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エッセイ&イラスト|想像力で、リハビリ現場に、Fictional Rehabilitation Cosmos を構築する。『リハビリ瓦版』

介護・リハビリの場において職員と被介護者は、自分をさらけ出し、日常の暮らしの動作を早期に回復するために尽力する。その他の、私たちはリハビリの場をこう呼ぶ。リハビリ場とは、〝関ヶ原の戦いだ〟。MENTAL  MEDICAL  WARであると――。

天然〝芸人〟?

僕が通っている運動型デイサービスの一施設での話である。三十二、三歳のお母さんがいる。働いている。実にいいキャラクターをもっている。素敵なアイドルネームをもっている。

『長州小力・木ノ葉ちゃん・○○』である。○○には、本名の姓がくる。個人情報秘匿の考えから、ここでは差し控える。
ネーミング発生の理由を列挙してみよう。
①小さい・かわいい。
②つんつるてんのパーカーを着ていた。だから僕は彼女を描く際、臍(へそ)をばっちり出す。もちろん、長州小力も 出している。
③男と女の違いはあるが仕草にいたところがほんわか漂うのである。それが彼女がみんなから愛されちゃう理由だろう。
④言ってみれば芸人センスがある。例えばリハビリハウスの職員として上着は制服として決まっている。だからチャレンジメタモルフォーゼできるのは、下半身パンツ・ファッションのみだ。彼女は考える。いや、否、考えない。天然の頭脳での、自然の知能で飾りっ気なく、常識を壊してくれたのである。介護の仕事の倫理ギリギリ土俵際、社会通念をうっちゃりながらの捨て身の技である。泣けたねぇ。
同僚の誰もがそれをわきまえていっるところが、また〝表彰状〟ものなのだ。
よく員の一人、世の中を冷静に眺める目をもった馬ジな表情の坂下ちゃんは国人差し指を建ててこう呟いた。
「小力ちゃんはね、面白いことたくさんしてくれるけれど、その態度と顔を見ると、余計に笑ってしまうのよ。だって、顔のしわの隅々までとっても真剣、必死の形相なんだもの!

ガチャピン事件に、才能の一端を見た

小力ちゃんが、ある時パキパキに派手な緑色のパンツをはいてきた。介護施設職員の服装としては、倫理ギリギリきわどいところでOK。土俵際うっちゃりながらのセーフの色だった。
 ほかの女子職員も、そのあたり分かっていて、
「ガチャピン・グリーンが絶妙なバランスね」
 と、拍手喝采した。いしたのだった。あn
僕の口から思わず「ガチャピン子、最高!」と、ほとばしり出て、
「カラーパンツたのだ。・グランプリ」という職員たちのパンツ比べ大会を、漫画にしたのだ。
この話は前にも乗せたので、ここで止めておく。

みんな、芸達者です。

ライオン・ヘアで、僕はノックダウンされたぜ!

 そして、7月4日木曜日、ガチャピン子の才能と僕のヘタヘタ漫画が、コラボして、素晴らしい傑作が出来上がった。
 朝、ピン子はヘアをセットしないでやってきた。運悪く僕は見てしまった。いや、見たくなかったけれど、見えちゃった。彼女の息子は中学1年だけれど、眼にしたら、まじ、脳震盪ものだったかも知れない。でも、「芸のこやしや」と、しらんぷりだったかも知れない。すぐに綺麗にセットしたが、僕には味気ないものに見えた。
 とにかく僕の脳裡には一瞬にして、前衛絵画のようなライオン漫画がくっきりと、浮かんだのだ。もう逃れられない。一気呵成にしピつが走り、デッサンをかき上げた。勢いに乗り、他の女子のアニマル似顔絵も、生成AIに描かせた。

今回だけは僕は、自分の漫画に満足している。それは技術的な問題よりも精神完成、美の根源的記号性が、論理的解明ができないまでも、いかなる 手続きを踏めば、同行位できるようになるかが、ほのかに見えてきた点であった。
 ライオン・ヘア・ガチャピン子が、フィロソフィーにおいて、ボクと同期できたと感ロ=ポンティじられるのがうれしいのだ。

 僕は体の変調をもかえりみず、他の四人の職員についても、アニマル、キャラクターの観点から、イラストを描いた、生成AIでね。

 このコラムを閉じるにあたり2,3自分に注意喚起しておく。一つは、フッサールの現象学では、他者の存在は、自明ではない 。
 メルロ=ポンティは、こう考える。
   身体を通じて、私たちは、世界に参入すると同時に、世界から「意
   味」を付与されている。「現象的身体」と呼ぶ。
   さらに、意識と世界の関係において、身体は媒介的役割を果たすが、
   意識と他者の関係においても似た役割を果たす。

