オンライン講義に思うこと

ども。そぼろです。

一応”大学生”という職を戴いているのですが、所属している大学では昨今の社会情勢を鑑みて、この4月からオンラインで講義が行われています。ついでに今月頭には「後期(※2020年10月~2021年3月)もオンラインで施行します」という連絡も来たため、この1年間は全て在宅での受講となりました。

これね、色々思うことだらけなんですよ。良い事もあれば悪い事もある。ということで、その所感をなるべく言葉にしてみました。

あくまで一人の学生としてのお気持ち表明なので、重く受け取らない方が吉だと思います(笑)。


オンライン講義を通知された時

まずここからでしょうか。

3月半ばに学生ポータル上で「2020年度の講義開始は予定より遅れる」ことが通達されました。事態が事態ですし仕方ないことです、ただこの時(遅れた分は後ろに伸ばすのだろうか)と思いました。夏休み期間が削られるのは覚悟の上でした。そりゃそうでしょ。

その1週間後くらいかな、「前期(2020年4月~2020年9月)は原則としてインターネットシステムを利用したオンラインでの受講とする」旨が通知され、その後一部授業においてWeb会議ツール”Zoom”を使用するため、講義開始までにダウンロードをしておくようにというメッセージが。

あっ、本当にオンラインで授業やるんだ。

ただただ驚きました。それと同時に、あることに気が付きます。

「2時間かけて通学する必要が無くなったんだ、これはありがたい」

本題から少し逸れますが、自宅から大学までドアtoドアだと2時間ほどかかるんですよね。前半は首都圏の朝ラッシュに飛び込む区間なので、電車で移動するだけで体力を持っていかれます。乗り換えの駅は人が溢れすぎてホームへの入場規制が敷かれることがしばしば。
そんな中を歩き、乗り継いだ列車は東京へ向かう通勤客でいっぱい。乗れればラッキーなほどです。ただ、半分が途中駅止まりとはいえ日中より倍の本数があり、混雑も東京を出てしまえば終わるので、目的の列車でもここからは座って行けるわけです(途中駅止まりの列車も回送で自分の利用区間を通過した先の車庫へ入るので営業してくれとは思いますが割愛)。
そんな列車を降り、電車で一つ隣の駅で降りたらバスor自転車で大学へ。ただ、最寄り駅から大学まで3.2㎞ほどあるためここも体力勝負となります。意外とアップダウンがあるし、何より自転車用レーン含め道路そのものの幅員が狭いので環境が良くないという問題もあります。

2時間かけてそんな思いをして辿り着いたとして、1限からまともに講義を受けられる体力が残っているかと問われると微妙なラインです。2限、お昼ご飯を食べた後の3限以降…これにサークル活動が加わったらもう体力はゼロ。そんな生活を2,3年ほどしていたわけです。まぁ、サークルなんて自己責任だろと言われればそこまでですけどね。

そんな環境だったため、上記のような通学がすべて無くなったことに、言葉は悪いですが感謝していました。

ちなみに、しれっと1コマの時間が通常の90分から80分へ短縮されていました。これについては後述します。

実際にオンライン講義が始まってから

4月の第2週から始まるはずだった講義は、4月の最終週からスタートしました。「今年のゴールデンウイークは”STAY HOME ウィーク”です」と叫ばれていた時期ですね。

オンライン講義の形態は大きく分けて3タイプです。

1.Zoomを利用したリアルタイム配信授業
2.WebClass(※授業支援システム)にアップロードされた講義動画のオンデマンド配信を視聴する授業
3.WebClassに掲載した講義資料を基に適宜課題を設定

※WebClassは、大学の講義に対して資料等を掲載したり課題の提出フォームを設置するシステムで、大学ごとにアドレスとID・パスワードが設定されているものです。→https://webclass.jp/

オンデマンド配信ということで、好きなタイミングで見られるというメリットのほかに「不明な箇所があれば再生を停止して自分で考える猶予が与えられる」というメリットもありました。
1.についても、数日間はZoomで録画したものをWebClass上に掲載していたため、上記の恩恵に与ることができたわけです。

リアルの対面授業だと、どうしても進度等の理由で流されてしまい理解が及ばないまま講義が進み、そのまま考査を迎えて不合格になってしまうケースもあるわけです。重点的に復習できる仕組みであるため、この方法は歓迎でした。

