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きたれ、バウハウス

目指せスーパースター。蕎麦宗です。

4月の末に行く予定だった『バウハウス展』。残念なことに静岡県立美術館でのそれはコロナ禍の影響で会期中のほとんどが中断となり、わずか2週間で閉幕してしまった。今年がバウハウスの生誕から100周年ということで企画されたこの展覧会、全国を回る予定もあり会期延長とはいかなかったようだ。幸い東京での展覧は中止とならずこうして来ることが出来た。

美術や建築に携わる方々にはその名も知れたバウハウスも、一般的には馴染み薄いものかも知れない。今から100年前のドイツで、最終的に建築に集約させる形で芸術を統合し、それらを学ぶ場として作られた学校、それがバウハウスだ。初代ヴァルター・グロピウス校長を始めワシリー・カンディンスキー、ヨハネス・イッテン、パウル・クレーといったそうそうたる芸術家達が教鞭をふるい、マルセル・ブロイヤーに代表される数多の芸術家や建築家を生み、個々人の感性のみに止まらない教育理念・手法の元に、今なお世界中のアートに影響を与え続けている『存在』だ。

残念ながら第二次世界大戦中にナチスの弾圧によって解散してしまうのだが、最後に勤めた3代目校長《ミース・ファン・デルローエ》は後に世界中の建築物を席巻することとなる《カーテンウォール》を編み出した建築家。東京駅は1914年竣工の辰野金吾が設計した帝冠様式のゴシック風建築。当時の日本人は欧米列強に追いつけ追い越せの『憧れ病』が相当強かったので、レンガやドームといった欧米的アイコンを多用した擬洋風建築で作られている。前回の表題に使った写真はその二つで、東京駅舎の背後にそびえ立つ現在のビルディングのガラスっぷりが、対比となって実に面白い。この建物こそミースのそれカーテンウォールに他ならないからだ。

さて、バウハウス展。詳細な内容はまだ会期があるのでお近くの方は見に行かれることをオススメする。僕が一番感じたことだけを書くと、教師と生徒達がリアルで生々しいやり取りの中から新たな芸術や工業品を生み出していったことは、100年の時を経ても変わらない、大切な示唆を含んでいると思う。どれだけコンピュータやインターネットが進んだとしても、共に時を過ごすというリアルなコミュニケーション、つまり『場』の力無しには、人から人への伝達は薄っぺらいものになるのは間違いない。

帰り際、並んでいたバウハウス時代の傑作椅子が二つ。ミースの『バルセロナチェア』とブロイヤーの『ワシリーチェア』に座ることが出来た。なんとも言えぬ至福。これに腰掛けて、角瓶ではなく*タリスカーやハイランドパークか何かを贅沢にハイボールにしてグビリ、なんてちょっと憧れる。CAさんみたいな女性に運んで貰えたらひとしおだが、蕎麦宗の夜営業《navigatione=ナビ》でも飲めるのでぜひ。と、ちゃっかり宣伝。そのうち椅子も入れちゃおうかな。

余談だがステーションギャラリーの螺旋階段も素晴らしかった。また、何かの折に来たいなぁって思う。

さあ、ガンバラナシませう。

*タリスカーやハイランドパーク…高級スコッチウイスキーシングルモルト

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#きたれバウハウス #東京駅を旅する #芸術を愛でる #電車乗り継ぎの旅

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