【狩人と移り香】

■はじめに


 この文章は、アルパカコネクト運営のプレイ・バイ・ウェブゲーム、「ホワイトレター」の世界観に準じた二次創作作品となります。
 スチームパンク風世界を舞台としたゲーム作品の自主製作スピンオフとして、同世界を舞台としたショートストーリーを創作したものです。

アルパカコネクト、及びホワイトレターについては、以下のリンクをご参照下さい。

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《1》調査部の管轄


「スリねえ」

常夏の街、アルフライラ。
 北東区。街の風景に東方の意匠が染み込んだ、都市の東の玄関口。
 巨大な駅の目の前にあるのは、国際郵便機構・北東区支局。ここは、その中の。いわゆる局員のたまり場。
 声の主は、鍛え上げた細身を、鮮やかな衣装で着飾った。妖艶な、背の高い、とてもその、背の高い青年。彼、ブライダルベールが、頬に人差し指を当てて、相槌を打っていた。
 隣には相棒、霞寿香の姿もある。こちらは話を聞いているのかいないのか。大きな帽子を膝に載せ、短い黒髪を、かすかに通る冷たい風に揺らしている。

「と。ほら、風に当たり過ぎ。調子崩すわよ」
「んむー」

機構の大きな支局には、世にも珍しい冷房施設がある。詳しい理屈は省略するが、その建物は涼しいのだ。洞窟のように、氷室のように、カエルムの雲上のように涼しいのだ。
 アルフライラは常夏なので、涼しい処には人が集まってくる。人が集まってくれば、情報が集まってくる。
 そんなわけで、冷房の効いたこの大部屋は、職員達が情報交換に励む場所。いつも誰かしら、エージェントがいるたまり場だ。
 たまたま北東区支局に用事があった、ブライダルベールと霞寿香の二人。涼んでいこう、と言う霞寿香の意見を尊重して、こうして情報交換に興じていたら。
 馴染みの施設部のガードが口にしたのが、先程の言葉だったのだ。

「与太者の相手まで管轄だなんて、施設部も大変ねえ」
「と思うだろ」

なぜだかここでニヤリと笑って、ガードが大きく肩をすくめた。

「ところがくだんのスリの先生が、ポルタルの鞄に手を出したらな。これは調査部の管轄になるわけだ」
「……なんとまあ、まあ。恐いもの知らずもいたものね」

ガードの仕草に付き合って、ブライダルベールが、さらに大仰に肩をすくめる。
 ちょっと寄り道のつもりだったが、面白そうな話になってきた。横でまだぽやんとしている霞寿香の顔に、一瞬だけ目を遣る。

「で。その『手紙』はどうなったの?」
「幸い、そのポルタルには相方がいてな。すぐに気がついて騒いだから、スリの先生は鞄を捨てて逃げちまった。手紙は無事だったが、スリの先生はトンズラだ」
「顔とかは…… まあ見てないでしょうね。狙われたくらいだからその子、新人ちゃんでしょ?」
「ああ、まあな。ヒヨッコ同士のコンビでな、パニくってスリの顔どころじゃなかった。東方風の服を着てる男だった、って事しかわからん。
 有難いこった、これで容疑者は、北東区の住人の半分まで絞れ……」

ガードが言葉を切り、口をぎゅっと閉じて、ブライダルベールを見上げた。
 艶やかな女性の装いで体を覆った、美しい。男性。

「……絞れんな。手掛かりゼロだ」
「でもさ。『手紙』に手を出すなんて。そんな人、ホントにいるの?」

そんな物騒な内容に、なぜだか目を輝かせて。口を挟んだ霞寿香。
 応じるガードは、若干苦笑いの体。

「嬢ちゃんもルーキーかい? 昔からいるし、今でもいるのさ。そういう連中。
 エージェントの制服はなにしろ目立つし、手紙には結構、金目のものが一緒に入ってる」

ブライダルベールも、頷いて同意する。

「『霊障』がどんななものだか、知ってる人達ばっかりならいいんだけどね。
 霊障がどんなものだか、知ろうともしないとか。自分は絶対、巻き込まれないって思ってるとか。
 世の中って、面白いの。いろんなバカがいるのよね」

