嫌いの母からは搭乗時間が格段に減るから、父からは旅行費の関係でシンガポール行きを快く許可された。こうして私のシンガポール行きが決まった。

特別な1日

 なるべくJリーグやユースの試合にかぶらないようにスケジュールを調整した結果、9月13日~16日に行くことが決まった。

 試合は15日、Young Lionsとの1戦だった。

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 前の試合で優勝の可能性がなくなってしまったので、どういう試合になるのか少し不安ではあった。

 スタジアムは日本でいうメインスタンドに観客席があるのみ。ペットボトルの持ち込みは禁止されていた。画像は観客席上段にあったグッズ販売のブース。

グッズ

 キックオフの30分ほど前にスタジアムに到着し、最前列の席を確保した。これが問題だった。いつものことなのかは分からないが、この日はホーム側にたくさんの観客がいた。しかもチアリーディングの子供たちとそれを見に来た家族もいたため、空席が少なかった。その結果、子供のパフォーマンスのために最前列で立って撮影をしていた家族が、席を確保できなかったのか、そのまま立ち見を続けたのだ。そしてパフォーマンスを終えた子供たちが戻ってきて立ち見をしている家族のもとにやってくる。

スタジアム風景

 何度も「見えないからどいてほしい」とお願いしたが、「席がないから」と全く取り合ってもらえなかった。おかげでほとんど試合を見ることができず前半30分が経過した。いい加減イラついた私は両親にアウェー側に行こうと言い、席を立った。

 最上段へ行くとスタッフらしき日本人の方がいたので、アウェー側にはどうすればいいのか聞こうとすると、母親が日本から来たことやよっけを見に来たことなどを説明してしまった。対応してくれたスタッフさんはとても優しく、恐らく上の立場だったため、VIP席に案内された。VIP席はメインスタンドの真ん中に広くとってあるため、報道関係者らしき人が数名ほどいるだけで、私たちのようなサポーターらしき人1人もいなかった。本当にいいのか不安に思いながらも案内されるがまま、VIP席で思う存分、試合を楽しんだ。

 結果は4-1で7試合ぶりに勝利を収めた。

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 よっけはフル出場。いいものを見ることができたと大満足だった。試合後、観客席に挨拶に来たタイミングでよっけに手を振ったら気が付いてくれた。

 「存分に楽しんだしそろそろ帰ろうか」なんて話をしていると、VIP席に案内してくれたスタッフさんがやってきて、「ピッチに入りますか?」と聞いてきた。最初は何を言われているのか全く分からず固まってしまった。

 どうやら私の耳がおかしくなったのではなく、本当にピッチに入ってよいと言われたようだった。両親に「行ってきたら?」と言われ、そのスタッフさんに案内され、ピッチに入ってしまったのだから。

   ベンチ横で座ってたよっけ見つけて「なんか入れちゃった」って言ったら、「おお」ってなってわざわざ立ってくれた。そしたら、ちょうど近くにいた仲村京雅選手(現・Tampines所属)が「写真撮ってあげようか?」って聞いてくださったので、お願いしてツーショットを撮っていただきました。

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 よっけに「わざわざ来てくれたのにゴール見せられなくてごめんね」って言われて、「試合に出てる姿を見られて大満足だよ」って言ったら笑ってた。
それから色んな話をしてしまって、フル出場した後にも関わらず、5分くらい会話してもらった。

 話がきれたので「じゃあ私帰るね」って言ったら、よっけがすっと立って「お父さんとお母さんもいるの?」と聞くので、「いるよ」って言ったらわざわざ両親のところまで行ってくれた。しかもそのあと、「来てくれてありがとうございます」と頭を下げていて、そんな姿をすごくかっこいいなと思った。

 この日はよっけを追いかけてきた日々の中でも1番特別な日だった。試合に出ている姿を何度も見ることができたわけでもないのに、まさか海外にまで追いかけていくほど好きになるとは我ながら驚きである。この日に改めて、よっけを応援してきて本当によかったし、これからも応援しようと強く感じた。

いよいよ 

 12月3日。リリースが出た。

 アルビレックス新潟シンガポールに期限付き移籍をする前であれば、試合に出ていない選手に契約更新の話があるわけがないと割り切って、無条件に受け入れることができたかもしれない。しかし、シンガポールに行ってからはほぼすべての試合に出場していた。だからもしかしたら4年目もあるかもしれない、契約更新のリリースが出るかもしれないと心のどこかでは思っていた。

 運の悪いことにリリースの出たこの日はちょうど軽井沢に家族旅行できていた。軽井沢へ向かっている道中でこのリリースを見た。せっかくの旅行なのに悲しい気持ちでいるのは嫌だということもあったが、それ以上にこのリリースを受け止めきれず、そのくせ悲しくて寂しくて涙があふれる自分を認めたくなかったので何も見なかったことにして夜、就寝前に再び確認した。夢なのではないか、現実ではないのかもしれないなんて考えたが、何度見ても「契約満了」という文字が消えることはなかった。

 現在

 6月となった今でも移籍先がどこなのか、未だ公式発表はない。SNSも全く更新されないので、今どこで何をしているのかどころか、元気なのかすらも分からない。よっけが水戸から去る直前、練習場へ行ったサポーター仲間の方がよっけに話を聞きに行ってくれた。その際、私へのメッセージの中に「次どこに行くか分からないけど、応援してもらえるように頑張ります」と言っていた。私はこの言葉を信じて待つことしかできない。一刻も早く公式発表が出て、今シーズンどこで戦うのか知りたいものです。そしてサッカー観戦ができるようになったら、またあなたの姿を見に行くよ。


※字数や表現を考えて、noteでは会話で敬語を使っていませんが、実際に会話する際は敬語で話しています。

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