エレンはINFJかESTPか? MBTIは肉体と心の2種類ある説 

どこまでいっても自分で実験した話に終始するが、ご了承いただきたい。

MBTIでミスタイプが生じるのは単に理論がわかりにくいからだと思っていたが、方々を見ていて、妙に間違え方にパターンがある気がして、何か引っかかっていた。
以前書いたエイム感度理論について検証を続けるうち、仮説が浮かんできた。MBTIの適用対象は、実際には心と肉体それぞれを制御する二つの意識、つまり二種類あるのではないか。そしてそれらは対照的なパターンを持つのではないか。(潜在意識がどうのこうのという話にかなり近いかもしれない)
(エイム感度理論)https://note.com/sobautitarou/n/na11200ccb4ac
MBTI自体はおそらく心の方を指して作られたように感じるが、それは例えばINFJ的な見方であって、対照的な認識パターンをもつESTPの人からすれば、体の方を指していると理解し、その観点から分析した結果ミスタイプのような結果が表れるのではないか?実際ミスタイプのパターンを見ると、MBTIへの理解というよりは、物事を結果や現象としてみるか、その背後にあるメカニズムでみるかという根本的なスタンスの違いがあるように思える。
もっと言えば、二つの意識は真逆の性質を持つように感じる。うまい例かはわからないが、例えば人は愛情を抱いていても、ストレートに伝えるのではなく、あえてぼかすような行動をとることがある。馬鹿にするような言い回しをすることさえある。それは言葉の不完全さや軽薄さに対する皮肉であり、マイナスにマイナスをかけるような試みで真意を表しようとする行為である。何が言いたいかというと、現実を理想に近づけるには、大抵理想とは一見真逆の方向の、ある意味破壊的なアプローチをとることになるのがこの世の常なのではないか。(悪しき行為で善を為すという意味ではなく)
漫画の話になるが、進撃の巨人のエレンを診断するとすれば私は確信をもってINFJと答えるが、ESTP、少なくともSe優位のタイプと診断されることも多そうである。行動だけみれば確かにエレンは直情的で子供じみた一面をもち、大人びた言動は少ないように見える。が、実際は他者への共感性に著しく長け、集団の中での自身の役割を強く意識し、態度を自在に変化させる柔軟さと芯の強さを併せ持つ。一見子供っぽく思える言動すら、空気を読んだ結果のように思える。
さて、MBTIに沿った正解はINFJだという結論を曲げる気はないが、言ってしまえば、このようなごちゃごちゃ考える見方自体がまさにINFJ的な観点に過ぎず、実際にとった行動、結果が全てだろうと考える人からすればエレンはESTP的な価値を持つ存在であり、つまりMBTIのコンセプト自体が万人に共通する価値を持つものではなく、しかも重要なのは、そこの決定的なすれ違いを認識しているユーザーは著しく少ないのではないかと思う。MBTIの開発理由に相互理解がどうのこうのとかなんかに書いてあった気がするが、わかりあう方法論についてすらそもそもすれ違いがあるのだとしたら中々カオスな事態である。ちなみに私は単なる興味から妄想を繰り広げてるだけで相互理解とかに大して興味はない。

とにかく、
①肉体の制御、すなわち行動や結果に直結する動作を司る部分と、心の制御、言い方が難しいが動機や判断を司る部分が二つあるように感じ、またそれぞれにMBTIを適用できると思うこと
②その二つは、対になるパターンをもつと感じること
(例:INFJとESTP)
③ミスタイプの例や価値観の違いから察するに、二つは混同されているように思われること

そしてこれらが真なのだとしたら、根本の部分でユーザーの間にすれ違いが発生しているという事態を重く受け止めるべきだと思う。MBTI自体の価値の認識に大きな差があるということは、つまりは日本語で会話していると思っていたが実は通じていなかったようなものではないか。結局、MBTIの理解の難しさや複雑さ、そこから生じる無数の誤解と無意識の差別を鑑みると、MBTIに相互理解における価値を求める暇があったら、自己理解に努めたほうが早そうという結論になる。ここまで書いといてなんだが、二つの意識がどうのこうのという話をしておきながら、理論的にも感覚的にも抽象的過ぎて理解してもらえるとは全く思っていない。だから話せば解ける誤解とも思えない。それに、仮に相互理解なるものがあるとしても、自己理解の先にありそうなのも容易に想像がつく。また自己理解のツールとして使うにしても、適正がなければ習熟までに相当時間を要するように思う。なので自己理解にMBTIが有用かどうかも、感覚的には大分怪しく感じる。
他人のしたこととしなかったことを見るな、自分のしたこととしなかったことを見よとは仏陀の言葉だが、やはり彼はどこまでも正しい。仏陀はMBTIなどなくとも人の心を理解しきっていた。MBTIで他人を診断したり自分にあてはめて他人からどう思われているのかを想像したりこんな記事を書いてる暇があったら自分を見るべきなのである。

理論を理解してもらおうと記事を書いたのにその無価値さを証明することになるという謎の現象に見舞われているが、唯一収穫があったのは、エイム感度理論において二つの混同を解消できたことで、かなり完成に近づいたことだった。最初はこっちについて話を展開して、エイム時の認知パターンと理想のクロスヘア論も交えて語るのが本題のつもりだったのだが、疲れたのと話のスケール差が凄いことになるのでここでやめる。

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