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スヌーヌーの不思議な旅 vol.3 20240529 レポート/夜の旅

スヌーヌーの笠木泉です。

「スヌーヌーの不思議な旅」第二回目が4月27日、横浜市南区にあるスペース若葉町ウォーフで開催されました!若葉町ウォーフは劇作家・演出家である佐藤信さんが創作の拠点とされているアートセンターです。劇場・稽古場・宿泊施設も備わっていて、クリエイションを支え生み出すエネルギーが詰まった場所です。

X アカウント 若葉町ウォーフ 


第3回、そのレポートをここにアーカイブします。

夜の旅も始まりました〜まずはおすすめから始めよう

夜の旅 2024年5月29日 17時から20時 
参加者 16名

笠木泉、律子さん、二田絢乃さん、小出和彦さん、富士たくやさん、キムライヅミさん、松本みゆきさん、冨田萌衣さん、田中大介さん、荻野祐輔さん、安田明由さん、佐藤桃子さん、田島冴香さん、能島瑞穂さん、上村聡さん、鈴木謙一さん、

夜の旅は、昼の旅(14時から17時)のあとすぐ開催されます。この時間割で頭が切り替えられない! がんばれカサギ!

雑談テーマは昼と同じで「おすすめ」。みなさんのこだわり、そして、個性が炸裂です。笑ったり、パズルに感心したり、優しい気持ちになったり… 食べ物から、Youtubeまで百花繚乱。それぞれのプレゼンはすぐに検索しまくりです。

みなさんのおすすめはこれだ!って箇条書きにするとナゼこれをおすすめ?って思う人もいるかもしれませんが、まあそれはいいとして、ご紹介します。

これがチャーメンです美味しそう
ああ、何度でも見たいよね!
えび、カレー、バター、しそ、青のり、チーズ、唐辛子(差し入れありがとうございました!)


休憩ののち、いよいよ夜の旅の課題戯曲である太田省吾「小町風伝」の輪読を始めます。

戯曲は日本劇作家協会の日本戯曲デジタルアーカイブに掲載されております。そこからダウンロードして読書会のテキストとさせていただきました。

太田省吾さんは70年代に「転形劇場」を主宰し、劇作家・演出家として数々の(今となっては)伝説の舞台を創られた方です。代表作は「水の駅」「更地」「砂の駅」「ヤジルシー誘われて」等々。今回取り上げた「小町風伝」は第22回岸田國士戯曲賞を受賞した戯曲となります。太田さんは国内のみならず欧米やアジアなど世界的な活動を展開され、また京都造形芸術大学等で教鞭を取られていました。残念ながら2007年に67歳で逝去されましたが、多くのテキスト(戯曲や演劇論)は今我々の元に、我々の手の中に、劇場にあります。



そしてまた、全然読み進められない

再び我々は「小町風伝」に向き合います。しかしとにかく、全然読み進めることができません。前回は「老婆」のセリフが<科白>として外化されることがないことについて自分たちでなんとか言葉を重ね、そうして理解したつもりですので、そこから再びスタートです。

前回のダイジェスト…… 
〈科白〉として外化されることがないーーーこの言葉にまず驚きます。すべて、すべての言葉は決して音として発することはないとあらかじめ述べられているわけです。その理由は、この太田さんの文章を読めばなんとなく理解できます(理解した気になれます)。矛盾する言語的事態、これも理解できる。むしろよくわかる。うなづける。そしてその表現方法がとてもエキサイティングでチャレンジングであることも。しかし、それが実際に演じられる時、俳優はどのようにこの内的言葉を外的表現として「そこ」に出現させたのか。

前回のレポートより

<外化しない>=音として発しない、という表現に至るまでの「内化」の部分の豊かさ、ここまでが我々の共通認識。

今回はさらに深みに誘われます。

「■/科白体のト書き」の存在です。


例えばこれは■/科白体のト書きです
科白じゃない
(戯曲は日本劇作家協会の日本戯曲デジタルアーカイブよりダウンロードしています)


この■のト書きは普通のト書きとも、(外化されない)科白とも区別されている「ことば」です。これは一体どのように理解すればよいのか。ちょっと待ってよ。すぐに立ち止まってしまいます。

