2021年、気付いたこと、感じたこと
久々のマガジン投稿になります。 今年、この「マインドームインストラクターMAGAZINE」を書き始め、令和哲学カフェの感想を中心に投稿してきましたが、ここでの投稿のあり方について見直してみようと思い、投稿が止まっておりました。 まだ、どのような形で書いていくかは決まっておりませんが、2021年の大晦日の今日は、今月24日から26日に参加したindustry5.0セミナーで起こった気付きについて書いてみようと思います。
11月23日のNoh Jesu マスター1Day(次回1月23日)と12月11日宇宙村VISION WORKへの参加特典として、私はindustry5.0セミナーの(2回目の)受講をさせてもらいました。 初めて参加される方やnTechと出会って間も無い方もいらして、このセミナーの内容は他では学ぶことのできないものなので、理解が追いついていかないこともあるのですが、講師お二人がじっくりと受講者からの質問にも対応していただいたお陰で、ファイナルクエスチョン、ファイナルアンサーに出会うことができたことで、1日目は分からないと言われていた方も3日目には晴れやかな表情に変化されていたのが、とても印象的でした。 私も、3日間の時間をかけて、nTechの内容を深めることができて、とても良い機会になり、是非多くの人達に、このnTechの悟りに出会っていただきたいと強く思いました。
nTechで学んだ内容は、セミナーを受講中には気付けなかったけれど、数日あるいは数カ月経って、あぁこういうことだったのか!と気付くことがあります。 今回、大きな大きな気付きに繋がったことがあったので、書き記しておきたいと思います。
nTechで解明したこととして、人間は悟るために作られたのであり、悟りに到達するためには、この体での状態に満足してしまうわけにはいかないので、自己否定をするように初期設定されており、更に正しく絶望することが必要である、という事があります。(この事の内容については、nTechのセミナー等で学ぶのが一番ですが、ノ・ジェスさんの新しい書籍『心感覚』で分かりやすく書いてありますので、強くオススメします!)
今年、何度か「正しく絶望すること」に関するワークショップに参加し、ナルホド!と理解はしてきたのですが、一方、変化がもう一つできていない自分の現状の課題がありました。 小さい頃から私は、何か課題があると、すぐには取り掛からずに「めんどくさい!明日しよう!」と先延ばししてしまう厄介なクセがあり、学校の宿題とかもギリギリになるまで放ったらかしにしてばかりでした。( ̄O ̄;) このクセを改善するためにはどうすれば良いのだろう?、もしかしたら自分の障害特性と関係があるのでは?と『「大人のADHD」のための段取り力』という本を読んでみたところ、自分の短期記憶の容量の器が小さいために、物事を処理できず、時間の感覚が弱いために、ついつい未来に解決していけることを期待してしまう、という事を理解でき、納得できたのですが、その本には役に立つ対応策は書いてあっても、根本的な所には至っていない感がありました。 というのは、そんな障害特性を持つ自分を受け入れて、日々を過ごせたとしても、そんな自分を変化・成長させていくことができていくイメージは持てなかったからです。
その課題を解決できることが、今回のindustry5.0セミナーに参加した目的でもあったのですが、その解決のための気付きがセミナーの2日後に起こりました。 その日読んだ、あるマンガの中で、登場人物の一人が、どうやったら自分を変化させられるのだろう?と悩みを打ち明けたところ、もう一人の登場人物が、大人は今までの人生を失敗作にしたくなくて自分を肯定してしまうけど、自分を変化させるためには自分の過去を全否定するしかない、と話す場面があり、すごく納得し、nTechの理解とも繋がりました。 誰しもそうですよね。 自己否定や絶望って、やっぱ辛いから、「しょうがないじゃん。」となってしまうし、自分の人生が失敗作なら、幸せになりたくて頑張ってきたことが全て無駄になると思えてしまうし。 自分とは何なのか?生きる意味とは何なのか?と悩んでも、どこにも答が無いから、とても辛い出来事があると、死にたくなることもありますよね。
