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喜多郎さんとの話。



僕の父は音楽を聞く人ではなかった。シューゲイザーになってしまった僕はいったいどこの遺伝をもらったのか不思議だ。
でも、父と車に乗るといつもかかっていた音楽があった。
喜多郎「古事記」
車は何回か変わった思い出があるけどいつもBGMは「古事記」
あまり良い親子関係じゃなかったけどいつも車に乗って流れる喜多郎さんの「古事記」は僕の記憶に強烈に入っているんだ。
深い自然の中で聞いてみてほしい。
シンセサイザーと自然が融合する具合を実体験できると思う。
そんな僕は29歳の時に死に、父の実家の家業を継いだ。
ある時、町おこし関係で知り合った人が言った。
「僕、喜多郎さんの日本のマネージャーです。」
僕の家には江戸時代の「古事記」に関する作品を所有している。
「喜多郎さんが興味があると言っています。」
マネージャーさんから連絡をいただいた。
「そこに行きたいと喜多郎さんが言っていますと言う連絡を受けた。」
「お受けいたします。」
そう答えました。人生生きていてそんなことあるのか?とも思った。
僕は20代の頃音楽業界にいた。
実家の家業では食べて行くことができないから何か一つ武器が欲しかった。姉から虐待されて育った僕は音楽に救われた。そして今も音楽を信じている。だから僕はずっと音楽についての発信はしていきたい。
また別の機会で音楽業界の事は話そうと思う。
困難が色々あった。田舎で迎えるのにあたって色々齟齬があったと思う。
喜多郎さんの原点はグレートフルデットとのことだった。
僕の友達の田舎でシェフでパンクロッカーにはめちゃくちゃ喜んでくれた。
グラミー賞、ゴールデングローブ賞を受賞しているのに色々な原因で喜多郎さんには日本での知名度がない。
でも喜多郎さんは来てくれた。父のことの話はできた。「ありがとう」って言われた。
亡くなった父と会わせてあげたかった。
今でもカーステレオから流れる「古事記」は僕と父の思い出だ。

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