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小説・SF『J.H.M. Date File:2089-0107504 File Name:さよならホモ・サピエンス 』

 

 現在は2110年、60年前を生きた高校生の青春の葛藤と苦悩が記録されたデータ・アーカイブが発掘された。「僕は、現生人類ではないのか。植物人間なの? それとも、アンドロイドなの?」日常の暮らしの中で、感覚、感情、思考が渦巻き、青年はさみしさと悲しみにさいなまれてゆき、ついに決断する。


 ここにご用意しましたタブレット型デバイスは、二〇四七年製造、二〇四九年にデータ最終保存した、展示等に関する審査対象物です。物理、数学から哲学まで、デジタル考古学の碩学によるコンテンツ価値の調査・判断をへて、考古等級を導いていただきたく存じます。
 遡ること六十年、当時は、ホモ・サピエンスの「フェイク」が多彩に試作された時期であり、後の人造人間の開発・製造の礎をきずいた時代です。純正、フェイクを問わず、想像以上に多数の「ひと」がこれらに関与し、悲喜こもごものドラマが生まれたと聞き及びます。
本品は、T県K市緑風町「災害避難センター」の取り壊し工事現場の地下一階で発掘されました。来春、「グローバル・ヒューマン・セキュリティ・センター」として甦ります。因みに、それ以前は県立緑風高校の校舎でした。
 デジタル考古学の保存・展示品として、高い評価を得られんことを願っております。
         国立歴史博物館、展示審査室、デジタル部門審査官一同


                ◆◆◆

 左耳のうらに妙な視線を感じた。ビートをきざむ電子音のようにも、耳底の静謐をゆるがす風のようにも思われた。

くすぐったさに身をよじり、視線の主を確かめようとしたが、かなわなかった。それは糸電話のようにピンとのびていて、途中何か所か屈折しているらしく、始点は東校舎の渡り廊下の向こうに拡散し特定できない。陽炎が立っているのか、校庭の端がゆらゆらと緋色にもえている。

 クラス委員の白井恵美が、かけあしで暮れていく校庭と競うかのように、制服の裾をひるがえし近づいてきた。思わず瞳をのぞいたが、眼光のパワーも質も、耳うらにまとわりつく視線とはまるで異なっていた。   

「ところで長見くん。きみは情報伝達研究会の敏腕記者だし、とうぜん知っているわよねぇ」

 軽いジャブだと思って甘くみていると、知らぬまに急所をつかまれている、なんてことがいく度かあった。彼女は僕にとって、学校でただひとりの要注意人物である。口外したことはないが、僕を熱くさせる危険な女子でもあったりする。

「やけにもったいぶるじゃないか。全校生徒に報じるべきニュースは、手抜かりなくやっているさ。ご心配なく」  

 彼女が言いたいことの察しはついていた。そのせいか口調が皮肉っぽくなった。ついでに、だいぶ黒ずんだ白のスニーカーで足もとの小石を蹴った。当たり前の放物線を描いてそこそこ飛んでくれるはずだったのに、蹴り損ねたものだから、廊下から転がり落ちただけ。まるで前にすすんでいない。僕の明日は〝凶〟か。

 ひとり芝居に興じている場合ではなかった。かの女はすばやく鋭く切りこんできた。

「ぶっちぎりの繁殖力で悪名たかいナガミヒナゲシが、この一週間でとんでもないことになっているらしいわ」

「アウトラインはつかんでいるよ。地獄耳だけが瓦版屋の取り柄なもので」

僕は胸をなでおろした。彼女は噂レベルの上っ面の情報しかもっていない。でも、それでこっちが優位に立てたと、ほくそ笑んだりもしない。近頃はSNSが歯磨きと同じくらい当たり前になったおかげで、校内放送なんぞに関わっている人間はまるで古代人か変人扱いだ。世間のつめたい視線にたいしてペンで戦うぞ、いや、ここはWordにしておくか。

結局、彼女の目を見かえす余裕はなかった。とはいうものの、こちらだって高校生ながら、情報と伝達のスペシャリストを標榜している身。ナガミヒナゲシに関する最新ニュースは、翌朝の校内放送〈G.W.N.=Green Wind New 〉向けの原稿として、すでに授業中にタブレットで仕上げてあった。

 

  ◆G.W.N.・放送原稿◆2049.04.26.

   緑風高校のみなさん、おはようございます。けさの話題は、傍若無人な繁殖力を誇る帰化植物、ナガミヒナゲシの驚くべき近況です。H外来植物研究所の発表によれば、T県内の小・中学校、各校庭のそれぞれおよそ43パーセントがあざやかなスカーレット色の花に占拠されたもよう。この数値は、管轄自治体による緊急対策実施日程のリミットを超えているとのこと。姉妹交流で来日中だった米国ウィスコンシン州立高校の女性生物学教諭が、ナガミヒナゲシの巨大群生を目の当たりにして「Oh my God! It`s  Scarlet Ocean.」と叫んで卒倒したようです。

原因については、「大量の発芽を誘発するのに必要十分な温度上昇の実現」としか発表されていません。今後のより詳細な究明が待たれます。放置すれば、ぼくたちの高校だって、校庭いちめんまっ赤っか。マジ、ヤバイんじゃないすか。

超注目のニュースでした。情報伝達研究会・長見記者がお伝えしました。

   ちなみに、ナガミヒナゲシを簡単に紹介しておきます。ケシ科の一年草で、地中海生れの帰化植物。スカーレット(緋・朱)色の可愛らしい花を咲かせます。一個体十五万粒の種子をつくり、繁殖力が極めて強く、在来植物の生態系を乱す危険性あり。園芸種のヒナゲシ(ポピー)に花も実も似ています。

  

 白井さんの前では、ポーカーフェイスは務まりそうになかった。眉間の下あたりに安堵の毛細血管が透けて見えているにちがいない。照れ笑いしながら、むずむずと暴れている。

見透かされるのが怖くて、

「とにかく、あしたの朝のGwNを聴いてよ。じゃあね」

と、ぶっきらぼうにいって背中を向けた。走ろうとした瞬間、甘い緊張で束ねられた声音が背に打ちこまれた。器用に肩甲骨をよけて深くまで届いた。

「きみは、ホモ・サピエンスじゃないわ」

 正直、彼女が何をいっているのか、いおうとしているのか、かいもく分からなかった。ただただ冷や汗が流れた。急く気もちをねじ伏せ、

「どういうこと? 僕が犯罪級の悪さを働きでもしたっていうのかい」

と、上目づかいに彼女の顔を見た。

 切れ長の目がすがすがしく、どちらかといえば古風な顔立ちだ。僕をからかってやろうとか、だまそうといった風は、みじんも見られない。ただ瞳のすみに、知らないでもよい事実を知ってしまった後悔がにじんでいるようにもみえた。

「わたしからは話せないの。近いうちに、使者がやって来るわ。たくさんの事実が明らかになるはずよ」

 正門へ向かって遠ざかる白井さんの後ろ姿を、しばらく眺めていた。僕の身体には、髪の先からつま先まで一滴の力も残っていないようだった。校舎の西端にある部室棟から生徒が三人ばかり出てきた。楽しそうに談笑しながら帰っていく。かなたの空が茜色に染まりはじめ、引き寄せられるように、僕も西の裏門のほうへゆっくりと歩いていった。

 まとわりつく視線の糸はいつのまにか消えていた。かといって気分爽快というわけでは、もちろんない。

 茜色にもえる夕空と、月の美しさをひきたてる淡い紺色の空が、せめぎあい、なじみあうのを皮膚ぜんたいでとらえる。夕陽は魔法にかかったのか、赤い風車のようだ。あたりの景色をまきこみながら、山裾に沈んでいく。

僕の精神は暇さえあれば擬態をしたがる。こちらの都合は、おかまいなし。今はいっぽんの透明な筒であるらしかった。あふれるほどの液体。いつか水族館で見た群れなすマグロの回遊が再現されている。ガラス越しに魚と目が合う。にやりとしやがった。目がまわる。水しぶきをあげて漂着するのは巨大なジグソーパズルだ。何千ピースか、わからない。ことわりもなく弾けて、筒のなかを、およぐ、まわる、まわる、およぐ。回遊するのは、疑問符という一筋縄ではいかない魚たちだ。

 僕はホモ・サピエンスではない。つまり、現生人類でもない――。

この命題は世界に何を伝えようとしているのだろうか。脳裡を歩けば目ぬき通り商店街、欲望を収れんさせる遠近法の臍に、傷口を修復するかのように数えきれないほどの疑問符がたかっている。苦痛には至っていない。そこにぽつり、

「Scarlet Bay」(湾)

と、咽喉のおくで音声が生まれた。水泡に包まれて舌をころがり、くちびるの隙間からこぼれ、意味となった。わが高校の校庭のナガミヒナゲシ占拠率は、まだ湾レベル18%だ。予断は許されない。

西門から正門にかけて、金網のフェンスを挟み、道路側にも校庭側にも、ナガミヒナゲシはいちめんに逞しく根を張っていた。デモに参加する人間たちと同じく、いささか顔を上気させて。さらに夕闇の濃度が変化していくのに合わせ、一輪一輪が気をみなぎらせ、妖気をただよわせる。

 

 明日の取材の件で、情報伝達研究会の後輩に確認メールを送ったあとだった。

薄暮と呼ぶには青味の残る大気のなか、小指の先ほどの虫が羽ばたきながら飛んできた。一匹、二匹、三匹・・・……道路の向こう側の野菜畑から、次々に飛んでくる。十匹以上は数えきれやしない。

しかも、ナガミヒナゲシの花のすぐ上をすばやく飛んで、何やら図形をかいている。よく見ると、それは星の大きな一筆書きだ。いくつも,いくつも描かれていく。画材は不明。空中に描かれているのだから、鉛筆や絵の具や墨といった画材でないことは確かだ。糸? 針金? それとも電子の航跡?

 ふわりと花のかげから虫が飛びだした。挨拶でもするかのようにゆっくりと円を描き、左耳のうらに一瞬とどまってから、再びスカーレット色の群生のなかに消えた。この感触はさっきまでまつわりついていた奇妙な視線ではないか。セミにおしっこをかけられたときの感じにも似ている。虫はカナブンのようにも思えたが、判別できなかった。いずれにしても僕の左耳は、たくさんの大きな星と視線でつながったようだ。その効用は、ちんぷんかんぷんだけれど。

 ふと見ると、星型の中央部分だけ他と様子が違っている。そこに緋色の花はなく、掃いたようにきれいな土の面を見せている。

「ハ、ハ、ハッ、思いだしたかい、駿(たかし)駿(たかし)くん。あやしげな視線を送っていたのは私だよ」

「あなたは誰? 姿を見せてよ。ズルイじゃないか」

 いらだちが語調を荒くした。体内をめぐる液体も波を荒くしている。脳裡に張られたスクリーン上で水門を開けようとするが、びくともしない。開けたら開けたで、大量の液がおしよせ、溺れてしまうのが関の山だろうけれど。

「いやあ、申しわけない」それほど老けた声質ではないが、語尾のイントネーションが気になった。「ちょうど君の膝あたりに咲いている花を見てごらん。そこにとまっているブチヒゲカメムシ、それが私だよ」

「うわあ、僕をふしぎの国に連れこもうという企み丸出しですね。でも、うれしくなっちゃうわけにはいかない。あなたの声は体からは聞こえないじゃん。遠い宇宙から降ってくるみたいだ」

「いいところに気がついたね」というとカメムシは、バタバタと飛び立って、左手の甲にとまった。体長は二センチ弱。

「馴れ馴れしくされても困っちゃうなあ」

 僕の眼は、張り巡らされた奇妙な視線に導かれて、正体不明のカメムシの眼と衝突した。それは思いのほかキュートで、顔全体はリスに似て愛嬌たっぷり。長い口針が不気味だが、顔の中心から胸にかけて無駄なく収納され、スタイリッシュである。互いに見つめ合い、どちらも、引く気はない。