nTechでは「自分とは何なのか?」という質問に明確な答が出せていて、自分の体を含めて自分が見ている宇宙は全て錯覚であると理解できるようになっています。 ですが、今までずーっと、この体が自分なのだと思い込んでいたので、自己否定によって悟りに近づくことができても、その思い込んだ自分を肯定しちゃうことで、自ら悟るチャンスを遠ざけてしまいます。 nTechで、自己否定による正しい絶望で、悟りに到達するということが理解できていても、この自己肯定の「落とし穴」にはまってしまって、罠から抜け出せなくなっているですね。
ノさんは、1996年に福岡でどん底の状態に陥った中で、悟りに到達したそうですが、自分を肯定しようがない程の状況に追い込まれなければ、悟ることはできないのだろうか?とここで疑問が出てきました。
そこで、そういえば、鬼滅の刃の映画で、主人公の炭治郎が夢の中から目覚める場面があったのを思い出し、視てみました。 (苦しみではなく幸せの)夢の中で、炭治郎は、本来の自分と妹から目覚めを促されますが、目覚める方法が分かりません。 ですが次第に、鬼によって家族の幸せが失われたことを思い起こし、今いる世界が夢・幻であることを認識します。 そして、夢から目覚めるために切るべきものは(自分の外ではなく)既にあることを伝えられます。 そして、切るべきものが自分の首であることを理解し、覚悟し、決断して、夢の中で自殺し、目覚めていきます。
このシーンを視て気付きました。 悟るとは、体人間として生きてきた今までの自分をオールノー(全否定)することであり、つまり脳に負けてきた「自分を殺す」ことなのだと。 セミナーとかで、ノさんから「自殺のプロ」になることが必要であることを学んでいながらも、腑に落ちていませんでしたが、ここで強烈に理解できました。 やはり、問題意識を持ちながら、このアニメを観たことで目と耳で感情にダイレクトに響いたお陰かと思います。 (nTechでは、本来の自分とは源泉動きそのものであると定義できているので、ここで語る「自分を殺す」とは、生死を超えることを意味します。) 絶望から自殺に直結するのではなく、悟りに到達するわけです。
ここを踏まえながら、鬼滅の刃の映画のこのシーンをポイントでまとめて解析してみたいと思います。
・自分が見ている世界が夢の中であることを知ること。 →人間の脳では知ることのできない絶対世界が生み出したのが、この時空間であることを概念知識として理解すること。
・本来の自分から「目覚めろ!」と強く呼び戻されること。 →夢の中で錯覚現実に騙されている自分を本来の自分(源泉動き)が「目覚めろ!人間は何のために生まれてきたのか、思い出せ!」と呼び覚ますこと。 そう考えると、童謡「かごめ かごめ」の歌詞の「後ろの正面、だぁれ?」の後ろの正面にいるのは、本来の自分=源泉動きそのもの、であると解析できますね。
・夢から目覚める方法は、自分の外にあるのではなく、自分の首を切ることであると気付くこと。 →悟りを得るとは、自分の外に知識としてあるものではなく、自分が源泉動きそのものであることを知ること。 本来の自分は、永遠に動きしかないわけだから、生まれていないし、死んでもいない、不生不滅。
・目覚める方法に気付くこと。その方法に独りで到達するのではなく、それを促す他者がいること。 →この目覚める方法こそ認識技術nTechであり、個の悟りのレベルではなく、教育によって全人類誰もが悟れるように導いていくことが可能となっていること。
・失われた幸せを思い起こし、目覚めるための強烈なモチベーションで突き動かされること。 →失われた幸せ=人類がずっと苦しんできた歴史であり、日本においては、太平洋戦争や原爆や経済戦争という辛い出来事を体験して耐え忍んできた「涙」であること。 だからこそ、この涙をモチベーションに変換していける日本だからこそ、世界を救済していくことが可能であること。
かなり長い文章になってしまいましたが、2021年という一番寒い冬の中で、外に出て活動することができませんでしたが、この1年を通過したことで、この気付きに出会えたので、書いてみました。 良いお年をお迎えください。
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