文章を書くことについて
久しぶりに文章書いてみる。いつぶりだろう~、去年の夏ぶりだから、半年以上ぶりなのか。
自分の中でいろんなものがたまっていて、いったい何から吐き出したらいいのやらって感じなんです。無軌道に書いてみるのもたまにはいいのかもしれない。だからだいぶ個人的でつまんないことを羅列すると思う。でも今後はそうしようと思う。その理由もあとで書いてみよう。
なんだろう。文章を書きたくなったんです。
正確にはずっと書きたい気持ちはあったんだけど、理性的に止めていた自分がいたって感じ。
なんで止めていたかというと、自分の中にあるテーマや課題、問題っていうのを伝える手段として、文章っていう選択肢を捨てたほうがいいのではっていうのがあって。
なんか、音楽とか、絵とか、漫画とか。そういう創作全般に興味があるんですけど、伝えたいことはエンタメの中に隠したほうがいいのかなとか思ったんですね。文章以外で伝えるように頑張ったほうがいいじゃないかと。だって一日で使える時間やエネルギーって限られてるわけじゃないですか。それに、やっぱり音楽や漫画というエンタメに主張が内包されているほうが、やっぱり受け手の負担は少ないわけです。ポップなんです。
これって、冷静に見てやっぱり事実だと思うんですよね。だから、選択と集中を考えたときに文章に割く時間を削ったほうがいいんじゃないかというのがあって。言いたいことは漫画なり、音楽で言えと。
でも、やっぱり、ちょっと違うなと。いや、そういう理屈の部分じゃなくて、やっぱりパソコンの前でカタカタと文章を書きたい自分がいて。そこを止めたくなくなったていう。だって今、すごくじんわりと文字を打ちながら充実した感覚があるんです。
だってね、カッコいいもん。やっぱり。文章を書いている人って。
僕にはとうていできないけど、noteを毎日更新してクールな文章を投稿している人を見ると、憧れちゃいます。
憧れたら自分もそうなりたいと思うのが自然というか、、そこを理性で止めてみたけれど、やっぱりそんな賢い立ち回りはできないです。
それに僕は、自分でいうのもアレだけど、哲学の人なんです。日常の中で自然と内省をしてしまう。かっこよく言ったけど要はただの陰キャ。だからやっぱり文章を書くという行為は自分に向いているのかなあと思います。そこを理性で止めてしまうのはくだらないし、もったいないかもしれない。
だから、これからは難しいことは考えず、やっぱり文章を書いていこうと思います。すっごくマイペースにはなりますが。
話題が文章になったので、ちょっと今まで書いてきた文章の話をしようと思います。
僕ね、自分でいうのもなんだけど、お仕事として文章を書いていた時期が長いというのもあって伝えるために整理された文章を書くのは得意なんです。でも今日はあえて崩しているというか、何かを伝えるために書こうとしてません。
今まで書いてきた文章って伝えるための文章を書いてたんですね。つまり、磨きに磨いた完成品です。
でもね、今後はプロセスに重きをおきたいなと思ってるんです。絵画でいうとドローイング。音楽でいうとセッション。もちろん、今後も本をつくったりしたいので完成された文章っていうのも書くと思うんですけど、その前段階として、思考(雑感)を言語化して、パーツを作る作業をやろうかなと思うんです。そういう思考の場として今後の記事を更新したいなと思ってます。ぐちゃぐちゃの文章を書きたい。冒頭で個人的なことを羅列するといったのはこれが理由です。
いつもの僕なら、テーマを決めて、エッセンスを取り出して、具体例をだしたり、割と丁寧に編集してみたいなことをやるんですけど。今はあんまりそういうことをしたいとは思わないですね。まあ書く文章によっては自然とやってしまうんでしょうけど。
・・・んー、今日はこんなところかな。
やっぱり個人的なところを文章にして羅列していくのってすごく違和感がある。。。というか怖い。
怖いって感じるのは、僕が評価を求めているからかもしれません。そっか。そうかもしれない。
こういうところに気づけたりするので、やっぱり文章を書くのってすごくいいですね。幸先のいい執筆だった気がする。
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