なぜかウィンクして締めくくり。

「でもなあ。俺たちも俺たちで、だいぶ変わってるぜ。
 特務局員でもないし、郵便機構でもなけりゃあ。毎日毎日、霊障の心配ばっかして生きてたりはしねえよ。
 道を歩いたら、空が落ちてこねえか、って心配するみたいなもんさ。胃が変になっちまう」
「ま、それは違いないわね」

仕方なさそうに、ブライダルベールが頷いて。でも、と、霞寿香が疑問を呈した。

「なんかいい話っぽくなってるけど。そのスリさんの話、結局どうなったの?」
「ああ、なんせ手掛かりがないから、探しようがなくてな。なんとかして、犯行現場でとっ捕まえるしかない。てな話になってんだが……」

《2》路上に狼、架上に豹

素人の動きにしか見えなかった。

北圏商路は、人また人の雑踏だった。大陸横断鉄道のターミナル駅から、少し外れてはいるものの。一直線に駅から連なる、弾丸鉄道の高架の下には、露店や商店が建ち並んでいる。
 市場の開く時間帯、ごったがえす買い物客の頭ごしには。湯気を上げつつ、のろのろと進み抜けて行く、路面蒸軌の姿が見えた。
 午後から、夕方。人通りの多いこの街でも、特に混雑する時間帯。
 大柄な体を、しかし、樹上の豹のように風景に忍び込ませ。ブライダルベールが、息を殺して、雑踏を監視していた。
 雑踏にいる、ひとりの人間を監視していた。
 視線を走らせ、相棒の状況を確認する。露店のカフェに陣取った霞寿香が、視線に気付いて帽子を撫でた。
 挟撃の位置取り。視線の移動は、ほんの刹那。ブライダルベールが、ターゲットに視線を戻す。
 短いケープのフードをすっぽり被り、顔も表情も伺えない。ゆったりしたパンツに、刺繍もあざやかな履物。地味ではあるが、生地も仕立ても行き届いている。まずは、身なりのいい人物だ。
 顔も表情も伺えないが、ちょっとびっくりするくらい、彼女、そう、彼女の心境は、よく判った。緊張し、きょろきょろと周囲を伺い。妙に大きな、しかし大して中身の入っていなさそうなバッグを、時折ぎゅっと抱き締める。
 不安です、心配です、と、大声で周りに触れ回っているかのようだ。
 そのさまを、じっと監視しながら。ブライダルベールは、ほとんど感心していた。
 他の人間が見たら、たぶんきっと苛立つんだろうなあ、と思いつつ。

警戒しているそぶりの割には、注意が偏り、隙だらけ。
 半端な腕自慢なら、あるいは。彼女のこの仕草に意図を感じて。この構えが誘いだと。隙に見せかけた罠なのだ、と警戒したかもしれないが。
 しかし、ブライダルベールには。反対側で監視している霞寿香にも、はっきりと判っていた。
 そういう気の利いた話ではない。
 単に、本当に、純粋に隙だらけなのだ。

動きに無駄が多いし、体の動きにもキレがない。色々と心得がないことは一目瞭然。
 隙とかどうとか以前に、普通に普段運動していない感じだし、そもそも姿勢があんまりよくない。
 ちゃんと背筋を伸ばして、運動の習慣をつけたほうがいい。
 不安そうに、きょろきょろしているお姉さん…… 今日の仕事のターゲットを見て、霞寿香は、そう結論づけた。

(……決して、目を離してはいけない。で、なんだっけ。
 ええと。そうそう。必ずなんか起きるから。そのときは…… ええと、どうするんだっけ。とにかくまあ、駆けつければいいんだよね)

ブライダルベールから教えられた内容を、正確には、だいぶざっくりと脳内で要約したそれを、頭の中で反芻する。
 カフェで粘って、少し飽きが来てきた霞寿香の視線の先。几帳面なくらい時間通り、教えられた人相の女性は、姿を現した。今から少しだけ前のことだ。
 露店を冷やかしたり、路面蒸軌に並んでみたり。うろうろと位置を変えながら、まわりの様子を伺っている。
 動きが怪しい。見た目も怪しい。特にフードを被ってるのが怪しい。いつでも暑いこの街で、頭まですっぽり。どう考えても、顔を隠しているとしか思えない。
 つまり、顔を見られると困る事情がある、と言う事だ。
 顔を見られると、困ると言う事は、つまり。つまりだ。