「まあまあ、落ちついて。わたしたちの社会では、声帯がつくる音声でコミュニケートすることはまずありません。五感のすべてを動員して、情報を受信・送信します」

「で、何度も聞くけど、あなたはいったい誰なんですか?」

彼がカメムシだからって低く見ようなどという、いやらしい気持ちは毛頭ない。ただただ疑問符に血肉を与えたいだけだった。それにしても、彼の話はなかなかこちらの痒いところに届いてくれない。ま、些細で、もどかしいことは人生につきものの付録みたいなものだと思うしかない。むかし母さんが、思い通りにならないことがあると、決まって嘆いていたのも、この人生のいらぬおまけなのか。

ところが彼が、臭腺にくさい液体といっしょに蓄えていた情報ときたら、「些細」どころの騒ぎではなかった。

「長い話ではあるが、極力ポイントを絞って話そう」

 彼があごをいくどかゆすり、反動をつけて、僕を見あげた。瞬間、口針の先が皮膚を突いた。

「痛っ。気をつけてください。血を吸われちゃ、かなわないよ」

「失敬、失敬。それじゃ、場所を変えて・・・…、始めるとするか」

「あっ、その前にお名前を」

「ふたたび失礼。ヴォルテと呼んでください。私の家系は、緑風町の昆虫自治会で五代にわたって戦略報道官を務めております」

勘が当たってしまった。何だか取っつきの悪そうなおっさんだと思ったけど、やっぱりだ。

 さも重い腰をあげるかのようなしぐさで飛び立つと、ヴォルテはほんの一メートル先のフェンスのてっぺんに止まった。

彼との接触の一部始終に僕はなじめなかった。所詮えせ会話であり、カメムシの視線に操られて、あらゆる感覚のコミュニケーションを余儀なくされているにすぎない。不自然なじぶんに納得がいかなかった。

一方、彼は二センチに満たない体長ながら八十倍の身長をもつ僕に対し優位を保とうと、集中力を振り絞り脂汗をかいて交信しはじめた。

「まずスタートラインに置く命題を再確認しよう。白井恵実が君にいった言葉だ。『長見駿は、ホモ・サピエンスではない』。「ホモ・サピエンス」部分を同義語に替えても、もちろん文章は成立する。たとえば『長見駿は、現生人類ではない』といった風に。では、肯定の文章として成立するためには、「ホモ・サピエンス」部分にどんな言葉を用いればよいのか。この問いに答えるには、二十世紀から試みられてきた、自然生殖以外の方法で人間を増殖させるテクノロジーについて、まず述べなくてはならない。三つのアプローチから研究・実用化が進められている。おや、皮膚鼓動が少し乱れましたね。はじめてわたしの話に興味を抱いた証拠です。ありがとう。

一つめは機械的手法で、AI・ロボットに人間の役割を代替させる。二つめは医学・生化学的手法で、臓器の自己再生、クローン人間の創造などだ。そして三つめが農植物学的手法。これはまだ人口に膾炙していないが、最新の革命的ソフト・バイオテクノロジーとして評価が高い。「畑で栽培する知的生命体」をコンセプトに創られた「フェイク人間」であり、「ホモ・プランツ」「植物派生人間」などと呼ばれている。原材料は植物の種であり、人体が出来あがっても、それは脂肪や肉ではない。極端に言ってしまえば、日本人なら誰でも知っている〈がんもどき〉。豆腐(大豆)を調理して雁の味をだすという作法は一緒だ。ここ二十年かた、原材料としておおく用いられているのが、種の異なる植物がうらやむほどの繁殖力をもつナガミヒナゲシ。それと、強靭でしなやかな筋肉繊維質をつくるカラムシだよ。君のご両親はたぶん……………」

「ジュルジュル、ギュ,ギュ……」

ムクドリだろう、二十羽ほどが道路の向こうから飛んできて、ナガミヒナゲシの群生のうえを旋回して立ち去った。

一筆書きの大きな星形を描いた視線が消えるのと同時に、音声もとぎれた。一瞬、かすかな翅の振動音が聞こえたが、すぐに止んだ。カメムシ・ヴォルテの姿も黄昏のかなたに消えた。体内を流れる水路では、ふくらむ不安と興奮が力づくでせき止められていた。

 

 二階建てアパート「ハイツ・スカーレット」は、路地の突き当りにあった。セラミックスの外壁といえども、半世紀近く雨風とこぜりあいを重ねたあげく、負傷し、いたいたしい悲鳴をあげていた。

帰宅するたび、外壁は当てつけるように老兵に姿を変える。歌舞伎の早変わりみたいだ。黒ずんだ包帯を肩から腕、片側の太腿にまで巻いた白髪の大男。爆発物の破片でも刺さったのか、右目に大きな眼帯をはめ、残された眼を渾身の力をこめて吊りあげ、飢えた豹さながら首肩をまわしながら、標的に全神経を集中させる。その凶暴さとくそまじめな純情に、僕は往復びんたで打ちのめされてしまう。戦争映画なんて、どれほど見ただろうか。記憶はないけれど、ふしぎな現実だと思った。

1DKの室内にしても、時が削ぎ落としていく新味とは別に、納得できるほど豊かには暮らせなかった人たちの這いあがろうとする魂の叫びが、壁や戸のあちこちに吹出物のように顔をのぞかせている。

小さなダイニングテーブルに向かい、バイト先の販売店からもらってきた夕刊に目を通していると、ふとした拍子に母さんを思う。

 あのひとは、太陽に好かれているのか、月に好かれているのか、はたまた、両方から嫌われているのか――。

 童話の世界のようなたわいのない疑問。

 もの心ついてから、ずっと僕は母さんとふたり、それなりに助けあい、いがみあいもし、歳月を几帳面に編むようにして暮らしてきた。そのこと自体とりたてて感じ入ることではないけれど、先週十七歳の誕生日を迎えてからというもの、どうもおかしい。大切なものを置き忘れてしまったようで、胸苦しさを日一日と、積み重ねている。

 パソコンは多少できるが、特別の技術や資格など持っていない母さん。いつの季節も、少なくてもふたつ以上の仕事を掛け持ちしていた。昼間は事務系、夜はコンビニやスーパーなどの流通系というのが基本パターンになっていたと思う。きょうは特別で、スーパーが閉店した後、知り合いのスナックを手伝うといっていた。水割りをつくっているか、お酌をしているか。いずれにしろ男客の相手をして、貨幣をえることに違いはない。

 こう見えて僕は、母さんを尊敬している。仕事の愚痴をけっして言おうとしないからね。わがままで泣きべそな僕なんかとは「人間の出来が違う」ってやつだ。かないっこない。もちろん、僕を育てたのは母さんなわけだから、そこらあたりは穏便にしておく。

自分で発しながら、恥ずかしくなるような、子どもじみた疑問。いざ答えようとすると、やっぱりまごつく。母さんは昼夜問わずあれだけ働いているのだ、希望にとどかぬ額面で。太陽や月からまさか嫌われてはいないだろうけど、好意や共感をわかちあっているとも思えない。なぜだろう。二十年に満たない未熟な生を免罪符にいわせてもらえれば、母さんが世界に受け入れられることを自ら拒んでいるからのように思えて仕方ない。

そんな思いにとらえられると、きまって目の前に映画館の大型スクリーンが現われる。映し出されるのは、一点の絵画だ。ダリの時計がぐんにゃりと横たわる『記憶の固執』。と思いきや、似ているようでいて、まるで別物。山の斜面がモノトーンで描かれている。他を威嚇しつつ、 内側でおびえているようなまがまがしい雲が、空を闊歩する。土の斜面には落葉広葉樹が、校長先生の朝の訓示を聞かされる小学生の整列みたいに植林されている。ところが、ことごとく根元近くで伐採され、まるで切株の墓場のようだ。露出した根と土が絡み合ったあたりから青紫色の香が煙ってくる。映画館の暗闇にアナログ映写機が暗く青い光を投影し、ほこりの粒子が浮遊するのが見える。絵画の香は、しだいにスクリーンからにじみ出て、館内の光と混ざり合いながら、多くの日本人に心の平安をもたらすであろう乾燥植物に特有の苦い香りを鼻腔にもたらす。幼いころ僕は、祖母の葬儀に出席したことがあった。あの時、香を吸いすぎて、気もちが悪くなってしまった。その経験はいまも皮膚や繊維質にしっかり残っている。シングルマザーとして生きてきた母さんを思うと、きまってこんな心象風景をこしらえてしまうのだ。

母さんはいつ帰るか、わからない。冷蔵庫に残っていた豚肉とハムで焼き飯をつくった。レタスとトマトの簡単なサラダも二皿作り、片方にラップをかけた。明日の朝も新聞配達の仕事がある。四時には起きなくてはならない。気がかりはもろもろあったが、体内をさかのぼる渓流のリズムは落ち着いてきていた。このチャンスを逃すまいと床に入った。目を閉じるとほどなく、眠りの女神は僕を連れさった。久しぶりにここちよく。

 

 明け方の三時すぎ、左の耳朶がうっとうしくて目が覚めた。目覚ましの設定より一時間も早い。耳朶を縛っていた釣り糸のようなものが、頭部を何重にも巻いた。いきなり、モールス信号みたいな電子音が響いたと思いきや、カメムシ・ヴォルテの音声が腹の底のほうから聞こえてきた。脳伝導がつながっていた。

 

◆カメムシからの脳伝導◆ 

さぞかし腹を立てていることと思う。あのような形で会話(交信)を中断したのは、いかなる理由があろうと、わたしに非がある。謝りたいと思う。

まずは、きのうわたしが出した質問に対する回答を示しておこう。

長見駿君は、ホモ・サピエンスでもなく、現生人類でもない。肯定の文脈が成立するのは次のような命題だ。

『長見駿は、植物派生人間である』

そして、「植物派生人間」の同義語として「ホモ・プランツ」、一歩ふみこめば「ホモ・ナガミヒナゲシ」、より大きな概念の言葉として「フェイク人間」で置き換えられる。つまり君はいまや明確に単純に、偽物の人間というわけだ。

さてムクドリだが、わたしが使っている伝書鳥だ。きのうも世界を揺るがす重要かつ危険なニュースを運んできたところだった。君にとっても喫緊の問題となるものだ。しかし、今は話すべき時ではない。今は君に、君自身を知ってもらうべき時なのだ。

   そう、君自身が一番わかっていることではあるけれど、十七年間にわたる生命活動の記憶保存に関してパーフェクトではない。バイオシステムにバグが多すぎるのだ。とりわけ長見駿が真正のホモ・サピエンスではない事実が露見しかねない状況において、対応が適切であれ、ちいさな瑕疵を見抜かれてしまうような危ういものであれ、記憶に靄がかかるように仕掛けられていた。

   それは記憶にないのとは違う。レースのベールに隠されて、あいまい極まりないのだ。

聡明な君のこと、とっくに承知してくれているとは思うが。いま私が話している情報は強制的にきみの皮膚あるいは脳波レシーバで受信され解読されている。わたしたち、言語をもたない動植物は、論理構造をもつコミュニケーションを行うには、この脳伝導が欠かせない。

   わたしが管理している記憶のバックアップデータの中から、必要と思われるシーンを送ろう。

Date.2035.06.24/父の思い出

 レースのカーテンの向こうで曖昧模糊としていた記憶が、ゆっくりと輪郭を濃くしてきた。先入見をもたずに眺め、耳をかたむけ、映像と音声を素直に文字に変換していけばよい。

 喉もとに巨大な水槽が立ちはだかった。中の液体が意を決したように回転しはじめ、マグロともサケとも特定できない魚の大群が回流する。コインランドリーの大型乾燥機に自動リンクしたのか、内耳は轟音の渦。幼少時の記憶が駆け足でやって来る。