出席については講義ごとにシステムが異なっていましたが、大きく分けて
・WebClassの出席ページに回答
・Zoomのチャットに学籍番号氏名を記入
・そもそも出席を取らず、課題提出を以て出席とみなす

の3パターンでした。

これが非常にありがたかった。上記の通学では電車の遅れや道路状況などが登校時間に大幅な影響を及ぼし、本来であれば講義開始に間に合う便に乗っても結果的にシステム上「欠席」と判定されてしまうこともありましたが、その格差が解消されることになったわけです。
さらに、早起き&通学中の疲労が無くなったため、今まで以上に講義に集中できるようになりました。オンライン万歳。
ちなみに、上記のシステムを採用したことにより講義開始時に出席を確認する手間が省けたためか、授業時間が通常より10分短縮されました。

そして、課題の提出についてですが…

原則WebClass上の提出フォームよりファイル形式を指定して提出

でした。これですよ、最大のメリットだと思っています。

通常時は何かしらの紙に書いて授業開始時に回収or課題を印刷して学科棟のレポートボックスに時間までに提出という手法でした。これは大学近辺に住む人なら余裕を持って提出できる一方で、実家から長時間かけて通学する者はファイルをプリントアウトして提出するまでのコストが大きいものだと感じています。ある種のハンデです。
「じゃあ最初から余裕を持って取り組めばよいのでは」と指摘を受けそうですが、そういった課題が週に5つ6つと重なったら余裕も無くなっていくわけです。先述のような通学もありますから、通学中に課題に取り組む余裕もない。
その不平等さが解消されたということだけで圧倒的に気が楽になりましたね。

余談ですが…
講義時間に20~30分ほどの講義動画(2~3日視聴可能)とその日の演習課題(講義終了時刻まで利用可能)を公開し、視聴後に演習課題を解かせるという授業が一つだけありました。これは非常に頭いいなぁと思いましたね。

まとめると、オンライン講義が始まってからの気持ちは以下の通りでした。

・通学しなくていいから疲れない
・課題に取り組める時間が増えた
・期間中なら講義動画を何度も見返せるので理解の定着に役立った

一応講義をちゃんと受けられていたのですが、ここで一つのイベントに挑むことになります。
そう、「試験」です。

中間試験を迎えて

「それはそうと、オンラインで試験ってどうやるんだ??」

これはオンライン講義が始まってから常々疑問に思っていました。郵送で答案用紙が配られるわけでもないし、そんなのだったらむしろ不正のオンパレードだろと。回収も面倒ですよね。
なので持っているシステムの何かしらを使うんだろうと思っていました。

結論から言うと、自分のいる大学ではWebClassの機能を最大限生かして行われました。

試験時間になったらWebClass上に専用のページが用意されましたが、試験方法はやはり講義によってまちまち。ここら辺に手探り感を覚えましたね。仕方ない。
一問一答形式のものは直接WebClass上にフォームを作り、記述式や計算問題はファイルを提出という形が基本でしたね。試験開始時にアップされた回答用紙のファイルをDLし、そこに埋めて提出という形でした。
ただ、どうしても手書きで受けなければ間に合わない試験もあり、そちらは試験時間の後に提出用のファイル形式に直す時間が別途与えられていました。その猶予を使って最後の悪あがきをするといったこともありそうですが…。

試験を受けて思ったのは、試験時間が人によって(≒ネット環境によって)バラバラになるからそこは不公平になってしまうなぁということでした。
提出にラグが発生し、若干の延長が認められたら良環境の人が瞬時に答案を修正して提出し直すということも可能で「それはいかがなものか」と思ったので教授に相談したのですが、そもそもスタート時間が揃っていないため厳密に公平性を保つのは難しいということでした。そうですよね、半分言いがかりみたいなものですし。

あ、そうそう。普段なら参考資料の持ち込みは原則認められないのですが、どうしたって防ぐことは出来ないので今回に限り全てOKということでした。自分もその恩恵に与り、講義資料を開きながら受験。計算問題は事前に例題集を解いていた時に用意したExcelファイルに、試験のデータを打ち込んで回答しました(笑)。おかげでありがたく単位を回収させていただきました。ごちそうさまでした。

