豚肉の誘惑

いつもの店で、いつものように日替わり定食を頼む。MusicBarCorda。コンカフェを気取っているが、実際は食堂である。行くつもりがなくても、なぜか来てしまう、新宿5丁目にある、不思議な魅力のお店である。

果南店長が料理をしている。
「次の店は見えないキッチンにするー!」
と言いながら、手際よく調理をする。
ただ、その姿をじっと見入る。

日替わりが来る。豚と大葉のくるくる巻き。写真を撮る。もはや病気だ。
コルダ飯の写真を撮らねばならぬ、という強迫症。

さて。プレートを見る。

画像1

これはなんだろう。小鉢の黒い液体。スープではない。たぶんあれだろう。しかし、舐めてみなければ何だか分からない。箸をチョンと付けそのまま口に含む。塩気。馴染みのある味。

あ、醤油。

シェフの手でプレートに載せられているだけで、特別な何かのように思えてくる。この醤油は何に使うのだろうか。おそらく、豚ではないか?いや、豚だろう。まさか、醤油をご飯にかけるわけにもいくまい。いや、出汁ご飯という可能性もある。だが、それにしては辛い。やはり豚だ。豚を見る。巻かれた肉の合間から、とろけたチーズがのぞいている。その塊を、箸で持つ。重い。ずっしりと、指先から手首にかけて、その重みが伝わる。

一度、豚を置く。これは、なかなかの存在感だ。斎藤静樹先生の『会計基準の研究』を思い出す。ずっしりと重く、内容も重厚。いきなり読み始めると、打ちのめされてしまう。

ふと、豚の脇に、こぼれたチーズかあるのを見つける。ひょいとつまむ。そっと、醤油につけて、食べる。

飲み屋で、味噌漬けのチーズがこんなに美味しいものかと思った。なるほど、醤油も大豆だ。そのような濃さはないが、醤油には爽やかさがある。チーズは爽やかに口の中で踊る。そこへご飯を投入する。

日本の米は世界一!マイ(米)!

危うく僕の中のパンクな心が目覚めてしまうところだった。いけない。本当にパンクか微妙だけど、とにかく、僕はここでは、物静かで謙虚な紳士なのだ。パンクなんかしてはいけない。パンク。パン食う。飯食うな。

付け合わせのサラダを食べる。大根と昆布。塩昆布。僕の心はすでに、海の底だ。うお!うお!大根のさくっとした歯触りと、何かのドレッシングがさっぱりとしている。さらに塩昆布の塩気が口の中を洗う。

そうか。そういうことだったのか。

豚肉を持つ。
箸はぷるぷる震え、手に緊張が走る。
その塊を、口の中へ。

でかい。
大きさではない。口の中にちゃんと入る大きさだ。

でかい。
その存在感がでかい。

醬油のベールを引きちぎって、豚肉は、重厚なオーラをギンギンに放っている。チーズがソースのように豚肉からあふれて口の中を侵していく。その暴力的な豚の脂とチーズ。その隙間から、そう、天使の梯子のように、大葉のさわやかな風が吹く。うまみの絨毯爆撃や~。僕の意識はすでに、豚肉とチーズと大葉に乗っ取られている。くるくるくるくるくるくるのツボ!

ご飯を食べる。ご飯が暴力の中に、対話を持ちかける。停戦調停だ。交渉人ご飯。豚巻定食!ショック!ショック!

はあ。

まさに。
まさにこれが愛だ。

至宝の愛。

愛の中で思う。

そう。
ここだ。
ここで食べるのだ。
サラダを。

さっぱりと、口の中が洗われていく。
そのためのサラダなのだ。

プレートの全てに計算しつくされた、味の配置。何一つかけても成立しない、この究極の食体験。

あ、レタスは味にはあまり関係ないかもしれない。でも、ほら、色気が。レタスには色気があるから。大事だよ、色気。

そこまで含めての、至高の一皿。

さっぱりとした口に、また、あの暴力的な豚肉巻き巻きを入れる。


俺の存在を頭から打ち消してくれ。


ご飯。
サラダ。
僕は、無我夢中で食べる。
食べるという状況ではなかった。
僕は、そんな意識もなかった。
ただ、それを食べる何かであった。
何かがそうさせている、何かであった。
豚肉巻き、サラダ、ご飯。
その三位一体。
神と子と精霊と。
これは究極の完全体なのだ。
僕は、神のまにまに居合わせている。
マニー!マニー!


胸に願いがひとつだけ
このままずっといつまでも…


最後の一口のメシをじっと見つめる
祈りながらメシをじっと見つめる
神々の最後を祈りながら
食卓の最後を祈りながら
箸でメシをさらう
メシを見つめながら祈る
美しいお前を
口の中へ入れる
美しいお前を
咀嚼する。
美しいお前を
嚥下する
美しいお前を
腹をさすりながら
美しいお前を
おいしかったとつぶやく
美しいお前を何がなんでも
美しいお前を俺はいまでも愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛して…



「店長めっちゃ料理上手いよね」
思わず、ふっと言葉がこぼれる。
「直接言ってあげなよ、ほら」
あずみさんが答える。
「おいしかったです」
「これが仕事ですから。」
果南店長はそっけなく答える。
そういうとこだぞ、と思う。
「もっとちゃんと言わないと!」
あずみさんがけしかける。
僕は、考えて、果南店長に言う。
「おいしかったです」
そういうとこだぞ。僕。


参考文献
INU『つるつるの壺』
INU『メシ食うな』
打首獄門同好会『日本のコメは世界一』
打首獄門同好会『島国DNA』
てーきゅう『メニメニマニマニ』
町田町蔵+北沢組『愛してる』

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