昼も夜も字が汚い

ト書き(説明/指示)があり、そして■/科白体のト書きがある。この違いとはなんだろう? 皆さんはどのように考えていますか? 私は、■/科白体のト書き は、「老婆の心への指示」だと考えました。しかしそれは断定できない。何故なら■/科白体のト書きとはなんであるかの指示は明確に書かれていないからです

断定できることと同時に断定できないこと、の、ゆらぎがこの戯曲には内胞されている。

この戯曲について考えていて、例えば、

老婆、上手より登場。

老婆「今日は楽しいね。この時間は最高」
■早く帰りたい。もう誰とも喋りたくない。

カサギのつくった適当な科白

という表記になった場合、「老婆、上手より登場」は動きの指示=ト書きです。そして老婆「今日は〜」は私が発するセリフです。そして■早く帰りたい〜は言葉として発することはないけれど、私の今の心持ちや内面や、もっと見えない感情への指示です。そして全てが「外化されない」ので、これらが言葉として発せられることはありません。

ということになるでしょうか?

…というお話をしました。皆が反応してくれます。

『わたしも初めは■/科白体のト書きは老婆の感情の指示だと思っていたが、読み進めるうちにやっぱりこれは舞台に必要な条件を提示しているト書きなのではないかと感じてきた。女性言葉で書かれた■/科白体のト書きは、もちろん老婆に寄り添ったものではあるものの、やはり指示であって、それはむしろ小説にあたる「文体」として表現に近いのではないか? 老婆の持つ曖昧さを表現(=指示)しているのではないか』

『■/科白体のト書きは「ト書き」なんだから、老婆目線ではないのかもしれない』

皆さんの意見

という意見が出ました。全てなるほど!と思います。ト書きの視点は第三者、作家であるという概念などひっくり返って、言葉の存在の曖昧さがここで問題になります。

派生して、だんだん太田さんが演劇を作っていた時代の持つ「空気」の話になりました。70年代、唐十郎さんの舞台と太田省吾さんの舞台、それこそ表現の質は違えど、根底に共通認識があり、それはいわゆる「同時代性」があって、むしろお二人はやはりどこか似ているようにも思います。私はリアルタイムで見たことはありませんが「転位・21」の話になったので、20代の皆さんにも知ってほしいなと思って、大人チームでこの時代の説明をしたり。

「無言」と「沈黙」の違い!

途中、参加メンバーの小出さんが手を挙げて発言された「無言と沈黙は違うのではないか」という言葉に惹きつけられました。

無言は「無音」に近い、「なにもない」状態であることに対して、「沈黙」は言いたいことがあっても「黙っている」状態で、この二つは根本的に違うのではないかと考えると、「無言劇」と「沈黙劇」には差異が存在するのではないか。

小出さんの意見

というご意見です。これは今後「沈黙劇」である「小町風伝」を読み進めるにあたり重要な考え方になる気がします。

ああ、太田さんに聞きに行きたい。太田さんに会いに旅に出たい。この戯曲の一言一句について。教えてほしい。でも、我々で、考えます。間違っていてもいい。時間がかかっても、今ここで、考えます。

と、いろいろな話をしているとあっという間に時間が差し迫ってきて、これはまずいとみんなで一度「はじめに」から2章まで輪読しました。一度は声に出して読みたいよね!ごめんなかなか進められなくて!と反省しつつ。

夜の旅終了後、参加メンバーの能島さんが「太田省吾さんの戯曲集のあとがき」をコピーしてきてくれて、それを私に預けてくださいました。ここに書かれている太田さんの思いについて、次回みんなにシェアしたいと思います。

…ああ、難しいけど楽しい。わからないけど面白い。いったりきたり、考えたりぼんやりしたり。途方に暮れる、夢のような贅沢な時間でした。

私は6時間ぶっ続けで疲労困憊です。体力いるな。不思議な旅のためにウエイトあげていくぐらいの気持ちで頑張ります。


看板作りました

参加メンバー荻野祐輔さんのレポート

『⼩町⾵伝』勉強会、2回⽬でした。
今回は荻野がレポートさせていただきます。
でも、レポートっていうより、反省⽂に近いかもしれません、、、
僕は、今回の勉強会、初参加です。⾃分は俳優なのですが、太⽥省吾さんの作品にまさかこんな形で向き合うことになるとは!普段なら出会わなさそうな作品と出会うのも勉強会の⾯⽩さ!

