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論文マラソン1 森万由子「サルバドール・ダリと1939年ニューヨーク万国博覧会―パビリオン「ヴィーナスの夢」の位置づけをめぐって」

某美術館の学芸員です。専門は日本近代美術史です。今日から論文マラソン始めてみます。

今回の論文は、森万由子氏の「サルバドール・ダリと1939年ニューヨーク万国博覧会―パビリオン「ヴィーナスの夢」の位置づけをめぐって」(『広島県立美術館研究紀要』第24号、2021年、1〜22ページ)です。
先月広島県美さんに行き、《ヴィーナスの夢》を見てきたこともあり、本論文を読むことにしました。見に行く前に読んでおけばもっと楽しく鑑賞できたかも…という気持ちはややあります。
なお、今回は広島県美さんが無料配布されている「所蔵作品ミニガイド」も手元に併せて見ながら読みました。

論文構成

はじめに
Ⅰ. パビリオン「ヴィーナスの夢」
  1. 1939年ニューヨーク万博
  2. パビリオン「ヴィーナスの夢」の構造
  (1)外観
  (2)内部
   a. ウェットゾーン
   b. ドライゾーン
 3. パビリオンの構想から公開まで

II . 同時代アメリカ・アートシーンとの関係
 1. 1939年ニューヨーク万国博覧会の美術
  (1)美術展示
  (2)会場装飾
 2. ダリと大衆文化
おわりに

簡易メモ

・1939年ニューヨーク万国博覧会のパビリオン「ヴィーナスの夢」内に、広島県美所蔵の油彩画《ヴィーナスの夢》が壁画として展示されていた。
・本論では、エリック・シャールによって写真に記録されており、ダリ自身の意向が最も反映されていたとされる、1939年当初のパビリオン内の様相について述べる。
・本論文のⅠパートで筆者は、先行研究をまとめ、パビリオン内の構造や、パビリオンの制作〜撤去の経緯を確認している。
・Ⅱパートでは、①同万博に関与した他の芸術家の活動との比較 及び②ダリが同万博に参加したことの意義を考察している。
・結論:①ダリは万博に参加し、パビリオン「ヴィーナスの夢」を制作したことで、「大衆文化に迎合した芸術家」というイメージ、評価が決定づけられた。
②パビリオン「ヴィーナスの夢」におけるパフォーマンス表現の試みは、のちの彼の舞台芸術への参入の下地となった。

気になったこと・感想

・ダリの画業におけるパビリオンの位置づけと、ダリ評価の変化のきっかけ(のひとつ)について知ることができた。
・当時のアメリカでのシュルレアリスム受容の様相が気になった。

以下ぼやき

・Ⅱパートの1の(1)にて、当時アメリカでは、シュルレアリスムという語が「不合理な、夢幻的な、あるいは幻想的な主題のすべての絵」を指すようになっていたとあり、やっぱりアメリカでも、幻想的な作品=シュルレアリスムみたいな認識されてたんだな

・「幻想芸術、ダダ、シュルレアリスム」展(MoMA、1936年)や「アメリカのリアリストと魔術的リアリスト」展(MoMA、1943年)のカタログの内容、見てみよ〜

・ファッションなどの「大衆文化」と(ブルトン的と言うより、ダリ的な)シュルレアリスムの接近、接続についても気になる。マン・レイもVogueでフォトグラファーの仕事してたよなあと思い出しました。ビジュアル的に相性の良さがあるんだろうな。

所要時間:1時間

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