 あれは幼稚園に入るか、入らないかくらいの時だ。やれ咳だ、やれ熱がでた、頭が重いだの痛いだのと、そりゃあひ弱な子どもだった。現代科学の粋を集めて作られた「植物派生人間」と聞けば、そこら辺を歩いている「現生人間」よりよほど頑強にできていると思われがちだが、とんでもない誤解だ。

 こんな時、父さんはたまたま家にいると、恥ずかしげもなく無防備な笑顔をはりつけて、しゃしゃり出てくる。これが怖いのだ。

「どうした、たかし。よしよし、父さんが直してやろう」

 いきなり僕のからだは、大きな肩にのっかっている。

「わーい、こわいよー」

叫びはするが、僕は高いところが大好きだった。

「母さん、ちょっと土風呂にいってくっから」

 父さんが上機嫌でいえば、母さんも「気をつけてね」と、こころが溶けだしそうな笑みで送りだす。この頃は、三人がまだ互いに信頼をよせあい、広葉樹の林のさわやかな葉擦れの音やにおいに優しくくるまれている時代だった。

 僕たちが暮らしていたのは、戸建て住宅や民間アパートが計画性もなく雑然と建てられたと思われる地域だった。ただ、地域外の住人には決して漏らしてはならない秘密があった。

 通称『土風呂』――それは、地域の中央にある公民館の地下にひっそりと設けられていた。

 階段を地下三階まで下り、薄暗い廊下をしばらく歩くと、焦げ茶色の大きな暖簾に突きあたる。白抜きの筆文字で「治湯」と力強く書かれている。それをくぐると、脱衣場である。男女の区別はない。

「自分で脱げるか」

「カラダがだるいよお」

 ここへ来ると、たいてい体調はよけい悪くなっている。そうだよ、父さんにいっぱい甘えたいんだ。

面倒くさそうな父さんの手で、シャツや半ズボンが引きはがされる。

「パンツぐらい自分で脱げ。お前の病気を治しに来ているのだぞ」

 薄明りのなかで、上半身裸になった父さんの脇腹の肉が、怒声とともに引きつる。

父さんの胴体はなんだか怖い。ボーダーTシャツみたいに、肌の色が横じまになっているせいもある。黄色人種の肌の色に違いはないけど、白っぽかったり、黒っぽかったり、茶色くてざらざらしていたりする。僕も大人になったら、あんなふうになっちゃうのかと思うと、胸に霜柱が生えそうだった。

 あわててパンツを脱ぎ、籠に入れてから、浴室への板戸をひいた。

思わず目を閉じた。時をおかず咳きこんだ。地階にもかかわらず、真夏の快晴そのままの陽射しにあふれていた。四メートル四方の浴槽とシャワーボックスがそれぞれ三つ、陽をはじき返していた。浴槽といっても、湯が入っているわけではない。微妙に成分の異なる、三種類の土壌が収められていた。フェイク人間「ホモ・プランツ」の誕生・成長(栽培)・治療には、微生物をたっぷり含んだ土壌と海水と太陽光が必要らしい。僕は咳きこんだ。浴場内の熱気には、かすかに肥料のにおいがただよっていた。

「駿、よく聞け。一度しか言わないぞ。喘息を治すには、まず38度のシャワーを浴びるんだ。そして、一の土から三の土まで、順につかれ。違う土につかる前には、必ずシャワーだぞ」

 陽射しがまぶしいのか、父さんの眉間に皺がきざまれた。滑らないように注意しながら小走りでシャワーボックスに行き、38度の湯で体を流した。その間に父さんは、浴槽内の土壌に僕が入れそうなくらいの穴を掘ってくれた。

「口元まで土壌につかって、百数えるんだ。」

 一の土は、母さんに抱っこされたような温かさで、しっくりきた。でも、足の付け根についているおちんちんが、微生物が豊富な土壌に包まれるにつれて、むくむくと大きくなってきたのには、ちょっとびっくりした。おしっこをするのにさんざんお世話になっているくせに、自分のカラダの一部とは思えなかった。

数を数えおえて、浴槽からシャワーボックスに移動した。おちんちんにくっ付いた土壌を手で洗い流していると、今度は少し硬くなってきたみたいだ。指が触れるたびに、かゆい所をかく気もちよさを感じた。

二の土は、一より熱かった。つかるだけでなく、土を手にすくって、お腹やお尻、腕や足に塗ってみた。皮膚と土壌は相性がよく、微生物はたくみに皮膚に侵入し、病の元と格闘をはじめた。顔が上気し、全身が汗だくになったが、二の土も無事にこなした。気もちも、おちんちんも、だいぶのぼせていたけれど。

 三の土は前のふたつとは段違いに熱かった。土壌にうずまって六十くらいまで数えたとき、ついに限界が来た。

「うわあ、もう我慢できないよぉ」

三の土は「燃土」と呼ぶにふさわしい熱さだった。おへそから下の皮膚がチリチリ泣いた。

(百まで数えてたら、ゆであがっちゃうぞ)

腹の底から恐怖が竜巻みたいに襲ってきた。目の前を渡り鳥の大群がいっせいに飛びたった。浴槽を跳びでて、小走りにシャワーの下に行った。30度以下の設定のままレバーを下げた。水でこそないが、ひんやりと心地よく、ゆであがる寸前で危うく救出された思いがした。

「ばかやろう」

 反射板を組み合わせ、地下三階まで引き入れている太陽の光が一瞬、裂けたかと思える怒声だった。ぼくの両頬は、父さんの大きな掌で力任せに張られた。口のなかが切れた。葉っぱをぐちゃぐちゃにして搾ったみたいな液の味がした。生まれてはじめて体感する正真正銘の痛みだった。

「おれたちはナガミヒナゲシの血をひいているんだ。繁殖力もでっかい。チンポだって、でかくなって当たり前だ。びびってんじゃねえ」

 父さんは、肩をいからせて先に帰ってしまった。僕は涙を舐めながら、爪先だけをずっと見つめて家路についた。いくら急いでも、早く歩けなかった。

 やっとアパート近くの公園に着いたとき、母さんが迎えに来ていた。僕は泣きながら、胸の中に飛び込んだ。

「ごめんよ、駿。痛かったろ。許してちょうだい。あの人も、決して悪い人間じゃないんだけど。今は、仕事とか大変な時でねえ」

「ううん、僕もいけないんだ。父さんは悪くないんだ」

腕をバタバタさせて母さんを叩くたび、息が荒くなった。その体からは、土風呂と同じように微生物を含んだ土壌特有の香りにまじって、母さんのあまい体臭のような匂いがほそく漂っていた。

 

次に、脳伝導がアップロードした映像・音声は、母さんの独白だった。

現在よりもいくぶん高音ぎみに聞こえる声音には、植物が芽吹きの季節に秘めている世界空間への挑発のような力強さが感じられた。約十年前の母さんの表情を目の当たりにしても、懐かしさを覚えるでもなく、動揺するでもなかった。書記者としての責任を全うしようと、決意を新たにしたにすぎない。

母さんは、呼びかけるように、包みこむように、話しはじめた。

 

Data.2035.11.06/ひ弱な駿

駿(たかし)駿(たかし)くん。あなたが、お母さんの話をいつ聞くことになるのか、見当がつきません。ただ事実を知ってほしいのです。お父さんがどんな人だったか。なぜお母さんと別れなければならなかったのか。

子どもは、生まれてくる家庭を選べません。その意味でわたしはあなたにどう謝罪したらよいのか。いくら言葉を尽くしても、かなわないのはわかっています。わたしは鬼になってでも、一生をかけてあなたを世の中の役に立つ人間に育てあげます。あなたを何にもまして第一に考えて、働きます。わたし自身が社会から疎んじられても構いません。あなたに人間社会で優秀なリーダーになってほしいのです。立派な「人間」になってほしいのです。

ほんとうのことを、包み隠さず話すわ。そもそもわが家は、特殊な家庭でした。単刀直入にいって、わたしたちは純正の「人間」ではありません。ということは、「現生人類」でも「ホモ・サピエンス」でもなく、俗にいう「フェイク人間」で、分かりやすくいえば「植物派生人間」です。さらに具体性を求めるなら「ホモ・ナガミヒナゲシ」、学名「Homo Papaver dubium」となるようです。

 国家機密用語を用いるなら、「土壌栽培による動的生命体」とも呼ばれています。

 お前を産んでこの方、わたしはひとつの疑問の縄にしばられ、肌をコゲラにつつかれる毎日に、必死に耐えてきたように思います。

 子どもを育てるって、どんな生き物にとっても大切で、大変なことだってことはわたしにだってわかります。けど、人間、とりわけひとり親の家庭の場合、お金の問題から始まって、なにからなにまで、面倒で、忙しいことだらけ。わたしは「植物派生人間」として生まれ生きてきただけだから、自然界について詳しいわけじゃない。でも、「摂理」だけは信じたい。

 ところが、人間界ときたら、どうでしょう。「シングルマザー」などとレッテルを貼って、注目させるのは良いとして、お役所がやってくれる支援は、私たちが望むものとは、まだまだ遠い。ひと尾根もふた尾根も越えなくちゃ――。

産後二年め、おまえはまだ土壌で栽培中でした。肺炎にかかったらしくてね。関東特殊医療機構の医師にみていただこうと、埋まっている小さな体を抜いたの。

 裸のおまえはご機嫌で、手足をゆらゆら振っていました。足の指がドキッとするほど美しくて。ヤツデのまるく小さな果実を思いだしました。ミルキーな白色とあわいグリーンのかがやきが、生きていることの歓びを教えてくれているようでした。

 手早く靴下をはかせ、タクシーに飛び乗りました。

 医療機構の待合室で、

「可愛らしいこと。女のお子さんですか」

と、私より二つ三つ若いと思われるママに声をかけられました。

「いえいえ。男のくせに、弱くて困ってしまいますわ」

 そう答え、ふと相手の胸に抱かれた赤ちゃんを見て、小さなめまいを覚えました。

「ご主人は、どちらのお国で……?」

「インドですの」

おんなの答に何のくったくもありませんでした。

 わたしは、とんでもない勘違いをしていたようです。「植物派生人間」は、国内結婚のみ許されている、と。でも、現実は国際結婚が可能になるほど、「フェイク人間」はグローバルな展開を見せ、人口も増えているのだろうか。いやまて、ご主人は、妻が「フェイク人間・オンナ」であることをご存じなのだろうか。卵巣はもっているが、子宮はもっていないという事実を。

女が、ぬすみ見るようにわたしの表情をうかがいました。

「あたしたち、自分たちの種族のこと、意外と知らないのよねえ」

「秘密主義すぎるんじゃありませんか」

「あら、インフォメーションビューですって。「植物派生人間」の発祥と歴史……。偶然ねえ」

iPadに似た機器にIDカードをかざし、さらに指紋認証をおこないました。壁から双眼がでてきたので、両目でのぞきました。

「植物派生人間」の開発から実用化された今日のようすまで、動画、写真、イラストで、子どもにもわかりやすく説明されていました。簡単な年表がデータとして入っていたので、保存しておきます。

 

◆「植物派生人間」の発祥と歴史

    一九六一  外来植物ナガミヒナゲシが東京都世田谷区で初めて確認される。

一九六四  ナガミヒナゲシの動的生命体への転換研究開始。

    一九七〇  「ホモ・ナガミヒナゲシ」開発プロジェクト発足。 

一九八八  「ホモ・ナガミヒナゲシ」試作体一号完成。

一九九五  1月17日、阪神淡路大震災発生。死者6300人、負傷者4万3000人、全半壊家屋20万9000。救急仕様強化。

    一九九五  3月⒛日地下鉄サリン事件発生。一二人が死亡、五〇〇〇人余りが重軽傷を負う。救急仕様いっそう強化 。  

二〇〇〇  「ホモ・ナガミヒナゲシ」実生活対応型生体モデル一世完成。

二〇一一  3月⒒日、東北地方太平洋沖地震を皮切りに戦後最大の被害がもたらされた。死者1万9533人、行方不明2585人、負傷者6230人、住家全壊12万1768棟、住家半壊28万160棟。

