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#あの恋

日本語には3つの指示詞があります。「コ」系と「ソ」系と「ア」系です。

「コ」系というと「この」「これ」「ここ」、「ソ」系というと「その」「それ」「そこ」、そして「ア」系というと「あの」「あれ」「あそこ」なんかです。日本語で「コ」という音は話し手=私のテリトリーを指していて、「ソ」は聞き手=あなたのテリトリーを指して、そして「ア」は話し手にも聞き手にも手の届かない遠いところを指しているんです。「あの世」といえば天国か来世だし、「あの人」といえば話し手と聞き手と関係のない人を指します。

「あの恋」というと、いい意味でも悪い意味でも遠くに行ってしまった恋を指すのではないでしょうか?あなたにもそんな遠い「あの恋」がありますか?過ぎてしまった「あの恋」を宝物のように自分の心にしまっておいていますか?たとえ実らなかった「あの恋」でも、たとえ傷ついた「あの恋」でも、いつかきっと自分の人生を豊かにしてくれる記憶になると信じたい。

わたしの「あの恋」は遠い昔の実らなかったお話し。まだ19歳で田舎者で(今でも変わらず田舎者ですが)まだ自分は何でもできると信じていた時代。30代半ばの男の人というと、かなり大人で自分とは別世界の人だと思っていた時代でした。その人は学校の先生で専門はフランス文学でしたが、私が習ったのはヨーロッパ演劇でした。語学は苦手でしたし、英語すら自分の世界とは関係ないと思っていた田舎の女の子だったので、フランス語を話す人というだけで尊敬の対象でした。フランス語の詩が口から流れちゃうんですから。パリに留学していたらしく、パリは空気がいいと言っていました。講義の内容は私には難しくて、いつもただぼーっとその先生の顔をながめていました。それで満足でした。ただ、ただ憧れの人でした。恋に恋しているっていう感じ。ある日、講義が終わって、帰ろうとしていると、その先生が私の方へ歩いて来て、「いっしょに駅まで行こう」と言ったんです。その先生はクラスの他の女の子にも人気がありましたから、その中で私の方へ向かって来るなんて、みんなもビックリ、私もビックリ。青天の霹靂というか、何というか、人生に何度も起こらない夢のような瞬間でした。そして学校から駅まで20分くらい一緒に歩きました。実は歩きながら何を話したかほとんど記憶にないんです。歩道が狭かったし、並んで歩くとなんか恐れ多い気がして、私は一段低い車道を歩いていたので、先生の話も頭の上を越えていくというか、車も危ないし、話す時は歩道の上の先生を見上げなくてはいけないし。記憶にあるのは先生との会話に見合う返答をしなければいけないという気負いばかり。駅までの20分のデート(私はそう確信しているのです)はあっという間に終わって、最後に先生の一言。「お前って、ほんとレベル低いな。もっと勉強しろ。」ぐさりと突き刺さる一言でした。実は男の人から「お前」と呼ばれたのは、人生で最初で最後でした(これから、そう呼ぶ人に会うかもわかりませんが)。実はそのきつい一言に、先生の私への思いを感じたんですね。なぜかわかりませんが、先生も私が好きなんじゃないかな?って思ったんです。「そうだ。勉強しなくちゃ!」と一念発起して英語(フランス語はほど遠い)の勉強を始めて、アメリカに留学して、どういうわけか今でもアメリカに住んでいます。その先生は本も書いていたりして、ちょっと有名な方でした。先日、インターネットで偶然みたら、もう亡くなっていらっしゃいました。「あの恋」はいつまでも私の心の宝物。きっと死ぬ時に、もしドラマのように人生を振り返ることがあったとしたら、きっと思い出して、胸がキュンとなると思う。そして目を閉じて「あの恋」と「あの人」にありがとうって伝えたいと思う。



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