ありがとう

林さんありがとうございます!

実は私がノートを始めたのはケイクスで林さんの「仕事で使えるnote活用法」を読んだからです。ケイクスで林さんのコラムをずっと読んでいて、もちろん好きでお店にも一回行ったことがあるんですが、もちろん林さんのほうは全然覚えていらっしゃらないと思いますが。林さんのコラムと小説をごっちゃにして、お店でカクテルを頼んじゃって失礼をしてしまったんです。本当に申し訳ありませんでした。いろいろ勉強させて頂いております。感謝。林さんのお店の雰囲気とお会いした感じとお書きになっている文章の感じが繋がっているんですね。そこがいいんですね。村上春樹も全然お会いしたことがありませんが、村上春樹のエッセーからにじむ感じと実際のお人柄はきっと繋がっているんだと思います。林さんと呼ぶのはちょっと馴れ馴れしいんですが、村上春樹のように呼び捨てにするっていうのも変だし、許して下さい。いつももっと読みたいと思うし、何度も読み返したいと思うし、心の中にしまっておきたい感じなんです。
私の心の中に林さんがいたり、村上春樹がいたりとてんこ盛りというか、ごちゃ混ぜなんですが、本物の表現をする人というのは、その作品も文章もそういう末端の人間にまで伝わる普遍性をもっているのではないかと思います。村上春樹は神宮球場かなんかでヤクルトの野球の試合を見ていて突然小説を書こうと思ったと書いています。それから大作家になってしまうわけですが、そういうことって本当にあると思うんです。大作家になるかどうかはともかく、人の人生って、そんなわけが分からないものなんではないかと思うんです。理路整然と説明できる人もいるかもわからないけど、ほとんど混沌とした混ぜこぜジュースの中からある味が抽出されてくるものではないかと思います。素人は自分の持っている混ぜこぜジュースを表現できないんですね。プロの表現者の文章には自分では表現できない混沌としたものが、ある形をとってより豊かに表れていると感じるんです。村上春樹にアメリカの大学生がどうしたら小説家になれるかと聞くところが出てくるんですが、村上春樹はわからないと答えた後、まあ今を精一杯生きることだと答えるんです。たとえば、一生懸命恋愛するとかというと、学生たちがそれなら自分にもできるというんです。私はそこのところが大好きなんです。何ものかになるかどうかじゃなく、どんな道を行こうともそれしかできないんじゃないかと思うんです。目の前の自分が抱えているものを精一杯生きる、生ききることがまず大事なんじゃないかと思っています。林さんの「仕事で使えるnote活用法」でも同じことを感じたんです。今やっていることをノートにしてみようよ。私のやっていることは大してたくさんの人に役にたつようなことではないけど、役にたてば本当に幸いだけど、今精一杯生きているってことは伝えられるかなあって思います。やっぱりちょっと変だけど、林-SAN、村上春樹-SAN、いつもありがとうございます。

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