ちなみに余談ですが、他の大学ではZoomで手元を映しながら受けさせたという事例もあったそうです。それはそれで中々の手間だなぁと思います…。

オンライン講義に慣れてきた今

さて、試験を乗り切り第2四半期が始まったのですが…やっぱり不満に思うことも出てくるわけです。

まず、授業日の午前4時とかに講義のZoomアドレスを送らないでほしい。これはほんと見逃す危険性が高いです。その時間に起きている(その時間まで起きている?)学生はどう考えたって異端です。せめて日付が変わる前には送ってほしい…。
まぁ、これは大体どのコマか把握しているので起きてメールを見ればいいだけなんですけどね。ほかのメールと一緒に来ていると通知欄から消える可能性もあるので、実は危険です。

次に、講義内で動画を見せる時は音量に気を付けてほしい。これ結構大事で、講義用に調整した音量だったところにいきなり爆音で別の動画が来たときは大変でしたね。あと、昔の動画って意外と音割れしやすくてそこら辺も気になってしまいました。
逆に小さすぎて聴こえないこともありましたね。2台体制の別の方から動画を流し、それをZoomで拾う操作をしていたみたいですが、音が途切れ途切れになってしまい、本編の印象よりそちらの方への印象が強くなってしまいました…。難しいとは思います。

今まではまぁ軽い冗談みたいなところもありましたが、次のは結構真剣に思っていること。

スライドを読み上げるだけの講義のためにZoomを使わないでほしい。

これは真面目に思ってます。
用意したスライドに補足説明を書き込むならいいんですけど、特に何かコメントするわけでもなく、ただただ読み上げるだけの講義も見受けられました。
それってリアルタイムでやる必要ある?手元に同じ資料を用意させておいて長々となぞるだけなら、それこそオンデマンドにした方が楽でしょ。分からないことがあったら連絡すればいいんだし、そういうためのフォームだってあるのに…講義時間に質問を受け付けたいなら、Zoomでそのための部屋を作れば一対一で話せるから生産的だと思うんですけどね。

最後に。

実験をオンラインで週2回やるのはキツい。

今まで前期週1回の実験で、レポートもそれ相応の分量が課せられていたのですが、それを第2四半期の期間で大慌てで終わらせるために週2回に増やしたのです。さすがに厳しい。
さらに、どのデータがどのように活用されるかの説明も満足にはいかない上に追加課題も出されるので、期限までに片づけるのが精いっぱい。深い考察などする余裕も削られまくりです。それでヨシ!と出来ると思っているのが不思議なくらいです。そんなやっつけ晩御飯みたいなノリでレポートを書かせることに意味はあるのでしょうか…。

でも、挙げてみてもこれくらいかな。
オンラインでやってみて多少なりとも不満はありますが、それ以上に普段の「大学」という在り方に対して改めて思ったことが色々浮かんできたのでした。

大学という施設の意義

大学生はその名の通り、大学で学問を修める人間です。
そのために種々の講義が開かれ、受講し、「修了」の代替に「単位」を得ます。
また、実験を行うことで新たな知見を広げる場でもあります。

しかし、この情勢によって「大学」の施設で講義を受けられなくなりました。
実験についても研究目的でのみ制限を受けながら再開されていますが、学生実験についてはオンラインです。これがまず分からないのだが受けるしかない。

そこで思ってしまったのです。

「ただ教授の話を聞くだけの講義って全員で受ける必要ある?」

図書館を有効活用しろ、と指摘を受けそうですが。
分からなければ自分で調べる。その一助として授業後すぐに利用できる図書館がある。そういうことでしょう、それは凄く分かります。

でも、それが必ずしも講義に添うものとは限らない。
図書館で見つけた文献が学問的に興味深く、それによって学びを得たとしても、該当の講義を「クリア」しなければ制度上は”学んだ”ことにはならないんですよね。おかしな話です。

それに、多分これは本当に異端な意見だと思いますが、おそらく大学側は片道2時間かけて通学することは基本的に考慮していないんじゃないかと。それなら下宿という選択肢もあるでしょう、と。
それが出来てたら下宿してますわ。つまりそういうことだっつの。