二〇二〇  「ホモ・ナガミヒナゲシ」実生活対応型生体モデル一世、危険産業での雇用開始。

二〇二三  「ホモ・ナガミヒナゲシ」同一世、結婚適齢期に入る。 

二〇二五  「ホモ・ナガミヒナゲシ」同一世、出産適齢期に入る。

  「ホモ・ナガミヒナゲシ」同一世、災害出動、原発廃炉作業など生命リスク産業従事者、雇用調整対応型労働者としての需要高まる。

※二〇四九 本格生体モデル一世を世に送り出してから十年ごとに最新型の二世、三世を製造、まもなく五世が完成する。婚姻・生殖による増加と合わせると、那加ミヒナゲシの生態同様、人口は相当数にのぼると思われる。ただし、国家最高機密である。

※印は、二〇四九年ヴォルテ氏が追加したデータ。

 

Date.2038.11.06/離婚の理由

 はじめ、わたしはお断りしたんですよ。こんな小学生の作文みたいなことして、何になるのだろうって。けれども結局、先代のカメムシ・ヴォルテ爺さんに説き伏せられてしまいました。ヴォルテールに『寛容論』という名著があることだけは知っていたけど、爺さんたら、

「〈寛容のこころは〝母ごころ〟、語れば、いのちの価値が増す〉。駿(たかし)駿(たかし)くんがもっと大きくなった時、お母さんも人生を必死に生き、乗り切ったことをわかってくれますよ、必ず」

と、妙な呪文をまじえた話を聞かされ、その気になりました。すべては駿のためでした。

 健介と知り合ったのは、二人が二十歳のとき。わたしが公民館で下働きをはじめたころでした。ふたりとも、右額の生え際近くに星のかたちのホクロがあることは知っていたので、お互い「ホモ・ナガミヒナゲシ」つまり「フェイク人間」であることはわかっていました。

 わたしたちの種族は遺伝子の性質上、オトコもオンナも「ホモ・サピエンス」以上に性欲が強い生命体でした。もちろん、個体差はあります。どちらかといえば、わたしは性欲偏差値は低く、健介は高いほうでした。彼は全国の建設現場を渡り歩くとび職を仕事にしていました。

「ホモ・サピエンス」が疲れをとるためにサウナ風呂を利用するように、わたしたちは土風呂に入ります。深酒をしては、公民館にも、しょっちゅう来てました。

「俺は女を口説くのもうまいし、よろこばすのも相当なもんだぜ」

 誰はばかることなく、豪語していました。

いえいえ、そんな健介に、わたしのほうが興味をもつということはなくて。

「ナガミヒナゲシの果実のなかには一六〇〇粒の種子が詰まってるっていうじゃねえか。美花ちゃんは一六〇〇分の一の〈選ばれし美女〉ってわけだ。その姫様にこんどはおれが選ばれたいね」

 などと、しつこく言い寄ってきました。

 あとで知ったことですが、「ホモ・ナガミヒナゲシ」実生活対応型生体モデル一世には不具合があったそうです。検査漏れの少数とは言うものの、馬鹿に出来ない数だと思われます。オトコは、性欲コントロールのボリュームが30%以下にならない。オンナの場合、さまざまなことが心配でたまらない憂い度数が160%まで上昇する個体が相当数発生したとか。

しかも、コンピューター誤作動の可能性など2000年問題にかまけ、リコールは行き届きませんでした。

 わたしは、典型的な憂い症でした。彼と付き合うことが、怖くて仕方なかったんです。

けれど、そんな彼にも好感がもてる面もありました。けっしてストーカーまがいのことはしなかった点です。

「〝ホモ・サピ〟を超えてやる」というのも、彼の口癖で、純正な人間がしでかす汚職や詐欺まがいの犯罪には「胸くそ悪いぜ」と苛立っていました。でも、あいつのやったことは〝ホモ・サピ〟と同じく下劣そのものなんです。

 ひと月半近く、デートに誘われ続け、一度だけテーマパークに出かけ、根負けしたようにカラダを許しました。

わたしも偏差値は低めなものの、現生人類に比べれば、快楽好きに違いない。しばらくの間ふたりの交わりは、アメリカ大陸の山火事のようにいつ消えるともしれませんでした。

 心配症ゆえに、結婚を前提にしてつき合いはじめたのが、功を奏したのか、ひと月後には簡単な式を挙げることができました。それからのひと月、彼は、覚えたての円周率を口ずさむ少年のように行く先々の飲み屋で〈選ばれし美女〉をめとった喜びと自慢、交わりのすばらしさを吹聴して回りました。ところが数か月後、妊娠が明らかになると、家に帰らない夜が増えました。

わたしは自分の軽はずみを悔やみながら、まいにち泣いていました。さいわい間に立ってくださる方がいらして、いっとき元のさやにもどったのですが……。

 月々、一定額を家にいれてくれるということは、ついにありませんでした。

 週に一度は怒鳴り合い、手切れ金を求めてたびたび女がのりこんできました。心の休む暇がありませんでした。

 ああ、思い出すたび、気が狂いそうだ。あいつに妊娠させられたという女が訪ねてきた。短めの髪が立っていた。両方の眼が吊り上がっていた。その形相ををみたとき、

「この醜い、気狂い女は、わたしだ」

と、了解しました。わたしは世界に嚙みついたと思いました。世界はわたしを飲みこんだと、思ったかもしれません。

 台所に走りました。

 頭の中には、裸電球がひとつ灯っている。

包丁をつかみました。

 あいつは眠っている。

「ころしてやる」

 しゃがんで刺したが、的を外しました。わたしは右手首に4センチほどの傷を負いました。淡黄色の血液が腕を流れ、布団に垂れました。

 駿が小学校に上がる寸前、わかれました。六年近く我慢を重ね、もうこれ以上は無理というぎりぎりの結論でした。

 

ate.2040.07.12/一個体ダブル自己同一性

 人づてに親父が二か月ぶりに帰って来るのを知った俺の心中は、たやすく人に説明できるものではなさそうです。もともと親父は高層ビルの建設現場で働く鳶職で、日常生活のうえではあんまり細かいことを気にするタイプでもなさそうなのですが、職業ってやっぱり凄いと思いましたよ。鉄骨鳶のプロとして業界筋ではちょっと名のとおった男らしくて、足場鳶も兼ねていたせいもあり、非常に羽振りがよく、金にも女にも余裕こいてたし、俺にとっちゃ理想の男だといえます。鳶のしでかしたちょっとした不具合が、他の職人さんの命を危険にさらすわけでしょ。当然といえば当然なんだけど。

だから、俺は小さい時から「大人になったら、父ちゃんみたいになるんだ。日本一のトビになるんだ」

と、決めていました。久しぶりに顔が見られるわけで、女の子と会うのとはちょっと違うけれど、気持ちは高ぶって、そわそわと落ち着かなくなってきていました。

 おやじには面と向かって、でっかい声で笑いあって、頼みたい本音もあるんですわ。町の話、飲み屋の話、おんなの話、いろんな土産話も世間知らずの俺には、すげえ楽しみですよ。とくに、おんなのことになると、目の前にいるのが息子だってことを忘れて、微に入り、細に入り語っちゃうんだなあ。なんせ、親父のやつ、いい加減そうに見えて「人生の目標」は女の好みより明快ときているから驚きですよ。ずばり、

『〝ホモ・サピ〟を超えてやる』。

 遺伝子面で「ホモ・ナガミヒナゲシ」は繁殖力に秀でています。これを武器に純正人間の女を征服してやろうというのが親父の目標なのだから、下等動物の域を出てませんね。

 

     ※ちょっと待ってくださいよ、カメムシ・ヴォルテさん。僕はここまで映像を

みながら音声をテキスト化してきたが、状況が把握できません。「俺」という語

り手は、僕そっくりの顔、体つきだが、ヘアスタイルは違う。彼はいったい誰

なのですか。これらの作業は、僕の記憶復活化のはず。真実を教えてください。

     ●ヴォルテ「申し訳ありません。脳伝導のミスです。君に送るべきか否か、迷

っていた情報です。ただし内容は真実です。いま、ここで、君は世界に関する、可能性としての新たな二つの真実を把握することになります。

①     世界は複数存在する。(誰もが往復できるとは限らない。たまたま私と君

の父上が可能だった)

②一個体ダブルアイデンティティは、ありうる。(二重人格とは異なる。この世界をα・worldとし、別の世界をβ・worldとすると、それぞれ別の世界で生き、会うことはない)」

※ほんとかよ。魔法みたいな大きな仮構を僕は一瞬のうちに背負わされたんだ

ぜ。冗談じゃない。テキスト化、続行。

 

 俺は、親父みたいに、手に職をもち、助平で、強い男に、早くなりたかったんです。

「勉強は俺の性に合わねえ。高校を中退して、鳶の見習いをはじめたいよ」

 以前こういったとき、親父はかっと目を見開き、顎を殴ったうえで、

「馬鹿野郎。お前は、鳶のおれなんか、越えっちまえ。きちんと大学を出て、建築家の偉い先生もいい。これからのエネルギーを考えれば、原発もいい。〝ホモ・サピ〟社会でリーダーになるのは、並大抵のことでは無理だぞ」

と、唾をまき散らしました。

 まあ、二か月ぶりに会うんだから、気まずいことになる話題はなるたけ避けよう。進路のことは、もう少し時間がある。俺が本当にやりたい道を選ばなくてはな……。

「峻くん、さっきはお父さんの話に紛れて、助平な男になりたい、なんて、とんでもないこと言ったでしょ。わたしというかわいい女の子がいるのに、冗談じゃないわよ」

 へ、へ、へ。恵実がほっぺをふくらませてやがる、やばい、やばい。

・・・……おっと、最後になっちまったけど、自己紹介をしておこう。自分に自分を紹介するなんて、ふしぎな気もちだけれど、あきらめましょう。

 長井 峻(しゅん) 二〇三二年、六月一〇日生まれ

 父および母は、君と同じ。

 生涯、会うことはないけれど、それぞれの世界でがんばろうぜ。

 恵実は、俺が幸せにする。あしからず――。

 

 緑風高校西門の門柱によじ登った。見た目よりはずっとがっしりしていて怖くはなかった。立ちあがると、グランド全体に視線を這わせた。僕たち生徒の体育の場であり、散歩と憩いの空間である。

いったん下校して、夕刊の配達を終えてから、再び戻ってきた。しかし、すでにうす暗くしぼみ始めた花も多く、スカーレットの海とはとらえにくかった。それでも切れ込みの深い葉によって、なんと三分の二近くがナガミヒナゲシの領地になっていた。

 ふと自分が今、どこにいるのかに思い当たった。大きなだるま落としになって、門柱のうえに呆然と立っている。二宮金次郎や、西郷隆盛でもあるまいし。てっぺんにぎょろ目、ひげ面、赤のだるまさん、順に紺、緑、赤、ピンク、黄色と、五色の積み木が重なっている。はて、擬態好きのわが精神は、何から身を隠そうとしたのだろうか。懐にたまった疑問符手裏剣を、忍びの者よろしく投げてみれば、ここ数日間にわが身に降りかかった、知らなければよかった類の不幸せが見事あぶりだされた。

まずは、僕じしん〝ホモ・サピ〟ではなく、フェイクな野郎であったこと。次いで、母さんの結婚から離婚までの六年間の切ない時の流れ。僕があがなえるものなんて、何もない。そして、僕を驚かせたというより悲しい思いにさせたのが、世界がもう一つあることと、僕という一つの個体にアイデンティティが二つあるという事実。世の中に悲しみは数多くあるが、それぞれみんな微妙に異なる。隠しおおせるものはない。もう三つの積み木が小づちで弾き飛ばされた。残る二つをしっかり見届けて、悔いなく生きる道を探すことしかできない。

