北海道で奇怪な体験をした話
90年代の後半、私が20代前半のころの話です。
私は某芸能事務所で働いていました。
その事務所はクラシック音楽のアーティストを専門に扱っており、私はある若い東欧出身の男性ピアニストを担当していました。
そのピアニストを「G」とします。
その年の冬、Gのツアーが日本で開催されました。私とGは二人で日本各地のコンサートホールを数週間かけて回ることになりました。
それはツアー日程の中ほどのある日、帯広での出来事でした。
コンサートの終演後、我々はホテルで簡単に食事し、次の日に備えて早めに部屋に引っ込みました。
私が部屋で休んでいると、午後10時頃にフロントから電話がかかってきました。
「ファンの人がGさんに会いたいと言ってフロントで待たれています」
私は仕方がないのでフロントに行きました。そこには派手な服を着た若い女性がいました。
彼女は演奏に感動したので、Gに会って一言お礼を言いたいと言います。
「クラシック音楽をはじめて聴いたけど、とても感動した。私の人生は大変な事ばかりだったけれど、コンサートのおかげで救われた。一言お礼を言いたいので、Gに会わせてもらえないか?」
女性は赤い口紅をした濃い化粧の小柄な方でしたが、どこか精神的に不安定に見えました。目の焦点が定まらないというか、奇妙に落ち着きがない雰囲気と言えばよいでしょうか。
もちろん会わせることは出来ないので、丁重にお断りして帰ってもらうようにお願いしました。
女性は残念そうではありましたが、諦めてにホテルから去っていきました。
ー・ー・ー
次の日の朝、我々は朝食を済ませ、チェックアウトをしてハイヤーを待っていました。
すると昨晩の女性が再び現れ、我々に近づいてきました。
女性は昨晩と同じ派手な格好で、やはり少し奇妙な雰囲気でした。
女性はGにプレゼントを渡したいと言い、リボンがかかった小さな箱を差し出しました。
私はお礼を言ってそれを受け取り、もう出発するのでお引き取りいただくようにお願いしました。
Gは突然のことに少しびっくりし、怯えていました。我々はそそくさとハイヤーに乗り込み、その場を去りました。
普通であればファンからもらったプレゼントはそのままGに渡します。が、私はなぜか不安を感じ、少し後でそのプレゼントをGのいないところでこっそりと開けてみました。
中には真っ赤なマニュキュアが塗られ、切り取られた爪が数個入っていました。
ゾッとした私は、すぐにそれを捨てました。そしてその事はGには伝えない事にしました。
Gはとても繊細な性格だったので、箱の中身が爪であったなどと伝えれば恐怖を感じて演奏に影響を及ぼしかねません。
私は何事もなかったように、ツアーを続けることにしました。
ー・ー・ー
その日の夜は旭川でのコンサートでした。
そして、コンサート前の楽屋で奇妙な事件が起こりました。
Gが持っていた十字架が無くなったと言うのです。
Gは小さな金属製の十字架を演奏会のためのお守りとして、タキシードのパンツのポケットの内側に縫い付けていました。縫い付けていたので無くなるはずのないものだったのですが、なぜか見当たりません。
前日の演奏会では確かにあったというので、どこかで外れて落ちてしまったのでしょうか。
二人でしばらく辺りを探してみたのですが、見つかりませんでした。
Gは少し動揺していましたが、気を取り直して演奏会に臨みました。
演奏会が終わってから我々は主催者と一緒にレストランで食事をし、それからホテルに戻りました。
夜も遅くなっていたので、すぐにそれぞれの部屋に戻りました。
私は疲れていたので、すぐベッドにもぐりこみました。
ー・ー・ー
ウトウトとしかけていた深夜過ぎごろ、誰かがホテルの私の部屋のドアを激しく叩きました。
私はびっくりして起き上がり、ドアを開けました。そこにはGが立っていました。
Gは怯えた顔で、荒い息をしていました。
それからGが言った事は信じがたい内容でした。
「部屋に帰ってすぐに寝たんだけど、夜中になぜかとても苦しくなって目を覚ました。
心臓が締め付けられるような苦しさで、すごく嫌な感触だった。
そして、ふと窓の外を見ると今朝ホテルのロビーにいた女がそこにいて、こちらを見ていたんだ」
私は背筋が凍りつきました。
Gと私の部屋はホテルの8階にありました。部屋にはベランダもありません。
部屋の外に人がいて窓からのぞいているなんてありえないのです。
そしてGは例の爪のことも知りません。
私は震えているGを自分の部屋に入れて椅子に座らせ、ともかく落ち着かせようと努力しました。
「きっとすごく疲れていたから、夢と現実がごっちゃになってしまったんだよ。眠りに落ちる直前にそういう事があるだろ?窓の外に人がいるなんてあり得ないよ」
最初は怯え切っていたGも、話をしているうちに少しづつ落ち着きを取り戻しました。しばらく二人で部屋にあったウイスキーを飲みながら話をしましたが、眠気も戻ってきたのか、自分の部屋に帰っていきました。
ー・ー・ー
その後は特に大きな事件もなく、私とGは何事もなかったようにツアーを続けました。
今改めて文章にしてみると結構怖い話ですが、当時は新人として仕事に忙殺されていたので、怖さを感じる気持ちの余裕もありませんでした。
ただ、「この世にはまだ自分の知らない世界があるのだろう」と、ぼんやりと考えていました。
その後、Gとこの出来事について改めて話をする機会はありませんでした。
ですので、Gがあの出来事をどう受け止めていたのかは今もわかりません。
余談になりますが、私はこのツアーの後に家に帰ってから1週間にわたり高熱に苦しむこととなりました。
ー・ー・ー
話には少しだけ続きがあります。
そのツアーの終盤の事です。私とGは札幌近郊のリゾートホテルに滞在していました。
その日はオフで、昼食をとったあと二人でホテルの近くの森を散歩することにしました。
寒かったものの、晴れていて気持ちの良い日でした。
二人でしばらく森の中を歩いていると、何か光るものが道端に落ちていました。
それはGが旭川で無くしたはずの小さな金属製の十字架でした。
Gは「あ、僕の十字架だ!見つかってよかった」と言って、それを拾い上げ、ポケットにしまいこみました。
そこにあるはずのない十字架が落ちていたことを、特に不思議にも思っていないようでした。
以上、あまり信じてもらえないかも知れませんが、実話です。
当時は大学を卒業して、思ったような就職活動が出来ず、仕方なく入った芸能事務所での初めての仕事でした。若さゆえのひねくれた気持ちや渇望感が混じった当時の感情を今でもほんのり覚えています。
自分は霊感とかそういうものは全くないので、この事件(?)は不思議な思い出として今もはっきりと覚えています。
ちなみに、この話はQuoraにも投稿しています↓
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