要するに、そういう差を考慮せず一堂に会させる講義の方法はおかしいのでは、と思うのです。だったらそれぞれが最適な環境で学べた方がいい。それが専門科目の基礎を成す講義であればなおさらです。教える側の自己満足で学ぶ側の負担が増えるのはおかしな話だと思います。

それと、《必修》と定められている講義ね。分量は仕方ないとは思いますが、順番とペースは十分考え直す余地があります。
それに、黒板やホワイトボードでは伝えきれないことがあり、それをスライドショーのアニメーションで説明出来るのであれば、そういうのはもっと活用するべきだと思います。そして、事後学習のためにオンラインシステムを運用していただきたい。そういう動画こそ学生が求めているものなのです。

ただ、オンライン講義になってから文部科学省の指針で通常より多く課題を出されることになってしまいました。通学によるコストが無くなったとはいえ、それを上回る量の課題には、ただ「こなす」以外の解決策が見えないのが実情です。
生活費を稼ぐためにバイトの時間も確保しなければなりませんし、バイトによる課題へ取り組む時間のロスを埋め合わせるために遅くまで起きることになるのは健全ではないでしょう。

本来なら様々な学問に触れて学びを広げるべき大学が、講義を「クリア」するための「修行」の場と化していることに、一人の大学生としてずーっと疑問に思っているのです。

大学は知の結晶たり得る施設だと思っています。しかし、現状では在籍しているのにその施設を利用できない。それでは学費を納めるだけ虚無に思えてしまいます。新入生に至っては「何のために易しくない入学試験をくぐり抜けて入学したんだ」と思うことでしょう。ただでさえ新しい環境で慣れないことばかりなのに。

ただ、大学の雰囲気が味わえない、友達が出来ない…そういうことに文句を言うつもりはありません。元の意味を考えれば、上記の事柄は副次的、すなわち「不要不急」ですから。義務教育じゃないんだし、物を学ぶために通っているならそこで騒ぐのは筋違いかと思うのです。

ですが、芸術系や、工学でもデザイン系はこの限りではないことも重々承知です。むしろそういう領域こそ人と直接会って対面で進めていく必要があると思います。
だからといって、その講義のためだけにキャンパスへ来いというのも酷な話ですよね。だったらついでにその日の授業は構内で受けさせてくれ、となります。でもそうしたら今度はほかの学科から「あそこだけ構内入れてウチらはダメなのはおかしい」と声が上がりますよね。

だからこそ冒頭の話に戻るのですが、

話を聞くだけの講義って本当に「授業」と呼べるのでしょうか。
そして、それを受けるために集まることが本当に「学び」に繋がると思っているのでしょうか?

理解させることが目的なら、教科書の内容をただ投げつけるだけではダメなんじゃないかと思います。そもそも教科書の通り理解させたいなら読ませればいい。
本質はどこにある?って話だと思います。教科書の内容が分からないから教授が解説する、そしたら教科書丸々パクるだけってのは何もしていないのと同じですよね。
自分で考える土台を作る教養こそ大事なのに、それを適当な仕事されたらお手上げです。「クリア」出来たとしても講義で得られたことなど短期間に忘れますって。

それなら自分で図書館の文献やネットなど外部リソースも用いて勉強して理解すればいいじゃないか、そう思うことでしょう。でも、それって大学に学費を納める意味がありますかってことじゃないでしょうか。

ゼミや研究室も、施設を使わなきゃ進められないことがあるならまだしも、研究の進捗報告や話し合いなんてのはオンラインでも出来ることではないでしょうか。顔を合わせることで雰囲気に押しつぶされて予定調和の道を歩まされることに研究の意義はあるのでしょうか?そんなの学びに来ている方がバカバカしい。

オンラインでも出来ることがたくさんあるからこそ、各大学が誇る施設はどうあるべきか、どんなシステムを作れば学生にとって最適な環境になるのか。
これは入学してから疑問に思っていたのですが、今こそそれを考える時期だと思います。

研究を進め学問を発展させる使命を持った研究施設という側面と、学問を教えて次世代を育てる教育施設という側面。相反する性質を兼ね備えた「大学」という施設の、本来あるべき姿と現実の姿のギャップが埋まる日が来ることを切に願っております。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?