 約束の時刻に、白井恵実さんが来て、僕たちは、河に沿った道を口を利かずに歩いた。風はなかったが、川にはところどころごみが落ちていて、流れが滞り、波が立ち、水音が聞こえた。黄昏どき、ナガミヒナゲシはすでに花びらをとじていたが、繁茂する茎と葉だけでもいきぐるしいほどの存在感だった。

僕が十メートルほど遅れたとき、後ろから声をかけた。

「白井さん、僕は、初めて君に怒っているからね、ほんとうに怒っているからね」

 彼女が足をとめ、半身ふりかえった。河の側の顔半分はかげになり、下の道路のあかりに染まった半分は明るくなった。つらそうなアンバランスに目をそらした。

「ハイツ・スカーレット」に白井さんを連れてきたのは初めてだった。二年生の春、同じクラスになりたての頃、僕の知性、感情、欲望のすべてのベクトルが「シライメグミ」に振れたことがあった。ちょうど母さんが風邪をこじらせ、何日か寝込んだときだ。室内には、風邪の菌とともに、人をいらいらと憂鬱にさせる菌が充満していた。

母さんが一日でも早く回復していたら、僕たちは結ばれていたかもしれない。現実を何もわかっていなかった僕は、ただただ白井恵実への恋を野放しにして、チャンスあらば猪突猛進あるのみと高をくくっていたから。

 けれど今はすべてが変わってしまった。折り目ただしい好感いがい、なにも抱いてはいない。

 インスタントコーヒーを入れ、ダイニングテーブルに向き合った。

「長見峻(しゅん)「長見峻(しゅん)と付き合ってること、どうして話してくれなかったんだ」

「………・・・・・・・・・」

「峻と僕が、同じひとつの生命個体だということ、知っていたんでしょ」

「ごめんなさい……、」

「僕だけが蚊帳の外だったんだ、ね」

「わたしは駿(たかし)「わたしは駿(たかし)くんとデートするつもりだった。ところがヴォルテさんの手違いで、視線の禁域からβ世界へ入れられてしまったの。すぐもどればよかった。峻くんともお友だちになりたくなってしまった。みんな、わたしが、いけないの」

彼女は、テーブルに突っ伏した。それからの小一時間、ふたりは口を開くことはなかった。

 僕の空っぽになった頭のなかでは、竜巻とも、ハリケーンとも名指すことを許さない暴君が、猛威をふるっていた。

 以前、彼女がサリンジャーの『The Catcher in the Rye』を読んでいて、気に入った一節を自分なりに訳してみたの、と見せてくれたことがあった。男子女子に限らずプフッと吹きだしてしまった。ちょい田舎の高校生のどんくさい感覚に、あまりにぴったりだったから。素敵だったな。

 

「わたしはいいんだよ。しょせん、偽物なのだからね」

 母さんは、僕を見つめた。シャワーを浴びたばかりで、髪も身体も水滴だらけ。大きな眼球にねばり気のある液体が膜をはって、時折、そっと波うっているように見えた。

僕はしずかにまぶたを閉じた。頭蓋のうちがわから足の先まで、性的な欲望の活きた火山だった。男と女は、一体化すればすべてがわかる――クラスの知ったかぶりの童貞野郎の台詞なんか、論外だ。幻想にもなれない。もしも、僕と母さんが一体化したら何が残るのだろうか。本来なら繁殖につながるはずの快楽の、おぞましい残滓にちがいない。台所の流しのすみに捨てられた生ごみみたいに。

 いや、なにが残るかなどという消極的な話しではない。目の前に広がる荒野に、どんな流れを呼びこむか。どれほどの城壁を築くのか。僕が一貫して求めてきたのはこういう精神の進行形ではなかったろうか。幼いころ、公園の砂場でこしらえた山とトンネルだって、大歓迎なはずだよね、母さん。

1DKの六畳間に敷かれた二組の寝具から、母さんと僕が編みあげてきた暮しの匂いがほのかに立ちあがっていた。スポンジマット、硬くなった敷き布団、その上にしわくちゃのタオルケットと、そろそろカバーを洗わなくちゃいけない使い古した薄手のかけ布団。カバーには淡いブルーで朝顔のイラストが描かれている。地中海生れの帰化植物、ナガミヒナゲシから作られた僕たちが、日本の古典園芸植物のひとつ、朝顔にくるまれて毎晩、眠っているなんて。どこか滑稽に思えて苦笑した。その拍子に呼吸が深まった。鼻腔から眉間へ、ネギの青々とした香りが抜けていった。僕には好ましい匂いだった。

 その夜、母さんはめずらしく酔っぱらって帰ってきた。バイト先のスナックでアルコールを強要されたのに違いない。

「馬鹿にしないでほしいよぉ。わたしのカラダは、お金じゃ渡せるもんか」

 大きなわめき声で僕は目覚め、明かりをつけた。

 簡単にシャワーを浴びると、母さんは全裸にゆるくバスタオルを巻いたまま、かけ布団のうえから覆いかぶさってきた。シャンプーとお酒の匂いが鼻腔をあらった。水滴がかけ布団はもちろん、僕の顔や髪をぬらした。

「どうしたんだよ、母さん。布団がびしょびしょになっちゃうよ」

 膝立ちになって、小柄な母さんをおこした。露わになった首から鎖骨あたりにかけ布団をかけようとすると、横向にくずおれた。

「けっきょくは金で体を売ってるんだろ、と怒鳴りやがる。こんなふうにいうやつ、死んでも許すもんか。売る私が悪いのか。買うおまえが悪いのか。いい返してやったけど……。くやしいねえ」

 暗いブラウンに染めた髪が乱れ、白桃色の耳朶がのぞいた。胸に実った洋梨がはじけるように揺れた。

「あんな男とするくらいなら、おまえと……」

「何をいってるの、母さんは。スペアキーじゃないんだ、僕は」

 しばらくの間、僕たちは視線を合わさずにいた。母さんが何をみていたか、わからない。僕はずっと洋梨のうつくしい曲線を眼でなぞっていた。ひょうたんなら口にあたる部分に乳首があった。色素が沈着したせいか、濃度がまさっていた。純正のホモ・サピエンスならば、乳幼児のとき、夢中でしゃぶったのを思い出すだろう。そしてエロティックな感覚を触発され、勃起するかもしれない。

 しかし僕は、土壌栽培育ちの「ホモ・ナガミヒナゲシ」なのだ。授乳によって育てられた記憶はまったくない。だから、欲情を感じないかといえば嘘になる。知らぬまにペニスは膨張し、未来の生命体づくりへの参加はいつでも可能だ。

 母さんが上半身を起こし、僕の両肩に手をおいて、交わりを促す言葉をもらした。

 一瞬目が合ったが、反射的にそらした。あんな希望も品もない顔をした母さんをみたのは初めてだった。もともと母さんは感情の旋律を表情やしぐさにのせるタイプの人ではなかった。それでいて、口角に微笑みをたやさず、おだやかな美しさを器用にコントロールした。ひとりっこのぼくを包み込むような優しさであり、励ますような美しさであったと思う。けれど、今は「欲望の魔女」と化した酔っ払いの最低の「フェイク人間」でしかない。

「きょうの母さんは、世界でいちばん醜いオンナだよ」

 布団カバーに描かれた朝顔のよごれた花びらを眺めながらいった。

 しばらく母さんはうなだれていたが、いきなりぬれた髪をバスタオルでかきむしるように何度も拭いた。 

「ああ、もういやだ。まじめに働いても、これっぽっちの希望も手に入らない。証明書がほしいの。小学校と中学校の卒業証書はもってる。他のものが欲しい。紙が欲しいんじゃないわ。この世界に、わたしも生きたんだっていう証しがほしいの」

 母さんの望むことは、ピタゴラスの定理みたいによく理解できた。

僕はやっぱり母さんの子どもなんだ、という実感をあらためて強くした。日ごろ僕が、例えばカントの「物自体」や「触発」「表象」といった用語を、哲学好きの同級生ともてあそぶのだって、この世界というどでかい場に僕自身の1ピースをはめ込みたいからだ。かあさんを百倍好きになってしまいそうだった。

 ところが次の瞬間、僕は、いや僕の精神は何の音も前触れもなく、硝子の塔に擬態していた。

 テーブルのうえの箸が、湯のみが、部屋が、アパートひと棟が、山が、海が、塔のなかの濁流に呑みこまれ、渦まいて上昇してくる。母さんへの好意と嫌悪が、納得のいかないままに混ざり合い、まずはじぶんの抹殺を願うが、この世に僕を誕生させた母さんの存在そのものも許しがたいものに思えてきて、目を閉じる。母さんにまたがって、両腕を伸ばし、首を咽喉を十本の指で絞めつける、さらに指先を皮膚に食いこませる……。

 魚が釣り上げられたときの、断末魔のうめきと生きようとする力の漲りがぼくの腕にしっかりと刻まれた。

 ドスンッ! アパート全体が地下に食い込んだように感じられ、下腹が震えた。母さんから飛び跳ねるように離れた。臆病だからこそ、俊敏だ。テレビをつけると、震源地は隣りの茨城県南西部、震度は3.0、津波の心配はない。この地震のおかげで、偶然にも、幸いにも、母親殺しにならずに済んだ。代償として、両手の指先から肘にかけて、断末魔のうめきと痙攣をしっかりと記憶させられた。

 母さんに、パジャマを着るよう促してから、ダイニングの椅子に腰をおろした。テーブルのうえには、コーヒーカップが二セット、汚れたまま置かれていた。今夜ぼくは、この場所で小一時間、白井さんと話をした。彼女のなかのわだかまりも、いくつか残っただ。 が残ったが、疑問符に形を変え、カバンに詰めて持ち帰った。僕にしても、数時間前、彼女と別れた時と気もちに変化はない。

 僕らの祖先は、ホモ・ハイデルベルゲンシスはもちろん、ナガミヒナゲシを外せない。日ごろものを考えるのに、哲学にしたって、物理や政治にしたって、〝原点に還る〟を信条としてきた。逡巡の末、今回もこれでいくしかない、と腹を決め、顏をあげた。

 テーブルの向かいに、母さんの顔があった。AV女優みたいな淫らなみにくさは、すでに影をひそめていた。こちらの下腹部の膨張と同じように。でも、シャワーで荒っぽく流しただけの肌は、イチョウの葉の形をした大和芋を思いださせた。居酒屋のアルバイトで山かけをつくったとき、皮をむいても、ひげ根はぶつぶつと残る。あまりに似ているので、思わず吹きだしてしまった。

「何がおかしいんだい」

 母さんは、怪訝な目をして、口をとがらせた。 

「顔が大和芋みたいだよ」

 口腔に笑いがたまって膨らんだ。唇を小さく開いて吐きだし、話しはじめた。

「僕たち種族の祖先は、やっぱりナガミヒナゲシだよね」

「ええ…………」

「じゃあ、決まりだよ。会いにいこう、仲間のみんなに」

「会ったって、することなんてないじゃない。植物は喋れないんだし」

「なにもしないでいいんだよ、母さん。ナガミヒナゲシたちがいちめんに咲き誇っている場所で、ぼくたちは横になる。かれらと一緒の空気を吸うだけで、素晴らしいじゃん」

 母さんはいま一つ乗り気でない様子だったが、ひと眠りして、すぐそこの高台に行ってみよう、と提案すると、反対しなかった。

 

三時間ほど眠ってから、アパートを出た。当たりの住宅地域は、あいかわらず特殊観察保護区だが、昔より区画整理など計画的に行われている。

以前のような大型の土風呂施設は今はほとんど見られない。ひとつには、十年前に一から三の土にまで対応する『携帯・家庭用土壌風呂』が完成。五年前には土壌栽培でなくても成長できる「ホモ・ナガミヒナゲシ」実生活対応型生体モデル三世が完成したためである。しかし、生きた微生物が「植物派生人間」の生命力の維持および向上に絶大な効力をもつことに変わりはない。