ターゲットがよろめいた。誰かにぶつかった。
 ブライダルベール、霞寿香。二人の体が、矢のように跳んだ。雑踏はあるが距離的には近く、わずかな差ながら、先にターゲットのもとに駆け込んだ霞寿香が、倒れた標的を覗き込む。
 彼女は、転んで尻餅をついていた。ぶつかった拍子にめくれたフードから、黒く短いくせ毛が覗く。
 手際良く、彼女の身柄を押さえようとした霞寿香が。感じた違和感に、動きを止めた。

バッグがない。
 額に、見覚えのある紋章がある。
 特務局員の証。《イーリスの翼》。

「あっち!」

鋭く叫んだのは、ブライダルベールだった。大きな手足を存分に回し、四つ足もかくやと思うほどのスピードで走り抜けていく。どこに? 雑踏の向こうに。群がる人が割れて、ブライダルベールの先に進路を作っていく。
 いや違う。ブライダルベールの先に、誰かがいる。
 逃げている。
 その誰かを避けて、人々が割れている。その切っ先を追いかけて、ブライダルベールが走っているのだ。

「ッ……やばッ!」

霞寿香が、ブライダルベールの話を、ようやく正確に思い出した。
 決して『囮から』目を離してはいけない。
 このお姉さんは囮だ。釣り餌だ。本当に追いかけなくちゃいけないのは……!

「あのっ、すいません!」

一拍早い足下の声に、霞寿香が向き直る。尻餅をついたままの女性が、手を上げ、掌を向けていて。
 助け起こさなきゃ、でも、と、迷った霞寿香の顔に、なぜだか彼女は、その掌をかざした。
 香りがした。
 不思議な、懐かしい、でもなんなのかは判らない、そんな香。ふわりと鼻をくすぐったその香に、瞬間、霞寿香が目を瞬かせて。

「……追いかけて下さい! これを!」

これを? 何を? でもそうだ。この人の言う通りだ。追いかけなくちゃ。今は。
 弾かれたように、霞寿香の体が跳ねた。素早く跳んだその体が、さらに加速する。どよめく雑踏を置き去りに、ぐんぐんと先を行くブライダルベールの頭を追いかけていった。

《3》プランB

(さすがに、逃げに自信はあるか……)

囮を監視し、挟み撃ちで捕まえる。不自然になるといけないので、囮役に監視の情報は教えない。
 事前の相談はそういう算段だったが、作戦通りに進むことなど、今も昔も滅多にない。
 囮役は不自然だし、相方は相方だ。今日もやはり話に飽きて、肝心なところを聞いていなかった。
 だが、そういう事をなんとかするのが、エージェントだ。エクスプロアだ。
 ブライダルベールなのだ。

陰の外套に隠れているうちは問題はなかったが、こうなってしまうと、ブライダルベールの体躯と装いはさすがに目立つ。
 土地勘があり、逃げる算段を立てていて、追いかけている相手を視認できる。今回は逃げるほうの利が、少しばかり多かった。
 走りながら視界に引っかかったものを、速度を落とさず拾い上げる。囮が持っていた鞄だ。中身はない。恐らく、走りながら抜き取ったのだろう。
 その間も続く追走劇、通りかかった路面蒸軌。乗る人、降りる人を、押し合いへし合い横切って、標的の姿が、鉄の塊の向こうに一瞬消えた。
 そして丸っこい路面蒸軌が走り去った後には、どこまでも続く人ごみばかり。
 男の姿は、見えなくなっていた。

標的ロスト。さて次は、と。

「ブラちゃーんッ! ……先輩ッ!」

後ろから、切羽詰まった声が、その主が。ちょっと普通では考えられない速度で飛び込んで来た。

「ごめんブラちゃん先輩、ボク勘違いしてて」
「そういうのは後々! プロでしょ、仕事が先」

吹っ飛んできたそのままの勢いで、慌てて謝ろうとする霞寿香を。こともなげにと手を振って、ブライダルベールが制した。

「あれだけ走らせたんだから、まだ必ず、近く、この広場の中にいる。この中のどこに『あいつ』がいるのか、確かめないと」
「うん! あれ?」
「どうしたの?」
「ブラちゃん先輩、……なんだろ。なんか、いい匂いがする……」
「あらあ失礼ね。アタシはいつだって……」

