「4/9第7号」

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 4月第2週の配信でございます。すっかり春になり、どことなく交通機関が混み合ってきているような、そんな印象を受ける毎日です。
 今回は可能な限り「春」をテーマにしてみましたが、ほとんどの記事で尻切れトンボになってしまったと、大いに反省しているところです。
 それでは宜しくお願いいたします。

1.見上げた夜空とその瞬間

 趣味の一つに”星景写真”をあげている。これは星空と風景を掛け合わせたものであり、大変技術を要するものである。時期やロケーションの他に、星空の様子もある。天の川もあり1等星が多くきらびやかな夏や冬の星座と、アンドロメダ銀河が観測できる哀愁漂う秋の星座や、乙女座やしし座、おおぐま座と大柄な星座のある春の星座である。このほか彗星や流星のイベントもあるだろう。そういった様々な”瞬間”を切り撮っていくために、野を越え山越え踏破していくことが、醍醐味と言える。
 写真を始めたのは中学生であり、本腰を入れて活動したのは高校時代である。当時私は放送部と廃部寸前の写真部を兼任していた。部活動の文集のようなものがあり、部長を仰せつかっていた私にも、その執筆依頼が来たのである。その時「写真とはその一瞬を切り撮るものである」と書き記したことを思い出す。”その一瞬”とは、その時しか見られない瞬間をさす。季節外れの雪が積もりながらも、その雪をどかして可憐に咲く福寿草とか、数百年の時を超えて訪れる彗星とか、”その一瞬”というのはそこはかとなく存在するのである。”切り撮るもの”は読んで字の如くである。我々はよく”シャッターを切る”という。これはフイルム時代の名残であるも、言い得て妙でもある。
 ”星景写真”とはまさに、この刹那的瞬間を切り撮るものである。それはまさに瞬間と瞬間を重なるその瞬間を撮るようなものである。
 筆がのってきたが、紙面の都合上次回とする。

2.社会福祉とスピリチュアリティ

 私は最近、木原活信先生の本で「対人援助の福祉エートス:ソーシャルワークの原理とスピリチュアリティ」(ミネルヴァ書房,2003)を読み終えたところである。「ソーシャルワーク専門職のグローバル定義(以下グローバル定義)」に「中核となる任務」「社会開発」の項目がある。一部省略して抜き出してみる。

”全体的、生物―心理―社会的、およびスピリチュアルなアセスメントと介入に基づいている。それは社会構造的かつ経済的な開発に優先権を与えるものであり、経済成長こそが社会開発の前提条件であるという従来の考え方には賛同しない。”
IFSW策定・JFSW訳「ソーシャルワーク専門職のグローバル定義」2014年

日本ソーシャルワーカー連盟(JFSW)「ソーシャルワーク専門職のグローバル定義」
https://jfsw.org/definition/global_definition/

と書かれている。このグローバル定義であるが、翻訳とその解釈について、ソーシャルワーク専門職の職能団体連合体である日本ソーシャルワーカー連盟(以下JFSW)が行ったが、その過程については公表されていないところがあり、誰がどのような発言をしてこのような経緯となったのか不明な点が多い。このことについては別の記事で述べるとする。今回触れるのは「スピリチュアル」という言葉である。
 昔タブーな話題として、政治・宗教・野球であると言われたことを覚えている。いずれもイデオロギーが働くものであり、お互いの正義が対立する話題であるから、これを避けようというものである。実に日本人らしいと私は勝手に思っている。ちなみに”イデオロギー”という言葉は、”idea”がその語源となっており、理念や概念を指す言葉であるという。改めて「スピリチュアル」である。この言葉の意味をそらんじて説明できるものはいるだろうか。スピリチュアリティやスピリチュアルは、”Spirit”がその由来であるといえる。霊・魂を指す言葉と理解してよいだろう。
 今回はこれくらいとする。本の紹介をするためには、前提となる説明を多くしなければならないことに、ここまで書いて気がついたのだった。

3.春といえば

 私の中で春といえば、なんといっても桜だろう。例えば地元の官庁街通りの桜並木、大学キャンパスの桜並木、山間で見事に咲き誇る一本桜、都会の喧噪の中にあり、時代と共にその変遷を見守ってきた桜もある。月明かりに照らされた夜桜も実に美しいといえる。その桜にはいくつか品種があり、ヤマザクラ、シダレザクラ、カワヅザクラ、そしてソメイヨシノである。実のところソメイヨシノは人口的に交配した品種であり、高度経済成長期に多く植えられたものであるという。
 桜というのは散り際もまた美しいといえる。ハラハラと桜の花びらが舞い、一面を花びらの絨毯とするのである。この散り際を眺めると、5月に入るものであるから、「連休が終わってしまう」と嘆くのとセットである。これもまた儚さを感じるのかも知れない。桜とは咲くのも散るのも美しいのである。
 そういえば、社会福祉理論の“価値論”とも言うべき、嶋田啓一郎の「力動的統合理論」を考えるが、社会福祉学を単一的学問ではなく、社会科学と人文科学の重なりにおいて力動的に統合されるものだという。今日的に社会福祉学は学際的な学問であると言われる。力動的統合理論が考えられてきた時代は、高度経済成長期であるという。桜を考えると、どこか力動的統合理論に通づるものがあるとこじつけるばかりである。
 春といえば桜である。桜にもいくつか品種があり、ソメイヨシノは人工的に交配された品種であるという。このことを私は、嶋田啓一郎が唱えた力動的統合理論とこじつけて思考していたといえる。この話題については本記事限りとする。

4.次回に向けて

 さて、色々と書き散らしたので、これくらいで筆を置こうと思う。
 今回号においては紙面の都合上次の機会にする旨記事としたが、深く考えるためのきっかけとなったといえる。
 これにこりず、まだまだ、書き続けるとする。

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