そろってあくびをしながら、砂利道を歩いていった。あたり一帯はレトロな町の光景をのこそうと行政も力を入れているらしい。

予想通りの映像だった。

「まあ、うつくしい」

光良川に突きあたる手前に、緑風高校のグランドの三倍はあろうと思われる高台がある。

登りきったところで、斜面と川面が一望でき、母さんみたいにここで感極まった言葉をもらす人も多いようだ。

 足もとから河岸まで、切れこみの深い葉を隙間なく繁茂させ、段丘状の地形にそって、スカーレット色の花を群生させている。ここはすでに「the Bay」(湾)や「the Sea」(海)をこえ、「the Ocean.」(大洋)そのものだった。燃えるようなスカーレットの海の向こうでは、光良川の水と生まれたての朝日が互いを求めあい、愛撫し、春のよろこびを踊っていた。そこへ野の花や樹木の葉、樹皮、小さな虫たちが風にのってやってくる。冷やかすように戯れながらこの世界の春をそれぞれがいっしんに謳歌する。

 におう。きこえる。かんじる。

 でも、それはこの世界の50%の営みでしかない。母さんと僕はいまナガミヒナゲシの幾株かをお尻でつぶして、土手に座っている。耳を澄ませてみよう。世界の残りの50%からはなにも聞えはしない。あまりに素早く、あまりに静寂だからだ。

「あっ、モンシロチョウだわ。ヴィヴァルディの『四季』を思いだすわ」

「空は雲ひとつない純粋な青だし。新聞も休刊日、いうことなし……。けど『四季』は春そのものを音楽で認識したんじゃない。春という〝現象〟を音楽によってとらえたのさ」

「わからないよ。むずかしいこと言ってもだめ。いろいろなものを、たくさん見ておきたいだけ。ああ、気持ちいい」

「カメムシ・ヴォルテの受け売りだけど、世界の50%、いや、原理的にいえば100%。

生命体の免疫系は、微生物たちの活動によって保たれているらしい。子どものころ、僕もよく土風呂にお世話になった。あれだよ」

「おはようございまーす。いいお天気ですね」

犬を散歩させる中年の女性が、たるんだ茶のからだ、白い顔のブルドッグに引っ張られるように通りすぎた。

「おはようございます。ブルちゃん、元気ですね」

できるだけ歯を見せて挨拶してから、母さんをみた。まだ睡眠中です、とばかりに無表情だったので、まゆを八の字に下げ口をとがらせて変顔をして見せた。

「ふふっ……、何なの。それじゃ、ひょっとこだわよ」

こちらの思いが伝わったかどうかは、分からない。でも、母さんが吹きだしてくれただけで、うれしかった。

あの犬も、体内に微生物をたっぷり住まわせて、いのちを最適な状態に保っているのだろう。「ねえ母さん、ホモ・サピエンスも、フェイク人間も、微生物に守られているんだよ。もっと気楽に生きてもいいのじゃないかな」

「……わたしにとっては、あなただけが希望。ホモ・サピエンスの社会できちっと認められてほしいの」

 母さんはナガミヒナゲシの四枚の花びらのふちをていねいになぞった。一瞬、僕をみて、ねっと、うなずいてから、波の動きにつれてひらひらとまぶしい川面に目をやった。その横顔は、憂いを胸に沈めてほほ笑む、いつもの美しさにもどっていた。

 ナガミヒナゲシの花をつつむ母さんの手に、掌をかさねた。思いもよらぬほど、小さく、冷たかった。

 視野の端に、内出血のような暗紫色の輪が見えた。両の掌が首のかたちを覚えていて、まるく強ばってきた。指先がひそかに嗚咽しているようだった。

       

 夏休みに入ってすぐ、公民館で『戦争の時代の進路検討会』が開かれた。ただし、集会タイトルは、秘密保護法との相関的リスクを回避するため、「戦争の時代の」は省かれた。具体的にいえば、「ホモ・ナガミヒナゲシ」の十五歳以上が対象のアンダーグラウンドの催しである。男女は問わない。緑風町戦略報道官事務所の主催で、つまるところ、カメムシ・ヴォルテ氏が講師を務める。

講師におおいに不満はあったが、世界情勢は一刻の猶予もなかった。

十五歳から二十三歳まで二十三名が集まった。

◆基調講演(ダイジェスト):ヴォルテ。脳伝導で行われた。

国連最高機密によれば、今日、世界は少なくともαおよびβ2つの時空間世界を想定している。往復経路は、確保されていない。

我々が生きるアルファ世界は、概ね平和志向。22世紀へ向けてミサイル・核兵器廃絶。持続可能な開発推進。脱原発、再生可能エネルギー優先。現在稼働中の原発を廃炉にした際にでる廃棄物の処理場として、地下空間領有権をめぐる外交戦略を展開中。関係各国はこの局地戦を最終戦争にしたい意向だ。

ナガミヒナゲシの驚異的繁殖力を活用し、地下空間領有を希望するエリアに先手を打ち、同植物を群生させる。迎え撃つ防衛国も同植物の繁殖力を基盤とした戦陣を組み、応戦。その補完戦闘力として。侵攻国ならびに防衛国ともに、「ホモ・ナガミヒナゲシ」たるフェイク人間を特殊戦闘要員として育成、戦闘に参加。ホモ・サピエンスの犠牲者を極少化し、22世紀以後の複数化世界にホモ・サピエンスが引き続き覇者となるためのバックグラウンド整備の一翼を担う。

ナガミヒナゲシによる、大国間戦争のいわば代理戦争といえる。すでに我が国、関東甲信越の特定地域ではナガミヒナゲシの布陣が始まっている。北関東に、CK連合軍指揮下の同植物群、南関東に、わが国防衛軍指揮下の同植物群が配備され、互いににらみを利かせ合っている。

なお、ベータ世界では核兵器継続、原発電力優先。いっそうの経済発展をめざす。

また、いずれの世界でも今後の地球外生命体との交渉等にそなえ、国連に代わる新たなフレキシブルな機構の設立を検討し始めている。         (ダイジェスト、了)

 

僕は、みずからの出自を知らされていなかった。この事実にどうふるまったらよいのか、わからない。突然の腹痛に泣かされるのと、信頼していた方に裏切られるのとでは、対処法がまるでちがう。途方に暮れてばかりもいられない。同世代の彼や彼女に訊いてみた。そこへ姿はあらわさず、カメムシ・ヴォルテ氏がくちをはさんできた。

「家庭の事情はそれぞれ異なっています。両親の学歴・収入や教育程度・環境に応じて判断してまいりました」

「おためごかしは止めてください。母は、シングルマザーとして私を育ててくれました。母がいちばん悔しがるのは、支援の法律ができても、行政レベルでわたしたちが見捨てられるケースが多すぎることです。大学に行って勉強したいけど、お金が追いつきません」(デニムの上下・ミニスカートの23歳、女性、ブティック店員)

「〝ホモ・ナガミヒナゲシ〟。そもそもの開発目的は、繁殖力の強さなわけでしょう。これが生かされているという、就業データを見せてください。政権内部では、このプロジェクトは失敗だった、という意見も出ているらしいじゃないですか」(19歳、男性、デザイン専門学校生)。

「キャッ。それだけは言わないで。絶対よ。いっちゃダメ。あたしの31年間の生活を返してちょうだい。結婚もしないでよ。〝意味〟を返してちょうだい」(31歳、女性パートタイマー)。

部屋の空間に円グラフが投影された。多い順に、防衛軍28%、原子力発電関連23%、建設関連15%、武器産業10%、その他24%。ほぼ想定内の数値だった。これだけ社会貢献しているのなら、もうすこし評価されてもよいのでは……そんな気持ちもよぎったが、ここは出る釘になるのを控えた。

「すみませーん。ちょっと冷房が効きすぎてる感じなのですが……」と、先ほどのジージャン女性。

どこに隠れていたのか、天井の四隅から数十匹を超えるカメムシが飛び出てきた。いつものように自由に飛びまわっているが、よく見ると、飛行の航跡で一筆書きの星をいくつも描いている。そしてやっぱり、ヴォルテ氏が登場した。自慢の目を見開き、瞳孔から鋭い視線を放ち、若い僕たちを一瞥してから、脳伝導をつないだ。

「申し訳ありません。映像・音声可能な脳伝導は、今の温度が最適なのです。保存データも取らなくてはなりませんから」

待ってました、とばかり、僕は手をあげて発言した。

「この方は、ヴォルテさんとおっしゃって、なんでもご存知です。さっ、どんどん質問しましょう」

 大きな拍手が沸き起こった。しかし、なんせ体長は二センチ、どこにいるのやら。

よく見ると、誰もが僕の顔をみながら拍手をしている。いらいらしていると、前髪の上あたりにヴォルテの気配が色濃くうごめいた。

「いつもすまないねえ、駿(たかし)駿(たかし)くん」

「おちょくるのも、いい加減にしてくださいよ」と最後まで言ったか言わないかの頃合いだった。

 天井近くの換気口の網から、ぶるばた、ぶるばた、翅音をたてながら大量の虫が飛び出てきた。飛翔しているカメムシに襲いかかり、食らいつくものもいる。

若いホモ・ナガミヒナゲシたちは、「キャーッ」とか「なんだ、こいつら、冗談じゃないぞ」などと言いながらあたふたと部屋のなかを逃げ回っている。

「チョウセンカマキリです。敵国の戦闘虫です」と脳伝導が入った。もちろんカメムシ・ヴォルテさんからの発信だ。

数十匹のカメムシが捕食されただろうか。プリューッという音とともにパイナップル色の霧のようなものが、カメムシたちの体から噴霧された。呼吸した。鼻腔が断末魔の悲鳴をあげた。経験したことのない異臭だった。めまいがした。僕も想像でしか表現できない。真夏の35度、炎天下、ネズミの死骸が発酵している――嗅覚が切り裂かれる。

 さすがカメムシのくささは天下一品、効果覿面、八センチもあるチョウセンカマキリたちは、前脚のカマを犬かきみたいにバタつかせながら落下した。

「みなさーん、窓を開けてくださーい」僕は背後の窓に飛びついて、新鮮な空気を入れた。ほかの参加者もならった。

仲間の放つ悪臭にやられてしまうカメムシも多く、机の上には百匹はくだらないカマキリとカメムシの死骸が転がった。

 ヴォルテ氏の必死に落ち着こうとする声音が、脳伝導された。

「K国もだいぶ焦っているようです。ナガミヒナゲシによる土地の確保とともに、カマキリによるゲリラ戦を頻繁に仕掛けてくるのです。戦争は近いですぞ」

 部屋を掃除してから、自動販売機で珈琲などを購入し、一服した。誰もが若いホモ・ナガミヒナゲシだった。恐怖や疲れが顔に滲んでいた。それは目立たないといえば、その通りだが、顔色はどこか野草の渋い緑色が連想されて、ばつが悪かった。

 片やAiの急進展、片や生物多様性の尊重、α・worldを生きるものとしての連帯感がほんのわずか芽ばえていた。

 しかし、それは危ういバランスの上でやっと均衡を保っているにすぎない。ちょっと油断すると、集合罪の網にすくわれる。そんな理不尽な辛さを訴えるものも少なくなかった。

「私たちは、幼い時から隠れて生きることを強要されて生きてきました。国家の重要課題を託されて創られたフェイク人間が陰湿な差別を受けるなんて、本末転倒だと思います。そして個人個人が分断されていく……」(23歳、女性、介護福祉士)

 カメムシの異臭が微妙に残る室内に、若く真摯な発言がとびかった。

「血液の問題は、喫緊の課題だ。オレの兄貴は交通事故にあったとき、総合病院で、『黄色いのは血液ではない。在庫なし』とされ、亡くなりました。これは国家による犯罪じゃないですかねえ……」(21歳、男性、寿司職人)