くん、と、霞寿香が、鼻を働かせる。視線が、ブライダルベールの持っている、何かへと落ちた。
 追いかけっこの最中、拾い上げたバッグ。

「……この匂い…… さっき」
「なるほど。これがプランBee、ってわけね」

ブライダルベールが屈み込み、霞寿香の両肩に手を置いた。

「作戦。
 アタシたちが追っかけてる相手は、この『匂い』を出すものを持ってる。
 アタシは、奴が広場から出ないよう、出口を押さえるふりをする。
 お嬢ちゃんはこの匂いを追いかける。追いかけ、見つけて、捕まえる。
 OK? 相棒」
「了解(ロジャー)! わんわん!」

元気良く返事を返して、帽子の頭をちょっと押さえて。黒髪の少女が、常識外れの速度で駆けだした。
 人々の間を、縫うように、編むように。また次の人々のところへと影が跳ぶ。
 別の方向へ、ぐるりと回り込むように。ブライダルベールが走り始めて。

そのさらに、少し後。
 二人がさきほどまで立っていた場所に、息を切らせて。フードを被った少女が、ようやく辿り着いた。

《4》語る言葉なし、つぐむ口もなし

「こ…… ンの、離せって、この」

標的はすぐに見つかった。
 年は四十前後、東方風の出で立ち。小狡そうな、よく動く目をした男だ。
 地面すれすれ、と言うか、地面に半分めり込んだ格好で。恨めしそうに、見えない背後を睨もうとする。
 人間の肩はこんなところまで上がるのか、と、感心するような角度。うつ伏せになった男の腕は、ひねりあげられ、天にぴいんと伸びていて。
 目方で言えば、半分もないだろう少女が。大した力もかけていない様子で。手首を、肩を、細い手足で押さえ込んでいた。自由なままの片手両足はじたばたともがくが、男の肩は、体はびくともしない。
 明らかに普通ではない光景に、回りの雑踏も距離を取り。男と少女の取り合わせを、ざわざわめきながら、遠巻きにしはじめる。
 単に、その辺の石に座っているかように。周囲をきょろきょろと見回しつつ、片手で帽子を直した少女に向けて。文字通りの足下から、男が恨み事を繰り返した。

「なんだってんだ一体。俺に一体何の用……」
「お上の御用、ってとこかしらね」

声が降ってきた。思った瞬間、男の体が回った。お手玉のように姿勢を起こされ、どすん、と尻餅をついた格好になった。さすがに少女は乗ってはいないが、腕はきっちりと固められたまま。
 白黒させつつ、目を上げる。どんな顔だ、と思ったあたりで、見えてきたのは胸板で。そのままほとんど垂直にまで、男が顔を、視線を上げた。
 逆光の顔、眼光が光る。ブライダルベールがにやりと笑って、男の顔を見下ろしていた。

「国際郵便機構、特務局員からの窃盗の現行犯。
 今日はまあ、まだ運があったわね。盗ったのが手紙だったら、今頃、霊障ものよ」

霊障、と言う言葉が、取り巻く群衆に刺さった。
 じゃああいつが。こないだの。なんだこないだのって。知らないのか。ポルタルさんの鞄を、パクろうとした奴がいるって……
 ざわざわ、と、動揺が波のように広がっていく。名なき視線が、次々と、続々と。自分の顔に突き立つのを感じて。男が、気ぜわしげに視線を走らせた。

「おいおい、ちょっと。待って下さいよ」」

精一杯の作り笑顔を、なんとか絞り出し、貼り付けて。

「特務の旦那のお仕事に、ケチを付ける気はないですが。こりゃあちょっと、無理筋が過ぎませんかね」

自由になるほうの掌を広げ、自分は何も持っていませんよ、とアピールしつつ。

「私ゃ、つましく暮らしてる、ただの務め人でして。窃盗だなんて、滅相もない。
 そりゃあ旦那に突然おっかけられて、びっくりして、一生懸命逃げちまいましたけどさ。この通り、なんにも盗ってもなけりゃあ、持ってもいません」

