魔王を倒して始まる命の旅物語:アニメ「葬送のフリーレン」感想

今更ながら、葬送のフリーレンをみました。とても良きアニメでした。

魔王を倒した後の物語という情報と、なにやらみんな見ているという情報は前情報としてあった感じです。見た感想としては、結構渋くない?(笑)っていう感じですね。もちろん万人受けしそうなポップさもあるにはあるんですけど、でも一定数楽しめない人もいるだろうなと感じました。とくに10代の子とかはどうなんだろう。僕的には年をとってから見るほうがより楽しめ作品なんじゃないかと思います。

というのも、この作品の根幹にあるテーマが人の一生と、出会いと別れだからです。僕にとっては結構興味深いテーマなので、とても楽しむことができました。

葬送のフリーレンという作品は魔王を倒すという目的はすでに達してしまっているので、劇中に漂う雰囲気はまるで日常アニメかのようですよね。
一応、勇者ヒンメルとまたお話をするという目的はあるにはあるのですが、まあ別にそれを達成しなくても誰かが困るわけではないので切迫感はないですし、それまでは魔法を集めるという趣味の旅をフリーレンはしていたわけです。今まで聞いたことありますか?趣味の旅って笑 すごくのんびりしてていいなあと思います。
他のパーティを見ても、フェルンはフリーレンと一緒にいれたらそれでOKっぽいし、シュタルクも旅のみあげ話をするのが目的なので、まあ目的はあってないようなもんです。こういう、魔王とか勇者とかを扱っている作品で、旅の目的があってないようなものってかなりめずらしいし、それこそこの「葬送のフリーレン」が特異たるゆえんだと思ってます。

僕の解釈では、フリーレンたちの旅はそのまま人の一生のメタファーなのだと思ってるんですよ。だから全体的にのんびりしているし、かといって期限を決めずにだらだらすごすわけでもない。なんとなく、目標ややることは決めている。なぜなら人はいつか死ぬからです。でも、それはすぐではありません。だから緩やかに何かに背中を押されながら、それでもなんとなくゆったりと旅をしているのです。

僕はフリーレンをみているときに、人生や命の短さについてずっと考えていました。フリーレンはエルフなので、人の何倍何十倍という長さを生きることができます。作中では明確な寿命が明言されていませんでしたね。同じエルフのゼーリエリ曰く「判断を1000年先送りしても、なんの問題もない」という発言もあったので、少なくとも1万年以上生きるのだろうと推察できます。
永遠の命ではないのでしょうが、人の命と対比すると、まるで一生かのようですよね。この対比関係を作中でずっと感じるわけです。だからどうしても、人間の命の短さについて考えてしまう。フリーレンという存在は「もしも人が永遠の命を手に入れたら?」という仮定そのものだと思うんですよね。

フリーレンが趣味の旅を続けていたのは、単に目的なしに生きるには命が長すぎるからでしょうね。魔法が好きっていうのももちろんあるでしょうが、暇つぶしっていうのもあると思います。そして、楽しく生きていくにはやっぱり目標や目的が必要なんでしょう。幸いにも魔法の数は膨大みたいですからね。


僕は、フリーレンをみていて、フリーレン大丈夫かなと思ってきました。心配。フェルンがおばあさんになって死んでしまったとき、いったい何を思うのだろう。ずっと一緒にいるわけですからね。それでもフリーレンの命は続くんです。僕だったらそうとうつらたん。

師匠のフランメとも長い時間をすごしたのでしょうが、フランメが死んだときとは、考えていることが違うので相当傷つくのだろうと思います。それとも、笑顔で送り出してまた新しい弟子とともに趣味の旅を続けるのでしょうか?なんだかフリーレンならそうする気もしますね。またあったときに恥ずかしくないように振る舞うのが、ヒンメルとの旅で学んだことですから。

とまあ、葬送のフリーレンをみてて、話の展開がどうこうというよりも、人生とは?みたいなことを考えることの方が多かったので、僕はとても好きなんですけど、まあ渋いアニメだなあとおもうわけです笑 たぶんそういう真面目な話は普段考えたくない人の方が多数派だと思うんですよね。もちろん、何も考えずに見たら見たで、ミミックに食べられてるフリーレンかわいいとか、またフェルンが怒ってるとか、フリーレンの真の実力は??とか、魔王どうやって倒したの?とか。そういうポップな楽しさもあるんですけど、たぶん作者が伝えたいと思っていることは、もっと重厚なテーマだと思います。なんか藤井風みたいでよきです。

僕らの旅も楽しんでなんぼです。いつか終わりがくるけれど、ヒンメルやフリーレンがそうしているように、旅路を楽しみながらのんびり生きていけたらいいなって思います。

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