「学校や病院で、血液検査をする際、事前に血液色変溶剤を二時間、点滴するというのも非合理的なのでさ」(17歳、女性、高校生)

「ホモ・ナガミヒナゲシ」の本音の悩みや苦しみの話が次から次へ出てきた。記憶にベールがかかっていた僕にも、同時代を生きる同世代との共生への意欲が湧いてきた。

「ヴォルテさん、これだけはぜひ教えてください。おもに『ホモ・ナガミヒナゲシ』向けの『国家緊急徴兵法』は、今どこまできていますか」

 最大の気がかり、疲れきった旅人が命を賭して得ようとする一滴の水へ、僕は手を伸ばした。週明けまでに政府案がまとまることがわかった。

 みんなが騒ぎだした。

「俺たちは、さいごの局地戦争の鉄砲撃ちか」(18歳、男性、高校生)

「敵国の兵隊も〝ホモ・プランツ〟が徴兵されるのですか」(15歳、女性、高校生)

「〝ホモ・サピ〟なら、『戦争で人を殺して人生百年をたのしもう』ていうキャッチコピーが成立するかもしれないが、あいにく我々の寿命は50歳だぜ」(19歳、男性、大学生、建設業志望)

「ナガミヒナゲシに戻るという生き方もあるのでは……よく考えてみないと」(24歳、女性、防衛軍勤務)

 心臓を撃ち抜かれた思いだった。僕と同じことを考えるやつもいるのか……。

「徴兵忌避は、やばいんじゃないか」(19歳、男性、、大学生、武器産業志望)

 不満だらけの議論は、深夜まで続いた。

 そして明け方、カメムシ・ヴォルテから脳伝導が届いた。

 ――長見駿くん。君に出自の秘密が明かされなかった理由、および記憶の曖昧化プログラムが施された訳をお教えしよう。君が誕生した二〇三二年の「ホモ・ナガミヒナゲシ」実生活対応型生体モデルには、実にショッキングな不具合が発生していた。当時把握できた限りで七十八体、もちろん君も含まれている。

大ぐくりには『可視化症候群』と呼ばれ、知能・精神の働きに過度の偏りが見られるのが特徴である。状況に応じてプラスに働くこともあればマイナスに作用することもある。内訳を示せば、『情動過多』『論理過剰』『映像氾濫』の三項である。君自身、取材活動、記事執筆などの際、痛感しているところではないかな。ハッ、ハッ、ハッ……。いや、笑い事ではなくてな。一定の判断力がまだ育っていない生体モデルが、これら三項目が過度であると、心や精神に損傷をこうむる可能性も十分考えられた。そこで、十歳ぐらいになるまでは、当人の事実であっても当人が認識できないプログラムを導入したのだよ。

 

 シャクトリムシは蛾の幼虫だから春先のものと思いがちだが、十月にも枝を擬態し、滑稽な動きで生きる種類もいる。月初めの朝、危険をはらんだ事実は新聞配達に出るため四時前に起床した。わずかに冷えたうす紫の大気が「植物派生人間」の繊維質の肌にも、シャクトリムシの歩みで寒さををよびこみ、用心を怠ると風邪にいたる。小さなころ病弱だった僕には、老人じみた知識も持ち合わせている。残念なことだが気にしない。

 しかし事態は、ボディブローのようにやってきた。

 バスルームのあかりは点いたままだった。母さん、また消し忘れたな、と思いながら、用を足そうとドアを開けた。砲丸投げの球が腹に打ちこまれ、背骨でとどまった。鈍痛が姿勢を前かがみのまま固定した。時間も止まった。  

バスタブから電気掃除機のホースのような管が垂れている。近づき、半分眠っていた目をこすり、よく見ると刃物で切りこんだ跡があった。乾燥した長ネギみたいな肌がかなり深くえぐられている。傷口からあふれた血液は、薬指をつたってバスルームの床に流れていた。やはりというべきか、鮮血は赤でなく、濃くのないチーズフォンデュだった。

眉をしかめた顔がいたいたしいが、これがかざらない、素のこころのままの母さんなのかもしれないと思った。

(リストカットしてからまだ四時間くらいしか経っていないはずだ)

思い直して、脈をとり、胸の音を聞いてみたが、すでにこと切れていた。

ミラー下の棚に『強力プリザーブド液』の空瓶がおかれていた。これは「ホモ・ナガミヒナゲシ」の決定的自死剤として用いられることの多い薬剤だ。もう、だめだ。

さらに、僕のボディにダメージを与えたのは、「ホモ・ナガミヒナゲシ」を栽培したり治療したりする「微生物群入り土壌」だった。ああ、懐かしい。近くのホームセンターで洗濯バサミといっしょに買ってきたのだろう。それをバスタブに三分の二ほど入れ、裸になり湯船につかるようにしゃがんだのに違いない。かつて父さんに負わされた傷が残る右手に、ぺティナイフが握られていた。 

最近はご無沙汰だが中学まではよく負ける喧嘩をやったもんだ。あのときの疲れきってみじめな徒労感を、僕はいま味わっている。しかし、ふしぎと悲しみはない。

ダイニングのテーブルにメモが置いてあった。

『駿(たかし)くんへ

役に立つ生き物になってちょうだいね

わたしは希望をもって旅立ちます

               お母さん』

(とうとう母さんに、決断をつたえられなかった)

ひとしずくの後悔があった。

 

 まぶたを閉じると、赤や黄に着飾った木の葉が、華やかなたたずまいを競うかのように揺れている。その下で渓流が、波うち、泡だち、水しぶきをあげる。母さんが亡くなってから僕の息づかいは静寂を好むようになり、ちょっとしたことを判断する力さえ弱まってしまった。

死を抽象的に語ることはできても、死者をどう弔うべきかは、高校二年生の僕には荷が重かった。ネットに頼ればたやすいが、素人ながら、ぶんやの端くれ、腹から横隔膜あたりがひさびさにブーイングの声をあげていた。「シュザイ、シュザイ」それは、研究会に入りたてのころ先輩からうんざりするほど叩きこまれた原点のことば。いまは耳のおくで遠くこだましている。

 学校でもクラスの同級生との距離感をつかみづらい。相手の話す言葉が耳を素通りしていく。

ひとりぽっちであることが、背の痛みをを通して何らかの罪であるかのような錯覚を強いてくる。ひょっとして僕は、『母さんは行方知らず』という舞台の孤独な主人公を演じなければならないのだろうか。

 脳の指令なのか、神のアドバイスか。「しかたなく」という副詞を胸ポケットに、緑風町町内会長の山下悦郎氏の自宅を訪ねた。

「そりゃあ、高校生には無理だあーにゃ。わしに任せなさい。大船に乗ったつもりでのう」

「どうもありがとうございます。よろしくお願いします」

正座して、左右の膝がしらを手のひらで押さえるくらいしか、僕にはできなかった。

「こういうのを『地獄で仏』いうんやろね。自分でいうのもなんやが……はっ、はっ、はっ」

 山本さんの家は特殊観察保護区の中央部にあった。むかしよく通った土風呂のある公民館も近いらしい。いま「土風呂」は休業中で、代わりに、日々の食事もままならぬフェイク人間なら大人、子どもにかかわらず、ごくごく少額で栄養たっぷりの食事を摂ることができるようだ。

「ニコニコ食堂というんじゃが、二階にホールがある。君のお母さんの葬儀もそこで、な。心配はいらん」

 山下さんは、がっしりした体格の割に首がなみはずれて細くて長い。それを三十度ほどかたむけて言った。

「火葬場のほうの手配も私のほうで何とかしましょ」

 フェイク人間といえども、曲がりなりにも戸籍をもっているため、役所はうるさい。山下さんのような世話役がいてこそ、人造人間の未来を明るくするのだと思う。

 しかも、「ホモ・ナガミヒナゲシ」の火葬は、生物学的意味での骨格をもたないため、骨拾いができない。守らなくてはならない秘密がここにもあるようだ。

こうして僕は、生まれてはじめて、ことばのありがたみを知った。日ごろ校内放送を手がけていて、慣用句やステロタイプな表現には注意を怠らなかった。「ホモ・サピエンス」さんも味なことをやるもんじゃないか。仏さんをだしてきましたか。

「わしは、君の母さんも父さんも若い時分から知っとる。似合いの夫婦だと思ったんじゃが。オトコとオンナは、ほんとわからん」

 葬儀の件はいったん脇におき、むかし話に話題をかえようと、山下さんの口調に少し軽やかさが加わった。

「まさか……佳江さんがこんな形で亡くなろうとは。死は生き物に平等にやってくる。わしらは、生きるときは独りだが、次の世では〝衆〟となる。それが積み重なって先祖がつくられるのだと、わしは思うとる」                       

 ふしぎだった。こんなお説教くさい話を聞いて、僕の体内で擬態は起こらず、単純に赤くはない血が騒いだのだ。はじめて会ったオヤジにややこしい話はしたくなかったが、めずらしく好奇心がまさった。

「衆って何なんですか」

「複でもあり単でもあるものだ」

「僕の感覚では、生きている間は〝独り〟、死によって本当の〈ひとりっぽっち〉になるような気がするのですが……」

「君は、死してまつられたい気持ちはないんじゃろか。わが国の〝ホモ・サピエンス〟には、まつられたいと望む者がいて、それをかなえたいと思うものがいる。だからのう、この世にも、衆はあって、多くの人を表すとともに一人だけをも指すのじゃ」

この爺さまは、年齢からみて「ホモ・ナガミヒナゲシ」ではない。母さんや僕のような実生活対応型生体モデルが世に出るようになってからまだ五十年でしかないのだ。でも、僕の精神のどこかしらのかけらを麻痺させる魔法をつかう。何より胡散臭いのは、虚偽と真実を裏付けのないままに信じ切っているところである。ここがあのカメムシ・ヴォルテに通ずるずうずうしさがある。

土風呂にはいったわけでもないのに、のぼせ、胃がむかつき始めたあたりから僕の記憶はあやしい。無意識のうちに、山下家を辞したようだ。

 

 意識がはっきりしたとき、僕は自転車をこいでいた。新聞の配達先は順路帳がなくても空で覚えているから、とりたてて意識しないうちに、半分を配り終えていたことになる。

 まだ黄昏と呼ぶには薄明るく、畑や住宅の輪郭は鮮明だが、襟元から入る風の冷たさに秋の気配を強く感じた。頭のなかには、例によってジグソーパズルの数ピースが暴れようと、てぐすねひいている。「烏合の衆」、「若い衆(しゅ)」、そして命あるすべての動植物「衆生(しゅうせい)」山下さんと話しているうちにインプットされた、ことばたち。ペダルをこぐと、それぞれのピースは前転、後転、側転、バク転と、さまざまに回転し、きれいな動く幾何学デザインの万華鏡となる。

 夕刊はゆるく縦に丸くして、前かごにかなり高くまで差しこんである。自転車を走らせながらブラインド・タッチで一部を抜き、手早く二度折って郵便受けに入れる。無意識の動作が心地よい。風は冷たいのに、首まわりが薄く汗ばむのも、またいい。

(通夜や告別式の準備など、みんな山下さんのお世話になったけれど、新聞配達を休まなかったには、正解だった)

 あらためて思った。脚の動きも快調だ。

「あら、ご苦労さま、きょうは早いのね。ごめんなさい、お口よごし、きらしちゃった」

「こんにちは。いつもごちそうさまです」

 庭も広く、かなり立派な門構えのお宅のおばあ様だ。なぜか気が合って、あいさつをかわすと、ときどき上品な和菓子など、ご馳走してくださる。そんな気晴らしがあるところも、このバイトが嫌いでない理由のひとつだった。