ブライダルベールの持っている鞄に、思惑ありげに視線を泳がせてから。周りを見回して、同情を引くように訴える。
 ブライダルベールは何も答えない。座らせた男の腕を、しっかり捻って捕らえたままで。霞寿香が、不満そうに、相棒に視線を向けた。

「ポルタルさんがかっぱらいに遭ったってのは、そりゃあ、お気の毒だって思いますよ。特務の旦那方にも、面子ってものがあるのも判ります。
 そりゃそうなんでしょうけど、だからって私が盗人だとか。そりゃあ、あんまりってものですよ」

言葉が途切れたその一瞬。不意に、朗々と。張りのある声が響いた。

「香りに語る言葉なし、香りにつぐむ口もなし」
「……なんだ?」
「いま考えた言葉です」
「なんですあんた、急に…… ッ」

男の絶句には、理由が二つ。
 ひとつめは、自分が、まさにかっぱらいを働いた当事者本人が、ブライダルベールの後ろから、この場に現れた事。
 ふたつめは、フードを跳ね上げた、その少女の額に。《イーリスの翼》が鎮座していたこと。

舌打ち。
 グルかよ、と言う言葉が、霞寿香の耳に、確かに聞こえた。

汗を拭きつつ、新手の、いや、最初に関わり合いになった少女に。男が作り笑いを向けた。

「へっ、へへ、お嬢さん、そりゃあ一体どういう意味で…… いまちょっと取り込み中でして……」
「貴方様からは、希なる香が香っております」
「へ?…… 香……?」

なぜか男は、懐に手をやって。ブライダルベールが、にやりと笑った。背筋を冷やす男に、フードの少女が続ける。

「東方そのまた東方の。果てなる渚のほとりの森の。その香木から生まれる香。
 北圏商路でも十京路でも、未だに珍奇。大金で購う、希なる香。
 ……珍奇で高価なその香が、私の携えていたその香が。つましく生きる方の胸から、そう、ふんぷんと香り立つ。
 これは一体、如何なる道理なのでしょう?」

手首。拘束が緩んだ。脱兎。遁走。三十六計。男が駆け出す。
 霞寿香が、狙って、待っていたのはこの無謀だった。あえて緩めた力を絞り、手首を捻って引き倒す。駆け出し始めの勢いまで乗せ、飛んだが如くにぐるりと回り。男の顔がしたたかに、石の路面を打ちすえた。
 拍子に男の懐からは、ばらばらと色が落ち散らばる。煙管や、財布や、財布に、財布。それに財布に、財布と続き。
 最後にばさりと落ちたのは、匂い袋。
 先程、フードの少女の指先から、ブライダルベールのバッグから、ふわりと香った、あの香り。
 濃く、強く、霞寿香の鼻をくすぐった。

「駆けるに落ちた、ってとこかしらね」
「……?」

男を、手際良く拘束する相棒を見やりつつ。ブライダルベールの呟きを、フードの少女が怪訝に見上げる。
 片目を瞑って、青年が返した。

「アタシの考えた言葉、ってコト」

《5》狩人と移り香

先程までの威勢はどこへやら。すっかりしょげかえった様子の男が。
 若干いい匂いを漂わせながら、ガードに連行され、引っ張られていく。

「しかしまあ、あんたらが知り合いだったとはな。驚いたよ」

上機嫌でそう話すのは、最初にブライダルベールにこの話を持ち込んだ、北東区のガードだ。

「いやまあ、直接の知り合い、ってわけじゃなかったのよ? アタシの飲み友達が、たまたま、この子の…… 務めてる? お店の常連でね」

頷いた少女は、またフードを頭からすっぽり被っている。
 暑くないのかな、とは正直思うけれど。肌をすっかり覆った格好からすると、日焼けに弱い体質のかもしれない。

「……北東区は管轄ですし、北圏商路は、地元ですから。少しでもお役に立てたのでしたら、幸いです」
「カタいわね、キミ」
「……申し訳ありません」
「ともかくまあ、助かったよ。後始末はこっちで引き受けた。
 よければ、あとで支局に涼みに来てくれ」
「恐れ入ります」

(ウチの「お嬢ちゃん」とは、随分と違うわね)