⼀体どんな作品なのか!沈黙劇って何!?
ワクワクしながら、皆さんと回し読みを開始しました。
そして読み始めてから10秒もしないうちに、頭がボーッとしてきました。

正直、台本に何が起こっているのかが、よくわかりません。
その状況がなんかイメージしにくいのです。
普段関わるような台本とは全く違う!
やっぱり予習してくれば良かった。

⽼婆がいて、ゆめうつつ、みたいなことが起こっていて。
⽼婆の夢の中で、⽼婆⾃⾝が寝てて、その眠っている⽼婆を、もう⼀⼈の
⽼婆が起こして、、、
まだ4ページしか進んでないのに、⽼婆のセリフだけなのに、⽼婆が既に3
⼈いて、、
しかもみんな⾃分勝⼿に喋るから、どの⽼婆が喋ってるかよくわからない
んですね。元々の⽼婆が、半分夢で、半分醒めている状況?
更に読み進めると、若かりし頃の⽼婆も現れて、、、

でもこのセリフ、実際の上演では、声に出してないんです。
沈黙劇だから。
今のところ⽼婆が4⼈もいて、⽼婆役の俳優さんは、黙ってて、
お客さんは何が起きてるか、わかるんだろうか。

僕は、わからなさ過ぎて、台本に釘付けになっていると、
⽬の前で笠⽊さんたちが、⼤事なことをディスカッションしてたっぽいで
す。普通に、聞き逃してしまいました。
本当に反省です。
あぁ、肝⼼な部分を聞き逃してしまうこの感じ。
⾃分の学⽣時代を思い出します。

それでも漏れ聞こえてきたキーワードだけここに記します。

・『■印の科⽩体のト書き』は⽂体なのでは?
・沈黙と無⾔は違う
・やっぱりこれはト書きなのよ

以上です。すみません!!
反省⽂だとしても、僕も不思議な旅の⼀員なので、
ここからは少し⾃分なりに考えてみたいと思います。

散々話題になっている『■印の科⽩体のト書き』という説明書き。
僕は、科⽩体という字が気になりました。
「台詞」じゃなくて、「科⽩」
どっちかというと「台詞」の⽅がポピュラーな感じかしますが。

これは⾃分の尊敬する俳優、三⽊のり平先⽣が、

「科⽩」とは
「科」は「しな」と読む。つまり「仕草」のこと。
「科をつくる」なんて⾔葉もある。
「⽩」の⽅は「述べる」こと。「告⽩」「独⽩」などがある。
だから「科⽩」というのは「仕草をしながらしゃべる」から「せりふ」と
いうのだ。

「台詞」とは
「台本」という⾔葉がある。芝居の基礎というか、「⼟台」になる本だか
ら「台本」芝居の「⼟台」を作る為には、どうしても⾔葉がいる。
その⼟台を作るための⾔葉だから「台詞」

「競り符」とは
ここからは先⽣の持論。役者と役者が丁々発⽌と渡り合う(競り合う)「⾔
葉」。つまり競る符牒。だから「競り符」だとすると「せりふ」は競わな
ければならない。意⾒が対⽴したり、感情がもつれたり、登場⼈物の⼈⽣
観が交差して「⾔葉」が競り合う。芝居はそうでなければいけない。

というようなことを⾔っていました。

太⽥省吾さんが敢えて、「科⽩」と使っているのは、
演者の⾝体の状態をどうデザインするか、
ということについてのト書きである。
ということを⾔いたかったからなのではないでしょうか。
あくまで僕の推測です。

ご⾃⾝のことをあまり語らない三⽊のり平さんが、酔って⾊々芸談をして
いるコチラもとても⾯⽩い本なのでおすすめです。

まだ楽しみ⽅がわからない⼩町⾵伝ですが、
そういう簡単に理解できない、噛み砕きにくいものに関わるという⾏為⾃
体が贅沢な気がしてます。次はもっと太⽥さんの世界を味わえるはず。
スヌーヌーの不思議な旅はまだ始まったばかりです。

ーーー

荻野さんありがとうございました! 太田さんと三木のり平さんのリンクに興奮しますね。最高です。ぜひ研究して論文を書いてほしい。

夜の旅のメンバーも本当にみんな面白くて、私はみんなの言葉に笑ってばかり。楽しいです。また一緒に行きつ戻りつ進まない時間を過ごしましょう。次回もどうぞよろしくお願いします。

(文章:笠木泉)


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