 あしたは、新しい僕の出発の日だ。ひと月も前から有給届を出してある。

 胸の奥の万華鏡が尻切れトンボに消えてしまうと、腿の裏側の筋肉が疲れてペダルをこぎにくくなった。このあたり、医学的にはハムストリングというらしく、栄養豊富、うまそうで強そうなのだが、僕は幼いころからここが弱くて往生している。

 体の調子が崩れると、決まってことばに悩みはじめる。

「人は死ぬと、まつられたいと思うもの、死者をおくりだすと、まつってあげたいと思うもの」

 山下さんはこういったが、にわかには信じられなかった。

 僕自身、死ぬ前後に何を選択するか、が重要で、お墓に入ってからお供え物をいただき、手を合わせられても、恐縮するだけだ。母さんだって、そんな思いに変わりはないだろう。だからこそ、自らの手で命に決着をつけたのに違いない。

 ハムストリングの痛みに気遣いながら、ゆっくりとペダルをこいだ。配達のスピードは遅くなり、脳裡に冬枯れた荒野が現れ、端のほうに一本の命題が背筋を伸ばして立ちあがる。

『母さんにとって、あの自死のカタチがもっとも自然な生きる選択だった』

この命題の真偽は、母さんに訊いてみなくてはわからない。自分のことなら、たいていは断言できる。はっきりしていたのは、僕のだるま落としに残されていた二つの積み木は、とうとうすべて小づちで打ち抜かれてしまったことだ。緑の積み木は、『国家緊急徴兵令』が施行されることで多くの若い「ホモ・ナガミヒナゲシ」の夢をうばった。赤の積み木は、僕の生きていくよろこびを奪った。もう母さんを見ることはできない。

やっと思いだせたのだけれど、だるま落としは、僕がまだほんの幼いころに父さんが買ってくれた、たったひとつの玩具だった。押入れの奥でほこりまみれになっているかもしれない。これでいいのだと思う。これからは精神も必要ないし、擬態も無用なのだろう。

 

夕刊を配り終えたとき、僕はからだもこころも疲れきっていた。母さんのリストカット、薄めたチーズフォンジュのような血液、そして彼女にとってあの自死のかたちはもっともよいものだったのか、否か。僕が首を絞めたことが、母さんを追い込んだのではないか。考えても考えても、洞窟の出口は見つからなかった。販売店に自転車を戻してから、公民館によってみた。二階のホールで山下さんと奥さんが、忙しく働いていた。

「長見君、あしたの夜が通夜、あさってが告別式だよ」

 時間の段取りを話す山下さんにうなずきながら、僕は、あしたの朝、緑風高校の放送室で行われる決定的なショーについて頭をめぐらせていた。それは、ずらすことのできない僕の〝もっともよい再生のかたち〟に違いなかった。

簡素で小ぶりな祭壇におかれた柩のわきで、小一時間、待った。

「役にたつ衆生(しゅうせい)になるんだよ」

と、母さんが柩から起きあがるのを。もちろん、たわむれにすぎない。最後の顔を見ておきたい気持ちもないわけではなかった。けれど死化粧とまでいかず、わずかに整えただけにしても、もうほんらいの母さんではないように思えたのだった。僕は柩の小窓をのぞくことなく公民館をでた。

僕が通夜にも告別式にも出席できないことは、とうとう言わずじまいだった。

 

ふだんより三十分早く登校した。放送室のある校舎の前で白井恵美と落ち合った。

「世界なんて……。ひとつだけあればたくさん。真実を共有できていれば、長見君くんとの高校生活も悔いのないものになったかもしれないね」

彼女はとうとつに話した。泣きはらしたような目をして、唇を震わせながら。

かすかにウエーブのかかった髪を、秋の風が梳いた。額の右の生え際に数ミリの黒いものが見えた。

(星のかたちのほくろ。「植物派生人間」の宿命的な出生証明マーク。彼女も、やっぱり…… )

髪をおさえた手がマシュマロみたいで、おいしそうだった。指先をちぎって口に運びたい衝動に蓋をして、校舎に入った。

打ちっ放しコンクリートの階段には、温かいのか、冷たいのか、瞬時には決めかねる、やけに粉っぽい空気がよどんでいた。ゆっくりと三階まであがり、鍵を開けた。あらためて眺めると、放送室は一坪にも満たない。この狭い箱の中で天狗になっていたのか、僕は。

早朝にのんだ生体機能漸減剤が効きはじめたのか、いのちの炎は明らかに勢いを失っていた。立っているのがやっとだった。マイク前のパイプ椅子によろけるように腰かけた。骨盤を支える筋肉の繊維が殆んど効かない。丸まった背を何とか背もたれにあずけた。

 脳の神経が衰弱しているのだろう、目も口も耳も、胸も、腕や脚も、それぞれに休息を求めていた。

「白井さん、悪いけど、校内SP・ALLのスイッチをONにしてもらっていい?」

「馬鹿なことは、やめてちょうだい」

弱った聴力にもはっきり聞こえた。空気が膨張して窓ガラスが震えたようだった。

「もういいんだ。この世界に未練はないよ。もちろん、君のせいじゃない。さ、スイッチを入れて」

白井さんが横に一歩ずれて、樹脂の突起を下げた。ピッと小さく鳴って、「放送中」の電光表示板が赤くともった。

 ここへきて彼女と議論するつもりはなかった。「ホモ・サピエンス」になろうとした「ホモ・ナガミヒナゲシ」の最後の仕事として、僕自身のリアルタイムの〝生きるかたち〟をレポートすること。それによって世界の構造のほんの一端でも誰かに知らせることができたら、幸せだろうと思った。

〝現象〟はいつのまにか忘れ去られていくだろう。僕は、自身の個体が戦場に消えていくのが許せなかった。やはり自然の摂理にしたがって生きたい……。

「さよなら、ホモ・サピエンス。やっぱりナガミヒナゲシそのものにもどるよ。〝ホモ〟はいらないし、〝生きること〟に意味を求めすぎてはいけない」

 全身の力をのどに集めて、誰にともなく言葉にした。胸の動悸がふしぎと収まった。

「長見くんには釈迦に説法だけど、何度でもいうわ。フェイクにしろ人間である以上、寿命もナガミヒナゲシとはまるで違う」

「わかっているよ。ホモ・プランツの仲間ともとことん話したよ。フェイクな人間として、殺戮に加わり、百歳まで生きることに価値を認めない。この一点に賛同する植物派生人間だけが、世界を自己に対して革命的なベクトルで生きられる」

「でも、世界は複数あるのよ」

「それは違う」

 口のなかに唾液をためて、乾いたのどを潤しながら窓のそとを見た。グラウンドの三分の二はナガミヒナゲシの海に違いなかった。ただし、この季節は葉を地面に接するロゼット状態。何の工作もなければ、緋色の花は来春をまたねばならない。

登校してきた生徒たちがいくつもグループを作り、こちらを見あげている。何やら叫んでいるようだ。何人かが走り出した。職員室にでも駆け込むのだろう。

 校内全スピーカーは、グラウンドからトイレまで、緑風高校の隅々に情報伝達研究会副会長・長見駿、そう、僕の悔しさや悲しみのことばを流している。これでいい……。

鼻の奥から笑いが込み上げてきた。ホモ・サピエンスの祖先が地球に初めて現れてからおよそ二十万年。そろそろ世界のありようの真実を知るべきだろう。

見ること、つまり視線のパフォーマンスによって、世界を分割、再構築できる生き物だけが、自身が生きる世界以外の隣接した異世界を認識できるにすぎない。それはごく少数に限られるし、彼らにしても、今現在生きている世界とは異なる、生きられる空間としての世界を、自動的に享受できるわけではない。世界は、ルービックキューブと似ているが非なるものだ。時間の軸が欠かせない。

 カメムシのヴォルテをチューターに、僕と似た境遇のフェイク人間数名と、ああでもない、こうでもない、と論を交わした日々が懐かしい。

 僕たちは、世界内存在ではあるけれど、世界という空間にぷかぷかと浮かんでいるわけではない。

線上をゆっくりと回転しながら進む円が僕たちだ。その接点に、現に生きているこの世界でない第二、第三の世界の住人が侵入することは、まず不可能だろう。忍者屋敷と違って、するりと抜けられる隠し扉なんてしつらえてないからね。

「あきらめて、長見くん。放送部顧問の高橋先生がドアの向こうにいらしたわ。開けろって、恐い顔している」  

「開けてはダメだよ。僕がすっかりナガミヒナゲシに戻りきるまで、開けちゃいけない」

 きれいな姿で野の花の仲間入りをしよう――そう思って姿勢を正した。

「ねえ、白井さん。僕はね、人にしても、物にしても、この世界に存在するものをダイレクトに認識したいと思ってきた。美しい白井恵実がいる。白井恵実のうつくしさなんて、現象にすぎない。でも、この世界では、物を認識することは、そのもの以外のものを記述することでしか実現できない。せつなくて、こごえそうだ。植物の世界なら、物そのものを、直接的に瞬時に把握できるかもしれない。邪魔ものはどこにもいるけどね」

 僕の目や口がついているのは、顔なのか花なのか、もうわからない。気配で前方にいると思われる白井さんにいった。

 あっ、汚れたスニーカーが、足首から抜けて床に落ちた。偽物の人体は、もうだいぶ脱水され細く絞られてきた。頭は、目の前のパソコンのモニターに映ったかぎり、あかい。今もひき続き世の中を騒がしているナガミヒナゲシのスカーレット色に違いない。

 あと三十分もしないうちに、僕の体は髪の毛の先からつま先まで、ナガミヒナゲシの一株に変わるだろう。

 後悔はない。痛みも感じない。静穏で、凪いだ海のような心もち。ただ、あのとき母さんが、

「あなただけが希望……」

と、思いを託したのを忘れていない。

まもなく僕は、白井恵実さんのうつくしい手で、緑風高校西門のあの場所、視線で一筆書きした星の中央に、植えられるだろう。遅ればせながら十五万粒の種子を旅立たせる。そして次の春、祝福されることのない、スカーレットの海となる。

 ふと気づくと、窓ガラスの三分の一に、ブチヒゲカメムシが数十匹はりついていた。ヴォルテがいるのかどうかは、わからない。どいつもこいつも、視線に100%以上のパワーをこめているのだろう。しかし、ガラスを超えてメッセージを伝えるものは一本もない。僕に別れをいいに来たのなら、礼儀正しさを誉めてやろう。

「緑風高校のみなさん、こんにちは。情報伝達研究会の長見駿です。きょうの〝正午のミュージック〟は……ごめんなさい、お休みです。残念なことに、ついに「国家緊急徴兵法」の政府案がまとまり、あす衆議院に提出されます。与党は議論もそこそこに衆議院を可決、参議院では早急の法案成立を目指して強行採決も辞さないでしょう」

ホモ・サピエンスたちがどんな覇権争いを繰り広げようが、僕の打つ手はひとつ。疑問符の形に刳りぬかれたジグソーパズルの1ピースを、緋色の海原におもいきり投げてやる。

これだけでは、わがままな幼児のないものねだりにすぎない。これから世界とどう渡り合っていくかが肝心だ。

 ここ半年、僕はだいぶ弱気になっていた。精神の風邪のひき始めってとこだ。身体が熱っぽくて、活舌がてんででよくない。

 AI化が究極に向けて進展する世界のなかで、持続・再生可能な自然体伝導システムを拡張していくことは無理だろうか。僕は疲れ、くじけてしまったけれど、意欲みなぎる次の世代はきっとあらわれる。と、信じたい。『ホモ』でなくても、『ナガミヒナゲシ』でなくてもかまわない。ただ、春、さりげなくりりしく大地から立ちあがってくる土筆のように、たっぷり泥臭いやつがいい。彼らのために世界を開墾する――それが僕の仕事になるだろう。

 母さん、ごめんなさい。
 恵美(めぐみ)さん、ありがとう。               〈了〉

僕は、ナガミヒナゲシなのか、ほも・さぴえんすなのか?

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