見出し画像

令和哲学カフェ(令和3年10月26日)の感想

★令和哲学カフェ3期-2-1-1200x675

昨日開催されたオンライン参加の実践型プラットフォーム「令和哲学カフェ」で気付いたこと感じたことを書きます。(カフェの内容については書いていませんので、脈絡は分からないかもしれません。 また、私の受取りミスや理解不足もあるかもしれません。)

<プレゼンテーション>
各回のナビゲーターによって、プレゼン資料の内容が変わるのが興味深いところですね。 今回の資料は、テーマの自死の涙があるように感じますが、この印象も多分、2週間を通して変わってくるのでしょう。

<お題「どういう状態だったら、生きることも死ぬことも無いという状態になるか?」>
テーマが重たいだけに、ブレイクアウトルームで暗くなってしまったり、チャットが少なくなったりしてしまいますね。 今回から新コーナー「賢者の語り部屋」が始まりました。 ディスカッションの内容をもっと深めたい時間なだけに、もったいない気もしましたが、ニーチェの解析を久しぶりに伺えて、やはりすごかったですね。 人生に対する意味付け・価値付けを社会や宗教の教理に依存するのではなく、自分で行っていくんだ!という力強さを感じました。 だからこそ、ニーチェは現代になって必要とされているんでしょうね。

<質問コーナー>
「有ったり無かったりするのであれば、部分的に有ると言えるのではないか?」という質問、とても良かったです。 それに対するノさんの回答で、『鬼滅の刃』の煉獄さんの死が出てきたことで、イメージができました。 アニメのセルがスクリーンに映し出すストーリーはあるけれど、そもそも、そこで起こる生死も描かれた絵であって、実在するものではない。 主体が視ている夢にすぎないわけなんですね。
違いがあるから意味が生まれる、という回答もナルホドでした。 脳のクセで違いを取ってしまうことが、人間の脳の限界として、悪い意味で取ってしまいがちですが、そもそも、何の違いも無い絶対世界から観れば、違いが欲しくて欲しくてたまらなくて生み出したのが、違いを無限大生み出す現実空間であるわけで、その錯覚を思う存分楽しんでいるわけですね。

<感想・まとめコーナー>
違いによって生み出された最先端が、自然によって育てられた日本文明であり、その日本文明が大爆発を起こすことで、歴史上一番美しい偉大な事件が起きる!とノさんが言われていたのが、今回は特に印象的でした。

<インフォメーション>
令和哲学カフェは、平日ほぼ毎晩21時〜22時半まで、参加費無料!で楽しく開催されています。興味を持たれた方は、ZoomでもYouTube(視聴のみ)でも参加できますので、是非参加してみてください!

令和哲学カフェ
https://reiwaphilosophy.com

また、ノさん自身の令和哲学カフェ開催報告がメルマガに掲載されていますので、購読をオススメします。

21世紀の悟りを得た令和哲学者 Noh Jesu(ノ・ジェス)メルマガ
http://magazine.noh-jesu.com

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
明日は、今晩開催される「心の不安をわくわくに大反転させるリテラシーフェスティバル ー NohJesu Special オンライン交流会ー」の感想を掲載する予定です。

よろしければ、フォローをお願いします。

よろしければサポートをお願いいたします。 いただいたご支援は、尊厳アーティストとしての活動費として使わせていただきます。