去って行くガードに、膝を緩めて深々と頭を下げる、フードの少女。
 その「お嬢ちゃん」の様子を、短く見やったあと。ブライダルベールが腕を組んだまま、少女の方へ、ふたたび視線を滑らせた。

「ところでさ、キミ」
「はい?」
「さっきの話、ホントなの? ホラ、アレ。お香。すっごい高価なものだって」
「……申し訳ありません。実は、嘘です」

少女がフードの影から。ほんの少しだけ、はにかんだ笑みを浮かべる。

「本当は、それほど高価なものでもありません。
 アルフライラで珍しいのは、本当ですけれど、東方ではそれほど珍しいものでもありません。小さい頃のことですが、母もよく、このお香の匂い袋を持っていました。
 それで思いついたのです。このお香を使えば、証拠になるんじゃないか、って……」

話しながら、ふと。少女が。先程から黙ったままの、霞寿香を見やった。
 帽子の下で、不思議そうな顔のまま。霞寿香は、ずっと、掲げ持った匂い袋に見入って。
 先程の、感情を思い起こしていた。知っているような、懐かしいような。いつか、どこかで感じたような。
 古い記憶を、思わぬまま、泳ぐ。
 誰かに、戯れに差し出された掌の香り。匂い袋からの移り香。

「キミさ。ちょーっと、お願いがあるんだけど」

霞寿香の様子を。静かに、そっと見やっていたブライダルベールが。フードの少女に、持ちかけた。

「あの、匂い袋ね。お嬢ちゃんにさ」
「ええ、……はい。お譲りします。……もともと、このために用意したものですし。喜んで」

フードの下の表情は伺えない。それでも、その声音からは。霞寿香に向けた、優しい感情が響いた。

「今日は、あの方のお手柄ですから」

小さく笑って。ブライダルベールが、大股で霞寿香に歩み寄る。物思いにたゆたう、彼女の頬に。顔を寄せて、促した。

「聞いてた、今の話? 良かったわね、このお姉さんがね。今日のご褒美に、お嬢ちゃんにそれ、くれるって」
「え? ………………。わああ嬉しい! ありがとう! ……ええと、ターゲットのお姉ちゃん!」
「コラ」

ぽくん、と。相棒の頭を叩くしぐさ。青年がたしなめた。

「ちゃんとお礼を言わないとダメよ?」
「ううう。はーい、ごめんなさい……」

気を取り直し、帽子を直して。
 フードの少女の顔を見上げて。とびっきりの笑顔を見せた。

「ありがとう、お姉ちゃん! 大事にするね…… ええと」

あれ。そういえば。大事なことを聞いていなかった。きょときょとと瞬いた霞寿香が。怪訝そうな表情の、フードの少女に尋ねた。

「お名前…… お名前、教えて!」
「あ…… そうでしたね。そういえば、名乗っていませんでした」

フードを取りのけ、額の紋章を露わにする。困惑のていで下がった眉の下。黒い瞳に、黒い髪は、霞寿香と同じ、東方の系譜。
 大きな目を、穏やかに細める。霞寿香が、そのまなざしから感じた心は。
 敬意だろうか。感歎だろうか。少しくすぐったい、なにかだった。

「夷熊蜂。私は、夷熊蜂(イー・シォンファン)です」

蜂が花から羽へと宿す、ほんのわずかな移り香のように。
 穏やかに、霞かに。そのディレッタントは、微笑んだ。


《附》なんて略するのか本当に判らない

熊蜂「此度はありがとうございました、ブライ様」
ブライダルベール「いやそこで切る?」
熊蜂「大変失礼致しました、ブライダ様」
ブライダルベール「さぐりさぐり行く気ね」
霞寿香「めんどくさいなあ。ブラちゃん先輩はブラちゃん先輩でいいじゃない」
熊蜂「なるほど、それもそうですね。それでは…… こほん。ブラチャーン様」
ブライダルベール「遠ざかった! 黙ってて!」

■登場人物紹介(リンク)

ブライダルベール

霞寿香

夷熊蜂


■終わりに


 以上は私snの作成したものであり、内容について、アルパカコネクト様は一切の責任を追わないものとします。

【参考】アルパカコネクト ヘルプセンター:二次創作ガイドライン

https://support.alpaca-connect.com/hc/ja/articles/360052304232-%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E5%89%B5%E4%BD%9C%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

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