 これで、リハビリという格闘魏の中心に、意識と身体が横たわっていることがわかる。きょうは、ここまで。

喉の通りを良くする「パタカラ」体操も忘れずに。

「フェイクニュースは、ごめん蒙りたい」

「もしもし、杜さん。この漫画絵、私をいくつとして描いたのですか?」
 Mデイケアで、職員のYサンから、とうとつに尋ねられた。朝9時過ぎ、ぼくは心も身体も、まだ戦闘態勢に入っていない。しどろもどろにはならない。でもNo Thinking状態で言葉が出た。三日前に描いた漫画だ。
「確かYサンは42か、3だったよね」
 彼はシナを作って言った。「冗談でフェイクな情報を流されたら困りまんがな」
 ここで僕の脳裡の舞台は暗転する。自分でも気づかないくらい自然だ。僕は一挙に突っ込みフェイクの梯子を昇りきった。
「ごめん、ごめん。50歳過ぎに描いとけば良かったかな」ついたろか
Yサンの目が吊り上がった。「阿呆ぬかせ。私は29歳でっせ。冗談こくなら、党派閥裏金事件に絡んで領収証の公開10年後、くらいのホラふかんかいな。どついたろか」
 危うくはしごの天辺から落ちるところだった。

中央、目のくりっとした男性されがYサン。各、仮名。


漫画心を刺激される瞬間とは?

 架空のお喋り出初式の梯子から、はやばやと降りて、僕は言った。
「どうしてほしいの?」
「スマホで撮って、もっと若く似せて描いてよ。【リハビリ瓦版】なんだから真実を報道しなくっちゃぁ」
「チャンスがあったらね」
 それで離れたが、しばらく経って、ふくらはぎマッサージをしている時、ちょうどYサンが目の前で電話を取った。今だ! と、歩行器からスマホを取り出し、撮影成功。彼も、おちゃらけてポーズをたのがいかの取った。
 ぼくも慣れたもので、反射的に「趣味は何?」と訊いていた。
「タロット占いかな」いないから評価は分からない。
「カードで運勢を占う……」
「南極に向かって、タロウと、ジロウが占うやつね」
 僕は、何とかなるだろうと、帰りの送迎車に乗った。20分夢中で揺られながら、シャープペンを走らせた。できあがったのが、以下の瓦版。けっこう似てると思うんだけれどなぁ。
 まだ見せてないから、評価は不明。でも、笑ってもらえれば、それだけでいいのだ。僕はなぜ、こんな阿呆なフィクショナルなことやってるのかな?僕のパーキンソン病の脳トレーニングに、役立っていればよいのだが――。

よけいな解説は省きます。

突然の出家、これもまたフィクションなり。

 今は、いま。某デイケアで、某かしこきおのこ、剃髪し、出家せり。フィクショナルなことに驚きて、そく瓦版に絵と文かきたりーー。
 帰り間際の10分でデッサンを描き、家で着色&写真との合成を行った。たこんなおバカなアート遊びは、最後にしたいね。僕がほんとに、やりたいことはいったい、何なのか。小説ではないか。しっかりせいよ。しかし、介護の営みも、人の営為として言語学、経済学、哲学……いかなる観点から見ても、貴重なデータとなるものである。だが、楽しくなくっちゃぁ。「生きている事象」は、「生かされている現象」に支えられている。ことごとくは生きられている、大宇宙の森羅万象は、「きな粉まぶし」だ。
 例えば僕が、ふんどしさえ、はずし、きな粉のたっぷり入った丼にダイビングしたとしよう。僕の身体は、汗や、いろいろで、きな粉がくっついて「まみれる」だろう。AIや大規模言語モデルの原理は、まさにこれである。人工知能は、自分が知の・情報の「立体お重にあらゆる詰め込み方法で可能なおせち料理であること」を、わかってはいる。お重をスケルトンのように、外側から「眺め認識」することは可能だ。だが、内側、つまり精神から「手づかみ認識」することは不可能なのである。そもそもAIは精神をもたないのだから、僕のお喋りそのものが論理矛盾なのだが、屋上屋を重ねるのを覚悟でいえば、「最菌・ウイルス遮断密着スーツ」を着こんで丼きな粉に飛び込んだにして、人はきな粉にまみれるのではなかろうか。それは、皮膚感覚・毛穴肌細胞などの身体性の故だと、僕は思っているが、近頃、それらを含めて、すべてがAIによって可能になる、という論が発表されているらしい。
 これは、地球において、ホモ・サピエンスが便利と豊穣を求めた果ての副作用と分離しては論じられない。地球がなにもかもコーンによって素敵になり、温暖化がが能登半島の身体性を鞭打つ。ああ、弱い頭がこんがらかっちゃう。
 崩れかけた石の階段を昇って行こう、一歩一歩。行きつく先はわからないけれども。


Fictionと現実は、時として、アウフヘーベン或いは錯視される。

※あえて、語彙を象嵌してお喋りいたしました。どこへ、表現の矛先をもっていったらよいか、暗中模索の日々です。ありがとうございました。20240710



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